タイのチェンマイに滞在していたとき、お寺に行く機会があった。
そこは瞑想や僧侶と対話ができるお寺で、観光客に人気の場所だった。
当日は瞑想のある日ではなかったので、お寺の中を探索することに。
お寺の敷地内には銀細工の工房があり、そこで職人たちが銀の細工を施していた。
大きなシルバーの板に彫刻されたお釈迦様がキレイで眺めていると、作業中の男の子が話しかけてきた。
”中国人?”と彼が話しかけてきた。
”ううん。日本人だよ”私が答えると
”ええ?日本人に見えないね。日本人はあまりここに来ない。特に女の子1人で”と彼が笑った。
”あなたはタイ人?”逆に質問すると彼は”いいや、僕はラオスから来たんだ”
今回の旅では行けなかったけれど、タイのあと、本当はカンボジアに行く予定だった。
チケットも持っていて、当初はその後にラオスにも行こうと思っていた。
弟がラオスに行ったこともあり、すごくよかったと聞いてきたので、興味があり、ラオスについて聞いてみた。
”私、ずっとラオスに行ってみたかったの!ラオスはどう?”
”僕はラオスの中でも、すごく小さな貧しい村で生まれ育ったから、そこには観光客は1人もいなかったよ。タイにやってくるまで、観光客は一度も見たことなかった”
”じゃあ、はじめてタイで色々な国の人を見たときビックリした!?”
私が好奇心丸出しで質問すると、彼は優しく笑って
”そうだね。ビックリした。特に白人を見たとき、同じ人間と思えなかったよ。だって、目が青いんだもの”
”ラオスにはほとんど帰ってないの?”
”うん。家族に仕送りはしてるけど、家には帰ってないんだ。タイに来たのはそもそも、僧侶になるためで、僕は貧しい家に生まれ育って、食べるものも、教育も受けられなかったから、タイへに来たんだ”
貧しいから僧侶になる。
東南アジアではよく聞く話だったけれど、自分自身がそういう人に出逢ったことはなかった。
日本で僧侶の知り合いがいたけれど、彼等はみな裕福だった。
”じゃあ、昔は僧侶だったの?”
彼は右手で、自分の長い髪を触りながら
“昔は坊主だったんだよ”
と大きな笑顔を見せた。
”ねぇ、とてもプライベートなことだけど、聞いてもいい?もしも答えたくなかったら答えなくていいから…”
私は思い切って質問してみた。
”なぜ、僧侶をやめたの?”
”ああっ、なんだ。そんなことか。いいよ。よく聞かれることだから。僕が僧侶をやめた理由は、この世界、彫刻の世界に魅せられたからなんだ。僧侶と並行してできる仕事じゃないから、この世界に進むには、僧侶をやめるしかなかった”
”でも、僧侶を辞めるリスクはあったでしょう?”
”そうだね。僧侶だったら、食べ物も着るものも、教育も、全てタダだからね”
”貧しいから僧侶になるっていうのは多いことなの?”
”うん。多いよ。貧しい僕らにとって僧侶になることは、生きていくために必要なことなんだ”
”じゃあ、本当は仏教を信じていないけれど、生活のために僧侶になる人もいるの?”
”うん。いるよ。だけど、少数ね。そういう人たちはある程度すると僧侶を辞めちゃうけれどね。君は仏教徒?”
旅している間に何度も自分の宗教について聞かれた。
私はそのたびに
”ううん。神様を信じているけれど、宗教はフォローしてないよ。だけれど、宗教を学ぶのは好き。”
”僕も神様を信じる。今もこうやって銀細工でお釈迦様を彫っていると、とても特別な気持ちになる。僧侶のときに学んだことは多いからね。でも、このシルバー細工に逢ってしまってからは、この世界のことしか考えられなくなった”
”素敵!夢中になれることが見つかって、最高じゃない?”
”うん。そうだね。君は何をしてるの?”
”私は旅人。あなたのように夢中になれるものを探してる”
”ねぇ、少し不思議なんだけれど、なぜ、日本人なのに英語が話せるの?”
”私はオーストラリアで英語を学んだの”
”オーストラリアか。いいな。日本人は教育水準も高いし、お金もちの国だから、どこでも好きな場所へ行けるね”
これは東南アジアに限らず、ヨーロッパの人からも言われること。
特にインドは長く滞在したからかもしれないけれど、日本=教育水準が高い、お金持ちというイメージがある。
確かに、不景気だってニュースではやっているけれど、東南アジアに比べたら、その不景気の状況すら”お金もち”になる。
チェンマイに行く途中、中年の日本人男性と話す機会があったのだけれど、彼は
”定年退職して、タイに移る日本人が多いんだよ。気候もよくて、料理も美味しくて、何より安い。300万くらいで老後を過ごすことが出来る”
確かに300万円で老後をずっと過ごせるのは安いかもしれないけれど、現地の人々からすれば、大金である。
”お金”の違いに驚き、考えさせられる、それは日本では感じることのできなかった、オーストラリアでは見ることこと。
そして、外国の人がよく口にするのは”日本に旅行へ行きたいけれど、高い~~・涙!”とのこと。
“日本はアジアのモナコだよ!高すぎて、旅行へ行けないもの!”
サファリキャンプで一緒だったポーランド人たちが、キャンプファイヤー中に私に嘆いてきた。
私は”私も日本に帰国していないから、分からないけれど…私が高校生の時代は漫画喫茶に泊まってる人いたよ!あ、あとはカラオケの個室!” ←何十年前だっつーの。
”日本で外食することは安いと思うよ。そこら中にコンビニもあるし、ピンキリで、お金がない人も旅行できるよ!”
と、力説してみたものの、外国からやってくる旅行ブックにそんなこと書いてあるわけはなく…
日本を旅行する=高い。
そういうイメージがあるらしい。
ラオス出身の元僧侶さんは、彫刻をする手を止めて話してくれた。
私が彼と話したのは30分くらいだったけれど、その短い時間は私の心に深く残ってる。
印象に残ってることといえば、チベット亡命政府があるインド・ダラムサラで出逢った6歳の女の子。
僧侶見習いの彼女はインド人で、貧しい家庭に育ったため、僧侶になったそう。
日本料理屋さんで隣に座っていた彼女は大きな瞳でじっと私を見つめてた。
”彼女は生まれてから今日まで外の世界を見たことがないの”
彼女を教育している台湾出身の女性僧侶が私に話しかけてくれた。
”6歳までずっと外に出たことがなかったんですか?”私が質問すると
”ええ。彼女はずっと修業をしていて、今日初めて外の世界を見たから、とても緊張してるのよ”
私は貧しくて僧侶になるという、日本に居たころ知ることのなかった選択肢を今回の旅で知った。
30年間、こうやって生活する人がいることを知らずに生きてきた。
このことだけじゃない、東南アジアを旅するにあたって読んだ本、人身売買問題や女性の問題。
自分の小ささに腹がたった。
どれだけ、頭が悪いのだろうって、無知なんだろうって悲しくなった。
”あなたは本当に何も知らないのね。何も1人で出来ないくせに”
オーストラリアに行った当初、英語もできず、シェアハウスすら知らなかった私が言われた言葉が浮かんできた。
当時、悔しくて泣けたけど、その通りなのである。
そして、私はまだまだ、まだまだ何も知らないっていつも感じてる。
だけど、同時にいつも希望や夢も生まれる。
遅いことなんて何もないだ。
知らないことは学べばいい。
失敗したら、そこから吸収すればいい。
私は私のペースで色々なことを学んでいこう。
それに、26歳で英語もできずにオーストラリアに行って、1人で旅して、通常会話の英語も分かるまで2年くらいかかったけれど(←かかりすぎですが・笑)
今の私はあの当時より出来ることも増えた。
だから、これからも自分が自分で一生懸命になれることに出逢い、努力して生きていきたい。
ラオス出身の僧侶の男性と、6歳のインド人僧侶見習いの女の子。
2人との出逢いは私に大きなものを与えてくれた。
出逢えたことに感謝。
私ももっともっと勉強するぞ!
みんなも素敵な一日を☆
今日も読んでくれてありがとう!