以下は『食の終焉』p87~90の概要です。

ポール・ロバーツ、訳神保哲生さん、ダイヤモンド社。

ダイヤモンド社は、三菱(菱はダイヤの形ですね・・・)の系列だと

書いている方もいますが、この本はおもしろい!


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産業革命により、缶詰・瓶詰や冷蔵の技術、鉄道・トラック・船による輸送網が発達し、大量・迅速・低コストで比較的品質を保ったまま食品を加工し、遠方の市場に出荷できるようになった。こうした技術・輸送の発達に加え、最新産業への投資意欲に支えられ、ゲイル・ボーデン、ヘンリー・ジョン・ハインツ、ジョゼフ・キャンベル、ウィリアム・ケロッグといったアメリカの企業家たちは、缶詰入り牛乳・ピクルス・朝食シリアルといった製品を市場に登場させた。味は劣るとしてもそれらの安さ・均一性・それなりの安全性・そして何より利便性が消費者に―農村から都市に流入し、労働の賃金で生活するようになり、時間に追われ、料理に時間をかけることができない人たち―に歓迎されたのである。

ヨーロッパでも同様にポテトフレーク(粉末)や固形スープが歓迎され始めた。スイスのヴェヴェーという町で、

化学者であり化学肥料の製造者でもあったアンリ・ネスレは小麦粉や佐藤と「健康な牛乳」を混ぜたキンダーミールと呼ばれる幼児用シリアルを作り、工場の仕事に追われて赤ん坊の世話ができないスイスの労働者階級の母親向けに販売した。「私の発見にはすばらしい未来がある。一度試した母親は必ずまた買いにくる」とネスレは書いている。

調理済み商品の需要は急激に増大し、ネスレのほか、ハインツ、ゼネラルフーズ、ケロッグ、ポスト、アーマー、スイフト等の企業が次々に商品を発売した。1937年にはクラフトが「9分で4人分の食事を作ろう」という売り文句で「マカロニ&チーズ・ディナー」を、1939年にはネスレがネスカフェを発売、コーヒーファンは豆を炒り、挽いて、沸かす手間をかけなくてよくなった。

 加工食品の普及によりメーカー同士の競争も激化した。野心的企業は、チョコレートチーズといった一つの製品、

あるいは一つの国の市場の独占だけではあきたらなくなった。収益を増加させ続けるには、すべての主要な食品のカテゴリーと全ての地域の市場で優位を保つ必要があると考え、次々に世界中に進出を始めた。ネスレは何百ものヨーロッパの小規模な食品会社を買収し、取り扱い品目をチョコレートから乳製品、コーヒー、スープ、ソース、

冷凍魚、野菜にまで広げていった。

しかし、世界ブランドを目指したこれらの企業も当初は苦労した。ほとんどの国が食品の安全や衛生、包装容器の大きさ等々につき独自の基準や規則を設け、また外国企業の国内企業への出資を禁止したりしていた。そこで大手食品会社はこうした、そのグローバルな発展を阻害するこうした基準の緩和を求めてロビー活動を展開し、コーデックス規格として知られる、国連が管轄する国際食品規格の制定を実現させた。また国家間の資本移動に対する緩和を各国政府に要求し、ネスレのような利益追求型企業が外国企業を買収しやすい環境を整えた。