弁護士でこの件を書いてくれている人がいました。

 木村草太氏よりわたしが以前書いたことに近い。

 社内弁護士森田の訴訟奮戦記
 http://www.seirogan.co.jp/blog/2012/11/post-47.html

衆議院の解散に法的根拠はある?

 

2012年11月19日

 

今回は、今まさに話題となっている「衆議院の解散」の法的根拠について語っていきます。

 

先日11月16日、野田内閣は衆議院を解散しました。

 

予定では12月4日に衆議院議員選挙が行われ、同月16日に投開票が行われる予定です。

 

ところで皆さん。この「衆議院の解散」を「内閣」が行うことについて法的な根拠はあるのでしょうか。

 

普通に考えれば、このような重要な事柄について憲法や法律で明確に定めているのが通常だと思いますが、結論から言えば、明確に定めた規定は「ない」のです。

 

報道によれば、野田内閣が衆議院の解散について閣議決定した後、衆議院本会議が開かれ、衆議院議長が「『憲法7条』により衆議院を解散する」との解散詔書を読み上げ、衆議院が解散された、とされています。

 

そうすると衆議院の解散の法的根拠は「憲法7条」なのかと思われますが、憲法7条を見てみると、以下のようになっています。

 

第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
  一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること
  二 国会を召集すること
  三 衆議院を解散すること
    (以下、省略)

 

この条文を見て、「えっ??」と思われた方が多いのではないでしょうか。

 

そうです。上の条文は「天皇の行為」について書かれているのであって、内閣が衆議院を解散できるとは一言も書かれていません。

 

ところでもう1つ、衆議院の解散について書かれた条文が憲法にあります。憲法69条です。条文はこうです。

 

第六十九条  内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

 

これについても「衆議院が解散されない限り」と規定されているものの、主語がないため、どの機関により衆議院の解散を決められるのか明確に定めていません。

 

ですが、この条文を根拠にして、内閣が「衆議院」で内閣不信任案を決議されるか、又は信任案を否決された場合には、その内閣は衆議院を解散させるか、総辞職をするかの二者択一を迫られることになると考えられています。

 

(なお、参議院で内閣不信任案が決議されたりしますが、69条は明確に「衆議院で」と定めている以上、参議院で不信任案が決議されたとしても、上記のような二者択一を内閣に迫る効果はありません)。

 

つまりこの場合、内閣が総辞職しないのであれば、その内閣は衆議院を解散させることができるのです。

 

ですが今回は、野田内閣に対する不信任決議案が衆議院で可決されたわけではありませんから、今回の解散にこの条文を適用することはできません。

 

上にあげた2つの条文の他に、明確な根拠となるような条文はあるのでしょうか。

 

答えは「ない」です。

 

そうすると憲法7条と69条のどちらかになるのですが、先述のとおり、今回の解散には69条は使えませんので、7条のみということになります。

 

ではなぜ憲法7条が内閣による衆議院の解散の法的根拠になるのでしょうか。

 

日本国憲法によれば、天皇は「日本国の象徴」であり、政治的意思決定には関与しないとされています。

 

そうすると天皇が憲法7条に基づいて衆議院の解散を決めることはできず、内閣が実質的に衆議院の解散を決定し、天皇は形式的・儀式的に衆議院の解散を行うのみであると憲法7条(第3号)を解釈するのです。

 

そしてこの内閣の衆議院解散決定権を基礎付ける文言が「内閣の助言と承認」という言葉です。

 

つまりこの「助言と承認」という言葉に、衆議院の解散を含む憲法7条に掲げられた行為の実質的決定権が含まれると解釈するのです。

 

現在、多数の憲法学者はこのように考えていますし、この考え方がベースとなって、衆議院議長が読み上げた解散詔書にも「憲法7条」が入っているものと思われます。

 

それにしてもこのような解釈は非常に理解しがたいことだと思います(私が司法試験受験生の時、この論点について勉強をしたときは、正直「?」の連続でした)。

 

「衆議院の解散」は国会議員にとっても、私たち国民にとっても非常に重要な事柄であるにもかかわらず、憲法上明確な規定がないのはおかしいですし、7条を根拠にするにしてもいささか無理があるようにも感じます。

 

このように法律の世界では、条文があって当たり前と思っていることでも、実はなかった、ないしは明確には定められていなかったということもあるのです。

社会において起きていることの法的な根拠について考えたり、調べたりしてみると、意外な発見があるかもしれませんよ。