*わかめの会の友人のレポートを転載します:


五福竜丸は1954年3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被曝した。


3月23日、仙台わかめ有志で、第五福竜丸展示館事務局長 安田和也氏 にたっぷりと2時間を超えてお話を伺った。
以下はその報告である。


第五福竜丸展示館は当時の美濃部都知事が「都議会の満場一致がなければ建設しない」と明言し、建てられたものだという。
現在でも共産主義的な色眼鏡で見られたりすることがあり、木造の遠洋漁船の資料としても貴重であるという建て前をつけて、平和の遺産としての存在意義を担っている。
ちなみに第二次世界大戦中、多くの漁船が軍属として徴用され、監視業務などに当たった。
戦後、GHQは世界有数の日本の海軍の国力を恐れて100トン未満の木造船の造船許可しか出さなかった。
事実、福竜丸はその時代の唯一の貴重な資料となっている。
第五福竜丸は当初、ビキニ環礁に行く予定ではなかったが、漁を求めて南下し、ヒロシマの原爆の1000倍、15メガトンの水爆実験に遭遇してしまう。
乗組員23名は急性放射線障害にかかり、船体も漁獲したマグロも汚染された。
福竜丸は3月14日に焼津帰港、15日には重傷者2名が東大病院に、他の乗組員は国立第一病院に入院した。
無線長の久保山愛吉さんは重症ながら、若い乗組員の統率を図るために国立第一病院に入院したが、同年9月多臓器不全で他界。初めての死亡者となった。
翌3月16日、読売新聞の記者(村尾)がこの被曝のニュースを社会面一面にスクープ。

たまたま原子力特集をしていたため、知識の上に立った報道がなされ、世界へ発信された。
福竜丸は政府が買い上げ、洗浄された後、大学練習船となり、67年に敗戦処分となった。
船体は夢の島に放置され、埋立地に沈められる予定であったのを、市民の呼びかけによって保存委員会が発足し、71年、船体を夢の島公園予定地に上陸固定し、73年、財団法人第五福竜丸平和協会が設立された。
都立第五福竜丸展示館が開館したのは76年12月。展示館の前には久保山愛吉記念碑がある。
この不運な出来事は、しかしその後の原水爆実験禁止の大きな一歩となっている。
この記者は翌年、菊池寛賞を受賞し、千葉にある「放射線医学研究所」はこのビキニ事件がきっかけでできたものである。
原子力が推進されれば、当然、被曝についても調べる必要性があり、結果としてヒロシマ、ナガサキの治療も大いに進んだ。
当時のアメリカが日本に対して補償したのは7億。日本の実損被害は24億といわれる。

(記録に残る汚染魚捕獲漁船だけでも856隻)
被曝後、わずか半年で亡くなった久保山さんに国が出した慰謝料は500万。他は一人200万だった。
また、ビキニ環礁のすぐ南にあるロンゲラップ環礁には島民100名ほどが住んでおり、みな当然のことながら被曝し、その後に退去させられている。
明らかにアメリカの水爆の影響を知るための人体実験であった。
被曝した彼らは治療されることはなく、ただただ観察され続けたという。
米ソの核競争の、許しがたい、反人道的人体実験である。


以下、安田氏の資料には

ビキニ水爆被災事件の意義

① 日本国民に原水爆の恐ろしさと放射能の危険を知らしめることとなり、世界的な影響を与えるに至った。それはラッセル・アインシュタイン宣言に明らかである。

② 米ソの核軍拡競争を浮き彫りにし、きたない水爆・環境への影響などに対する国際的な批判世論の高揚は、核保有国にとって国際世論や平和運動が脅威となることも示したといえる。

③ 日本では、国民の主要タンパク源のマグロ、魚への不安、5月頃から各地に降り始めた放射能雨など国民の日常生活を「水爆実験」が襲い、原水爆反対の世論は瞬く間に広がっていった。と同時に、1952年4月のプレスコード廃止以来、浸透しつつあった広島・長崎の原爆被害、ヒバクシャの実情を広く国民的に知らせることを加速させた。

④ 原水爆禁止運動の基点となり、翌年の原水爆禁止世界大会の開催など、国民的な平和運動、国民の平和思想形成に少なからぬ影響を与えた歴史的事件であった。

とある。


第五福竜丸展示館は開館して33年、入館者数は450万人を超えた。

近年は少子化、近隣の人気施設のオープン、学校現場のゆとりのない実情などの影響で見学校が減少している。
こうした諸状況は、「第五福竜丸を知らない世代につたえたい」を日常的な運営の柱に掲げている展示館の課題となっており、見学校を増やしたり、被災50周年の記念事業の一つとして、館外での展示の呼びかけやメディアへの働きかけを行っている。
また、「親子平和ツアー」などの取り組み、「船大工の技と仕事」展、絵画、コンサートとのコラボレーションなど、被曝問題や核問題だけでなく、第五福竜丸と結んで美術や音楽など多用な企画を作り出すことで、第五福竜丸にあまり関心のなかった層に、その鑑賞を通じて第五福竜丸とのつながりを新たに創り出している。

第五福竜丸の事件は核問題を含む平和問題を考える時の大きなきっかけを与える。
また、戦中戦後、という大事な時期を考える上でも大切な歴史的資料である。
「ここは世界の入り口」と詩人アーサー・ビナートは展示館をこう評したそうである。


第五福竜丸を通じて、私たちは多くのことを学び、世界を知り、未来を創造するための指標とすることができる。


☆近くに行く折には、ぜひ来館をお勧めします☆

第五福竜丸展示館
開館時間9:30~16:00まで(月曜休館) 入場無料
東京都江東区夢の島3-2 夢の島公園内
03-3521-8494

JR京葉線、地下鉄有楽町線、りんかい線「新木場」下車、徒歩10分。
地下鉄東西線「東陽町」都バス(木11)新木場行きに乗り「夢の島」下車徒歩3分。