今日、新聞のコラムに、飼っていた猫とコラムニスト本人のことを書いたものを読んで、自分も記してみようかと思いました。


実は、ちょうど一ヶ月前に、コタツが逝ってしまったのです。


この世に生まれて、一年ほどだったので、不憫でなりません。



コタツの名は、わたしが以前住んでいた前橋にいたノラのボス猫「小鉄・コテツ」から来ています。


コテツとは、大家さんが呼んでいた名で、縄張りの巡回に、うちの庭をよく通っていました。


それで、お裾分けをするようになって、そのうち縁側で休んで行くようになったけれど、実に人間との距離の取り方の上手な猫で。


また、絶対に、縁側から中には入ってこない、賢い猫でした。



うちに仔猫が来たとき、前橋のコテツのように、強くて賢い猫になったらいいなと「小龍・コタツ」としました。


多くの人が、「コタツ」と聞いて、「炬燵」だと思っていましたけど、それも、しっくり来るよな愛嬌のある猫でした。


親兄弟と早くに別れてしまって、人間と暮らした猫なので、外に出られるのかと心配しましたが、今年初めての春には、帰ってこない日もあったりして、猫社会を頑張って生きておりました。


でも、どっちかというと、いつもケンカに負けて帰ってくる子でした。


最期は、そうした時の怪我が元だったのか、肺に膿がたまって逝きました。



ちょうど、わたしが養蚕で工房を留守にしている時期でした。


飼育のリーダーだったので、休む訳にも行かず、友人に昼間預かってもらっていましたが、いつも頑張ってわたしの帰りを待っていてくれたので、可愛そうでした。


最期の日も、わたしの帰りを友人と待っていてくれました。



小龍とわたし



今日の新聞のコラムで、「話しかければ、かけるほど、猫は賢くなると、何かの本に書いてあった」とありました。


わたしが言っていることを、結構わかっていたと思うので、そういう事では、コタツも賢い猫でした。


その上で、わたしはコタツに、ずいぶんと我が儘をしたなと思います。


人間のわたしは、猫とこれだけ親密につき合ったのは初めてで、猫より自分の方が賢いと思い込んでいたけれど、いろんなことをコタツに教えてもらいましたし。


この子がするイタズラに怒ったことが多々あったけど、冷静に考えてみると、お互いが仲良くやって行く為に、前もって人間の方で気をつければ回避できたことが、かなりあったのです。


こっちは、自分の勝手で猫を振り回すけど、コタツはわたしだけ。


たぶん、わたしのことが一番好きだったと思います。



コタツが居なくなってから、とんと猫を見なくなりました。


それとも、春が終わったからか。


と思っていたら、2、3日前に、コタツとよく縄張り争いをしていた猫を見かけました。


あいつ、頑張って生きてるな。


そして、また、ぽつぽつ、これまで見なかった若い猫も見かけるようになりました。


当分は、この裏庭を通る猫たちを眺めていようと思います。