CPA東郷郁三のブログ さん「山口敦雄著『りそなの会計士はなぜ死んだか』を読んだ感想」転載させていただきます ↓末尾にkatsukoのミニ・コメント

 私は1988年(昭和63年)まで朝日親和会計社に公認会計士として勤務していた。その年の8月に退職したが、平田聡氏は1989年に入社してきた。それゆえ、入れ違いで面識はないが、同じ監査法人の仲間として非常に親近感が湧いてくるのである。山口敦雄氏の本を読んだのは10年も前であるが、再び読んでみたのである。私は当初から、他殺説をとっていた。自殺などするはずがないと思えるからである。会計士は基本的に自殺はしない。会計自体がバランス感覚を導き出してくれるからである。バランス感覚が自然に備わってくるので、自己コントロールが可能だからである。さらに、もし一人で悩んでいることがあれば、たいてい先輩が話を聞いてやり、ストレスをためるということにはならないのである。先輩後輩の関係が非常に良いのである。(特に朝日の場合はであるが・・・。)

 山口氏は、自殺説を基本に書いているが、これは「竹内文書」の竹内巨麿が本の出版をする条件として明らかな嘘を散りばめたことに通じるものがある。山口氏も本来主張したかった他殺説を隠して、あえて自殺説を展開していると思えたのである。山口氏は「この事件のもう一つの見方」として2002年10月の金融再生プログラム(竹中プラン)を取り上げ、平田聡会計士を死に追いやった重要な背景として記している。「銀行の国有化、外資への売却」に執念を燃やす竹中大臣の指示で、日本公認会計士協会が監査法人に圧力をかけ、新日本監査法人がりそな破綻の引き金を引かされたという見方である。会計士協会会長の奥山章雄氏は、竹中プランを作成した「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」のメンバーであり、竹中大臣のブレーンでもあった。

 私が勤務していた朝日親和会計社は、監査においては、正常点監査を行っていた。被監査会社を会計処理において、正しい方向に導いてしまおうということで経営分析の技法をよく使うのである。正しいあるべき姿を事前に想定し、その姿に近づけるように努力するのである。結果的に、差額が出た場合は、原因を追求し、改善策を打ち出し、次回の参考にするのである。それゆえ、被監査会社との信頼関係は抜群であり、ミスや過ちは会計士の要求にすべて従って処理をするという状況であった。NHKで放映された「監査法人」は全くの出鱈目であると思った。これでは国税局の査察ではないかとさえ思ったものである。平田氏は、正常点監査の方向で監査していたと思えるのである。それゆえ、被監査会社とのトラブルは一切ないはずなのである。事前に会計士がコメントを出し、悪いところは修正してしまうからであり、無限定適正が大前提なのである。それが、全くなされていないということは、竹中大臣の猛烈な圧力がかかったということになる。当時の朝日側の理事長である岩本繁さんは、私の上司であり、親分肌の良い会計士であった。それゆえ、通常のことなら岩本さんが、平田氏を庇っていたと思える。それが、なされなかったということは、やはり、圧力が凄かったのだと認識している。

 平田氏が、殺されたとする重要な状況がある。平田氏の部屋のカギを出し入れしていた男が目撃されている。その男は、結局、部屋には入れなかったという。結局、その男が、平田氏をマンションから突き落としたと思えるのである。平田氏は、2003年4月24日午後5時19分に死亡した。遺書もなく、靴を履いたままである。突き落とされたとしか考えられないのである。この死によって、朝日はりそなの監査を止めた。その後、新日本監査法人がりそなに対して銃弾を引いたのである。

 小泉・竹中政権は、アメリカの意向をくみ、りそな銀行を通して巨額のインサイダー取引を行ったのである。その疑惑を追及したのが植草一秀氏であり、痴漢冤罪事件の犠牲者となった。りそな銀行は、優良な銀行であった。2002年3月に自己資本比率が、8・73%であった。これが、竹中大臣の意向で、無理やりりそなを破たんに追い込み、国有化するのである。小泉・竹中政権は金融危機なる風説を流布し、株価を売り煽り、国家ぐるみの「株価操縦」「風説の流布」を行っていたのである。インサイダー取引は犯罪である。それゆえ、検察は、こういう大疑惑こそ、追及すべきではないだろうかと思うわけである。


                              ↑ 転載ここまで

 katsukoのコメント

 

 上記のようなこともあったのに植草さんは今回小泉氏と

組もうとしているのですね。

 たしかに・・迷うところです・・・