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日曜に、刈羽原発に関する集会に行ったと書きましたが、そこにあさこハウスの
あさこさんが主人公の絵本を出している出版社(太陽への道社)の人が来ていたので、前からちょっと気になっていた、三橋辰雄さんという方の著書を買いました。題名は『偽りの日本史』。おそろしい本で、こんな集会、行かなければよかったとおもうくらいです・・・
三橋さんによれば日本の歴史は、先住民を大陸から渡ってきた民族が北の隅と南の隅に駆逐した過程であると。
ヤマタのオロチのヤマタもその駆逐された民族のことを表すのかな・・・・三橋さんという苗字もその系統なのであるらしい。
もっともこのことは、文部省検定教科書にも、征夷大将軍、蝦夷、熊襲といったで示唆されていますが。
三橋さんが書いていることがほんとうなら、以前から書いていることですが、アイヌと沖縄は近い・・というか同一の文化をもっているのは当然ということになります。
昭和天皇も、自分も“渡来人”の血が混じっていると述べていたと、どこかで読んだことがあります。
わたしは、これほど六ヶ所が気になるのは、遠い先祖がその駆逐された民族なのかもしれません・・・
平家などもその駆逐された民族に属するというのですが・・・あるいは楠正成も。
(以降の“天皇家”は、このとき絶えた(?)楠正成が仕えた南朝ではなく北朝の系統だとうのがわたしの理解だったのですが、。これについては大逆事件の直後に、“南北朝正閏論”が大政治問題になったことがありました。を検索してみると、少なくとも1911時点での政府は南朝を正統と“決め”たようで、1930年代には、尊氏を多少もちあげるようなことを雑誌に書いたというだけでやめさせられた大臣までいたようです)
平氏は源氏に敗けて、各地に落ち延びていったという話はあまりにも有名ですが、
そのことを、日本先住民が北と南に駆逐された過程として見たことはなかった。
因みに三陸の宮古のアクセントは、ミを強くしてはいけない、アクセントはどの音にも置いてはいけない、つまり「都」と同じなのだそうです。土地の人から聞きました。
これは平氏の落人<おちうど>が、京都を懐かしんでつけたが、おそれおおいので字だけは変えたというのです。
この本にとても恐ろしいことが書いてありました。それは追分という語の語源です。
駆逐の過程で、体力が強そうな人だけを奴隷にして”中央”に連れ帰り、弱そうな人は追い返した、そういう場所に追分という地名が残ったと。
この追分という語の語源についての説明を読んで、民という字の語源も思い出してしまいました。、奴隷の目に何だったか非常に尖った刃物か何かを、反抗の制裁としてなのか、見えないようにというのか、その見えないというのも、物理的にではなく比喩的な意味でか、よくわからないのですが、支配者が刺した、その形なのだと。
連れ帰られた奴隷のうち、生き残って奴隷として子孫を増やして、そのシステムの中で器用に生きることに矮小な幸福を見出したような人たちの子孫(の一部)が、〇産省や〇力会社などに入って、支配階層(の手先)という地位に満足して、昔、親戚や隣人のものであった空(=土)と海を放射能まみれにするようなことをしているのでしょうか・・・
あちこちに原発を建てる、その政策なかでも、いちばん危険で嫌われる工場を六ヶ所におしつける。侵略はまだ続いているのです。。
別に駆逐された過去を恨んでいるわけでもないし(というか私が駆逐された人たちの子孫かどうかもわかりませんが)、復讐しようというわけでもないのです。ただこれは確か。空と海が汚れては、誰にも、またどこに住んだとしても幸福はないということは。空と海は一続き。またお金で安全な水と植物は買えないということも。早く気づいてくれるといいな。