孫崎享さん 『戦後史の正体』レジュメ

 

 鈴木善幸首相

  次の首相中曽根は「田舎の村長」と呼んだ

  しかし若い日に中野正剛(戦時中に東条首相を

 批判し、追い詰められて自殺)や賀川豊彦(キリスト教徒で社会運動家)に傾倒、生活苦にあえぐ東北の漁民をみて育ち、最初は社会党から選挙に出ている。

  平和という理念をつねにもっていたと思う。

  そして見解を対外的にしっかり発信している。

  在任中米国はソ連の脅威を強調するようになり日本に防衛力の強化を迫った。     282

 鈴木は勉強会を立ち上げているが、外務省に関与

させると米国よりの評価しかこないとし、外務省の

枠外に勉強会を作らせた。

 首相になる前、79年の日米下田会議(第5回)

でも鈴木は「アジアー日本の役割・アメリカの役割」

と称して次のように述べている:

   わが国の努力は平和的手段のものに

限られる。各国に軍事的協力はしない。このことはア

ジア諸国も理解。

   わが国のなしうる最大の貢献は経済社会開発

と民生安定につうずる各国の国づくりに対する努力。

   国づくりとともに、この地域の平和と安定のた

めの政治的役割をはたしていく

 

就任直後ワインバーガー国防長官が来日、防衛費の

増額を要請。が「賢明でない」と断っている。

 81.5訪米

 ここで共同声明中の「日米同盟」という語が問題に。大平首相時会談などではすでに使われていたが、

共同声明に出てきたのは初めて。米国側の要望。だが外務省は鈴木が心配しないよう、軍事的協力をめざすという意味ではないと説明。

 こうした説明をうけていたので鈴木は記者会見で「同盟」という語がつかわれたからといって軍事的側面について変化はないと発言。これを新聞が

「鈴木首相は『日米同盟に軍事的意味はない』といった」と報じ、東京の外務官も「同盟に軍事的意味はないという[鈴木首相の]発言はナンセンス」とコメントした。

 鈴木:共同声明で同盟関係を新たにうたったからといって、けっしてNATOにおける西欧諸国の運命共同体のように、おたがいに共同戦線をはって防衛にあたる、あるいは戦争をするというような、そういう集団的自衛権を、ここであらためて日米の間でむすんだものでない。

 アメリカが他国と戦争をした場合、日本の自衛隊を派遣して、共同戦線をはってアメリカを助けるようなことは、日本は平和憲法の建前からできない。

ASEANの国々を訪問してきていますから、そこでは日本が経済大国から軍事大国になるんではないかという懸念が存在することを察知していましたから、そういう懸念を払しょくするためにも開いてのレーガン大統領にはっきりもうしあげておく必要があるということで相当時間をかけて話した

 

 鈴木首相の「同盟問題」の背後で、米国はソ連との軍備競争のなかで、日本に十分説明しないまま、

日本の海軍力をソ連との戦いに使う工作を進めて

いた。

 アメリカは自衛隊を朝鮮戦争・ベトナム戦争に使おうとしたが、基本的に対米追随だった日本の

「保守本流」も自衛隊海外派遣だけはながらく拒否しつづけていた。

 だがアメリカはこのとき、70年代末から日本にP3Cを大量に買わせ、オホーツク海に潜むソ連の原子力潜水艦(8000km離れた米港本土を核攻撃できる)をみつける役割を日本にやらせたかった。

 しかしこれを言うと米ソ戦争にまきこまれることを日本はおそれ尻込みするだろう。そこで米国は日本に「中東から輸入している石油を運ぶ航路=

シーレーン(海上交通路)をソ連が攻撃する恐れがある、これを防ぐためにシーレーン防衛をすべきだ。そのためにはPCが必要」と説明した。そこで

この時期突然「同盟」という語が出現した。だが

鈴木は米国の真意がわかればこの考えを受け入れないことが予想された。そこで鈴木に対して

「総理の器ではない」「暗愚の宰相」というキャンペーンがはられていったのだろう。