世外井上馨候 ~養痍隠晦之處~ | 萩往還を歩く

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幕末維新の志士たちが駆け抜けた歴史の道「萩往還」は城下町萩と瀬戸内の港三田尻とを結ぶ街道であります。さあ、今から、萩往還とその周辺を歩いてみましょう。きっと新たな発見があるはずですよ。

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こちらは、山口県美祢市厚保の、

小学校の敷地内にございます、

「世外候養痍隠晦之處

(せがいこう よういいんかいのところ)」であります。



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説明板には、「井上候がきずをいやし姿をかくしたところ」

とあります。


そして、こちらがその説明板であります。

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聞多は、俗論派の襲撃を受け、重傷を負った後、

妹の嫁ぎ先であります この場所で、静養をしました。


彼は、大分県の別府でも静養していますが、

ここは、そこからの帰りにでも寄ったのでしょう。


「お兄さん、具合はどんなかね。」


「おお、だいぶ ええようなのう。

ほんじゃが、ここは静かでええのう・・・。

別府でもゆうに(ゆっくり)したんじゃが、

ちいとここでも ゆうにして行くかのう・・・。」


でも聞多は、そんなにゆっくりは出来ません。

どこで噂を聞きつけたのか、幼なじみの、

吉富藤兵衛(簡一)と、その一行がやってきます。


そして、藤兵衛たちは、聞多を山口へ連れて行き、

鴻城軍総督に担ぎ上げるのであります。



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「よ~い、よ~い!聞多さぁは ここへおってかいのう。」


「ああ、こりゃあ吉冨さんじゃあ ありませんか。

どねえしちゃったですか。」


「よい、聞多さぁは おってかあ。」


「はあ、兄はここへおりますよ。・・・お兄さん!お兄さん!

吉富さんが来ちょってよ。」


「は?藤兵衛が?なして ここがわかったんかいのう・・・。

おお、藤兵衛!何かぁ お前らぁ、一体 何事かぁ。」


「聞多さぁ、あんたぁ、ここで何をせよってかあ!

のん気じゃのう、あんたは。

おい!お前らぁ、聞多さぁを連れて行くど!!」


「お~!!」


「おい!何かぁ、お前らぁ 何をせるかあ!おい!やめえいや!

痛いっちゃ、おい、離せ、何かぁ、お前らぁは。痛いっちゃ!!」


「聞多さぁよぉ。あんたにのう、軍の総督になってもらおうと思うんじゃ。

はあ、あんたしか おらんけえのう!のう、たのむいや。」


「は?総督?なんかあ そりゃあ。急に言われても、

わしもやれんでよう。

藤兵衛、お前がすりゃあ ええわいや。」


「何をゆうてかの!あんたしかおらんと思うたけえ ここに来たんじゃろうが!

おい!お前らぁ!ええけえ 連れて行くど!!」


「おい!離せっちゃ!離せいや!くそう、痛いっちゃ お前らぁは!

痛い、痛い、痛いんちゃ、わしゃあ まだ体が痛いんじゃけえ!」


「おい!ええけえ 連れていくど!!」


「藤兵衛!ちょっと待てっちゃ、ええけえ待て。のう。落ち着け。

わかった、わかったけえ 待てっちゃ・・・。

やれんのう・・・。(くそう・・・。)

おい、厚子よぉ、わしゃぁ 支度をするど。

(藤兵衛にゃあやれんのう。くそうのう、しょうがないのう・・・。)」


「お~!さすが聞多さぁじゃのう!やっぱし男じゃのう!よしよし・・・。」


「(くそ~、藤兵衛。何が、よしよし じゃ。くそうのう・・・。

あ~あ~、もちーと ゆうに せたかったのう・・・。)」


「よーい!聞多さぁよー!まだかいのー、はよーせーよー!!」


「わかっちょるいや!今 行くいや!(くそー!しろしいのう!)」


傷が癒える間もなく、ここを後にする、

若き日の、世外井上馨候でありました。



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吉富藤兵衛(簡一)は、井上聞多の三つ年下で、家も近所であります。

明治になって、井上、吉富コンビは、先収会社を設立します。

その会社は、長州で米を安く手に入れて、

それを大坂などでぶち高く売って大もうけ!!

あ~あ、やれやれ・・・。

この人たち、だいぶん儲けちょってんじゃろうのう・・・。

やれんのう・・・。