※ 数年前「新しい歴史教科書を作る会」が出たときに、これを採択した自治体・

私立学校はほんとうに少なかったけれども、同会ないし同会に資金を出しているグループは目的の過半を達成したのである。それまで中学校歴史教科書の、圧倒的シェアを占めていた日本書籍の教科書の採択が激減し、代わりにスタンスがはっきりせず、歴史を何のために学ぶのかという目的意識が不鮮明な東京書籍を採択する自治体が激増した。

  このとき当市でも東京書籍のものが採択されてしまったのだが、教育委員会を傍聴しにいったところ、何とかという校長が、「日本書籍は難しいのではないか」などと言っていた。「難しい」というのは、日本では、“その主張を私は容れたくないのです”ということを意味する。

  日本書籍の教科書は、フランス革命後の人権宣言の扱いが大きいことに特色があった。例えば帝国書院のものも、原爆の被害については、亡くなった少女の被爆前後の日記などを載せるなど、部分的には優れた箇所もあるが、トータルとしてのパッションというのか、それが不足。

 フランス革命が、たとえ○スチャイルドの指示と資金によったものだとしても、ブルジョワジーが、王侯貴族の権力を否定する意図でもちだした権利という概念は、その後の歴史の展開の中で意味が充填され、誰の、ということなく、すべての人間のもの(人権)というように拡大されて認識され、容認されてきたのである。

 作る会は、パッションがあること自体では郡を抜いている。ただし、そのパッションは、日本書籍のような、どうしたら戦争を防ぐことができるかという内容のものとは正反対の方向のものである。つまりこの会の教科書は、日本民族は天皇を中心に結束して領土拡大に励むべきであるという主張で統一されている(日本民族とは誰のことなのだろうか)。そこでは人権概念は大きく後退している。

 この会が名乗りを挙げた背景は:イラン・イラク戦争で、日本の商社が利権を有している油田が危なくなった、それで油田など、外国での利権・資源・工場を守るために軍隊を出せるような国に戻したいという財界の要望が強まった[斉藤貴男さん談]。こういった要望を愛国心といった、多くの、国家とは何かという近代憲法をほとんど学んでいない人たちが否定しにくい概念で包み隠しているのである。

 またサッチャー政権の頃イギリスで、過去の歴史の醜悪な部分は葬ろうという動きがあり、奴隷貿易もしかたがなかったといった扱いをしようという動きが出てきていた。これをとりいれて、これまた、過去の過誤をきちんと見詰めて同じことを繰り返さないようにしようという意図で書かれている歴史の叙述を“自虐史観”だと言い募る人物(藤岡信勝東大教授)が出てきたのである[俵儀文さん談]。

 今回また育鵬社という出版社が参入したそうだが、これまた、当初「作る会」を出していた扶桑社のバックであるフジ・サンケイグループの傘下の出版社らしい。つぶれて、いったん立て直したものの、ついに検定申請できなくなってしまった日本書籍(新社)と異なり、さすがに資金潤沢である。


 以下転載自由だそうです:

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今年度の中学校歴史および公民教科書の検定申請が21日までに締め切られ、
それぞれ下記の7社8点が受理されました(かっこ内は発行者番号と略称)。
来年3月末か4月上旬に結果が発表されます。
 
 東京書籍(2 東書)
 教育出版(17 教出)
 清水書院(35 清水)
 帝国書院(46 帝国)
 日本文教出版(116 日文)
 日本文教出版(116 日文)=旧大阪書籍版
 自由社(225 自由社)=「新しい歴史教科書をつくる会」が設立
 育鵬社(新規参入)=「教科書改善の会」主導。フジサンケイグループ
 
既報の通り、日本書籍新社(222 日新)は申請しませんでした。
 
「つくる会」は声明を発表しています。
http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_272.htm