私の過去のブログを
読んでいただければ
死刑廃止論者である
ことがおわかりになると
思います。

個人的な犯罪者への
憎しみから応報的に
殺す気持ちはわかり
ます。

かと言ってそれは
感情であり、感情と
いうものは人様々。

また同じ人だとしても、
時間の経過、感情が生じた
状況の違いによっても、
感情の内容、大きさは
異なってしまいます。

そうした感情のままに
報復を許すことをして
しまったら、社会的
秩序が保たれなくなって
しまいます。

ということと、国家が
個人に対して絶対者と
いうことを示すため
法にもとづき国が処罰する
ことにし。

その一つの手段として
死刑が昔から多くの
国に存在していました。

近代の法治国家と
しては、さすがに
応報的的な立場から
死刑を実施するところは
ほとんどなく、社会秩序を
守るための犯罪の予防、
抑止という観点から
死刑制度が存在して
います。

日本においても、昭和23年の
最高裁判例における死刑の
合憲判断も予防説にもと
づいています。

しかしながら、世界的傾向
としては、死刑による予防、
抑止効果への疑問と、
文明国家における虐待への
絶対的忌避の観点から
90年代死刑廃止国は増加し、
09年で139カ国、90年代
以降で死刑執行をおこなった
国は日本を含めわずか
18カ国。

先進国では、日本と米国
のみっです。

 中国が先進国なら
3カ国ですが、中国は
そもそも見せしめ的かつ
国家権力の発揚という
前近代的な発想ですから
ちょっと別でしょう。

この死刑廃止の動きは
国際的にはさらに広がって、
死刑制度があるとしても、
まずは死刑執行の一時停止
をしようという国連決議が
07年104カ国の賛成に
よって行われています。

とは言え、日本は死刑を
容認する考えは昨年の調査でも
85.6%ということから
自民党時代には存続し
つづけました。

鳩山邦夫法相の際の
歴代最高、任期中1年で
13人もの死刑執行が
その最たるもの。

ちょっとまっていただきたい、
国民感情にまかすなら
法治国家を返上すべき。

メディアの近年の論調も
ほとんどが犯人の残虐性
等、遺族の感情等をあおり
たてた因果応報、憎しみの
論理による死刑存続です。

繰り返して言えば、そう
した感情なら関係者が
直接行えばいいんです。

さらに言えば、本来は
殺された人間をなんとか
生き返らせて報復させ
るべき。

最高裁の判例にも
あるように、理性に
基づいた死刑合憲は
予防なり抑止しか
ありえません。

 個人的であり、また
直接その当事者に
なったことがありません
ので、断言ができる
わけではありませんが、

私の今までの経験からは
たとえその時点では
激情にかられ、犯人を
殺したいと思うことも
あるかも知れませんが、
やはり、犯人には改悛
してもらいたいと思う
ようになると感じます。

 近代国家ならば、
国民感情がどうの
というよりも、まずは
犯罪が起こらないように
すること、犯罪者を
何としてでも厚生させる
ことが大切です。

 一部の人間の意見と
して、死刑囚に食べさせる
税金がもったいない
というようなものがありますが、
そうした意見の延長は
無駄な老人、能力のない
人間は死んでしまえという
ところに行きつくことに
気づいてほしいと思って
います。

 ところで、長々と書いて
来ましたが、今回の
ニュース。

クローズアップ2010:千葉法相、死刑執行命令 信念崩し「論議」

民主党政権で初めてとなる
死刑執行が28日、前回の
執行からちょうど1年を経て
行われた。
死刑廃止派の立場から
存廃議論に踏み込もうとした
千葉景子法相が執行命令に
かじを切った背景には
「執行せぬままの議論は
あり得ない」とする法務省の
強い姿勢があった。

記事後半の記者の
わけのわからない
分析は別として、
なんで今になって
という気持ちです。

「死刑廃止を推進する
議員連盟」に参加して
いたような千葉法相が
死刑廃止に係わる
各種の論議、情報を
知らないわけはない
でしょうに。

死刑廃止論者であったなら
法務省のトップである立場を
生かして、それこそ、率先して
死刑廃止の方向へ日本国民の
世論を誘導すべきです。

同時にその大前提として、
近代文明国家として、
死刑執行を停止しつづける
べきであったと思います。




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