C生協の会議で:今までC生協全体の大きい行事の主体は”実行委員会”で、事実上理事とその手足となる職員が中心だったとはいえ、一般組合員から委員を募集していたのだが、09年度から主体は理事と職員だけになるのだと知った。それで、それは理事会の権限を一層強め、一般組合員の地位を低下させることであると意見を言った。

 ところが、”理事は一般組合員の意見を聞きながら動いてきたし、これからもそうである。”とか”理事がそのように(組合員の利益と対立的な存在として)見られているのは残念”といった回答。

 個々の理事が一般組合員の意見を聞いて、をれをとりいれているという実態があったとしても、それを制度的に担保できる枠組みを維持することが重要だという、わたしの言おうとしていることが伝わっていない。


 C生協の行事の運営がどう行われようとそれ自体は大した問題ではない。ただこういう政治意識がポピュラーであるということに改めて気付かされた。国・地方自治体の議員の選挙の際、政党とか主張自体を検討せず、個人個人の”為政者”や”行政官”が真面目にやればだいじょうぶ(ということはないのだが)として、その候補者の抽象的な”人柄”で誰に投票するか決めてしまうーーそういう自分で自分の首を絞めるような投票行動と共通のものを、今日の回答に感じた。