WikiPediaから「朝鮮進駐軍」が消されています 菅談話阻止 | 産経新聞を応援する会

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日韓併合100周年を記念して

韓国は 日本に謝罪と感謝の談話を発表して当然



            これよりニックネーム:syouwa_jp さんより転載


〘 正史から隠滅された鬼畜の行い 〙

 「鬼畜米英」とは大東亜戦争中に敵国たる米・英を評した言葉ですが、それまでの植民地での行いを知るにつけ、的外れとは言えません。

 しかし、文字通り「鬼畜」であったのが「朝鮮族」だということを、正史は現代に伝えています。

 その「鬼畜」の歴史を隠蔽し、自画自賛の英雄妄想に酔っているのが現代の朝鮮族です。

 知る者は知る。

 知っているのは日本人だけではありません。

 日本には「分際をわきまえる」という戒めがありますが、朝鮮族の恥知らずの歴史はその様な美徳の一片だに有していないとしか思えません。

 とはいえ、ほんのわずか、朝鮮族の中にも「公明正大」な人物がいるのです。

 こういう人が、本来ならば朝鮮族の未来を担うべきでしょう。

 日本人には、金儲けに狂うが故に、日本に唾を吐きかける「歴史歪曲の容認」に走るクズが増えましたが、本来、日本に革命を起こそうとするカルト左翼売国奴が「客観的な史実」を公正に扱おうとしていれば、ここまで国益を損なう事態にはなっていなかった筈なのです。

 今回は『産経新聞を応援する会 』さん、『かつて日本はうつくしかった 』さんから、朝鮮族が必死になって日本人の目から隠している残虐・無法な行為の史実を転載いたします。





-悪時は、「korean says I`m a Japanese]ですから-


『金完燮{親日派のための弁明}の未翻訳部分』

 (実際、悪いことをした時は、「korean says I`m a Japanese]ですから)

話がとんでもないところまで行ってしまい、すみません。

でも、国際情報戦では日本はず~とやられぱなし。
かなり うっぷんが溜まってしまている 今日このごろです。

                                         引用終わり






『消された歴史「朝鮮進駐軍」』


(2010-08-02 「産経新聞を応援する会」)


 私は生粋の韓国人だ。でも,韓国 人というものがあまりにも情けなく,えいっと殺してしまいたいときがある。なぜ日本の蛮行は暴くのに,自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか? 

 日帝時代,朝鮮に移り住んだ日本人の中には,明らかに立派な人々も多かった。ところが,和夫一家殺害事件のように,韓国 人は自分たちの間違いを,日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し,事件を矮小化,隠蔽しようと躍起になっている。和夫の亡骸は,釜山に大切に移葬され,毎年,日本人の墓参りが絶えない。

 以下は,和夫夫婦が死んだ日,ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。事件当時,金ソンス君も加害者だったが,殺害行為には同調しなかったそうだ。

      
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 和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。地主とはいうものの,和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって,乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。

 公務員だった和夫は,政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。そのころの日本は,一種の軍事独裁体制で,政府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。

 当時,朝鮮にいた日本人地主のなかには,朝鮮人の小作人たちから,法の規定以上の小作料を取り立てる,怪しからぬ人々もいたが,ふだんから人情味の厚かった和夫は,小作料を収穫全体の十分の一とし,村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。自分たちの生活が困らなかったので,総督府の命令にしたがって,やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。

 貧しい小作人が食料がないと泣きつけば,喜んで食べるものを分けてやったし,村で誰かの葬礼があれば,家族総出で駆けつけ,食事の支度はもちろん,自ら慟哭して,悲しみを分かちあうこともあった。このように,和夫は人間への温かい愛情をもった,真の人間だった。

 また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え,四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども,和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。

 和夫の家族は,ふだん,このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。
 
 その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。神は,自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 

 彼がわが子のように育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青年たちが,斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。

和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。

和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは,私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた結果は,つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。

A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれたちはどうやって食っていくんだ?)

B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。

 間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に,数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。このとき,和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは,和夫の妻を見て,彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。

 そしてなんと13人がかりで,ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を,強姦しはじめた。(金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに入ったら,自分も殺されただろうと言った)。強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。

 和夫には,一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは,放課後,家に帰ってきて,両親の身に起こった惨状を見,気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に,近隣住民たちは眠れなかったそうだ。その後,孤児になったヒミコは,食べ物を乞おうと,その付近をさまよったが,朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず,知らないふりをした。

 結局,彼女は9日後,村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時,ヒミコは小学校6年生の見て,彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。

 そしてなんと13人がかりで,ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を,強姦しはじめた。(金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに入ったら,自分も殺されただろうと言った)。強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。

 和夫には,一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは,放課後,家に帰ってきて,両親の身に起こった惨状を見,気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に,近隣住民たちは眠れなかったそうだ。その後,孤児になったヒミコは,食べ物を乞おうと,その付近をさまよったが,朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず,知らないふりをした。

 結局,彼女は9日後,村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時,ヒミコは小学校6年生の幼子だった。和夫の財産は,勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り,この事件は村人たちの沈黙の中,しだいに忘れられて行った。


 この文章は,ある読者からの手紙にあったものだが,冒頭,韓国 人が反省し作成したものと書かれているものの,「和夫君」,「和夫さん」などの日本的な呼び方が混じっており,最後の部分に朝鮮人に対する軽蔑に満ちた文章(削除した)が含まれていたことなどを勘案すれば,韓国 語ができる日本人が書いたものではないかと思う。

 いずれにせよ,この事件について聞いたことがあるという韓国 人も多いことを見れば,実際に釜山地方で発生した事件のようであり,また韓国 による植民地被害の主張に対する,日本人の対抗論理をかいまみることのできる珍しい例として,決して重みが失われない文だといえよう。

 振り返って考えてみれば,日本の敗戦後朝鮮半島では,このような殺害劇がたくさん発生しただろうと思われる。日本の無条件降伏以後,北韓地域にはソ連軍がすばやく進駐し,軍政を敷いたが,南韓に米軍が上陸したのは9月中旬だった。

 したがって,約1カ月程度,南韓地域には無政府状態が続いた期間があった。韓半島には,さまざまな理由で日本人とそれに加担した者たちに恨みを抱く朝鮮人たちが多かったろうし,彼らは日本人を殺し,財産を強奪し,日本女性を強姦しただろうと思われる。

 そして,朝鮮人たちが8月15日,日本の降伏を喜んだいちばん大きな理由は,おそらく,日本の一部として敗戦国の暗澹たる未来 をともにするのが嫌だったためではなかろうか。日本統治の最後の期間,特に大東亜戦争が始まった,最後の4年間は,日本人はもちろん,日本の統治を受けていた地域の住民たちも,大きな苦痛に見舞われた時期だ。

 それゆえ,朝鮮人たちにとって8月15日は,忌まわしい戦争の苦痛から脱することのできたという点で,また日本人たちを殺し,財産を奪える機会が与えられたという点で,とても喜ばしいことだっただろう。

 問題は,韓国 社会において,朝鮮人によってほしいままにされたこのような虐殺と残酷な行為はまったく知られておらず,また調査されたこともなく,朝鮮人が受けた被害だけは,繰り返し強調されているという点だ。そして日帝統治の期間に受けたとされる被害なるものも,事実よりずっと膨らまされているだろうことは,容易に想像がつく。

 朝鮮は日本の統治を受け,未開な農業社会から短期間に資本主義工業国へ発展し,高い生活水準を享受してきた。しかし,日本が戦争に負けるやいなや,素知らぬ顔で,まるで自分たちが戦勝国にでもなったかのごとく,日本を呪詛し,彼らの財産を奪い,虐殺した行為は,明らかに人倫に悖る犯罪行為にほかならない。

 このようにして日本人をすべて追放したあと,南韓国 と北韓国の政府は,強奪した日本人の土地と工場を「敵産」と呼び,堂々と山分けした。

 もし日本が戦争で勝利したり,少なくとも領土を保全され,休戦にでもなったなら,はたして朝鮮人たちはこのように振る舞えただろうか。おそらく,前よりもっと自発的に日本人であることを主張しつつ,忠誠を尽くしただろう。

 ところが,戦争に負け,くっついていても別にいいことがないと判断した瞬間,彼らは態度を急変させ,日本に仇として接し始めたのだ。



Commented by 不昧因果 さん
これほど朝鮮人の性格、行動を表したものはないでしょう。
どれだけ親身になってたすけたとしても無駄です。
恩を仇で返す
これは朝鮮人のためにある言葉です。
そして今までお母さんと呼んでいた、母親のような女性をも強姦する。

強姦は彼らの得意ワザです、日本人の感覚では理解不能のレベルです。

そのあとの殺害方法も彼らの残虐性がよく現れています。
当時の半島ではごく普通にあったことではないでしょうか。
戦後日本国内でも警察署を襲うぐらいは、へっちゃらの連中でしたからね。

これを映画化したら面白いのですが、在日、反日の反対運動は期待以上盛り上がるでしょう。映画関係者に死人がでても、殺人者を擁護正当化したりしてね。

ベトナム戦争 での韓国 兵の残虐な行い(虐殺、レイプ)は有名なので、こちらを先に映画化して、一般に受けられるようにする。
 (注)このときは米国 人は正義の人で出演、日本人は登場しない

戦後のどさくさに彼らが日本で行ったさまざまな不法行為を映画、テレビ化する。

そして、あの「南京大虐殺」も「中華帝国3000年の支配の恨み」をはらすために、「日本軍の軍服を着た朝鮮人の行為」であり、罪を日本人に負わせたものである、これも映画化。


(2010-08-02 「かつて日本はうつくしかった」)
 

WikiPediaから「朝鮮進駐軍」が消されています。


どうやらハングルネームの方が削除に一生懸命働きかけたようです。一個人が削除を働きかけただけでなく、そっち系の団体か政治家が動いた可能性があります。
 
田中明 日本人の見た戦後日韓関係 「現代コリア」1992年12月


「敗戦直後の在日朝鮮人は、敗戦国の無力な警察を嘲笑しつつ、暴力と脱法行為で虚脱状態の日本社会を我がもの顔に横行した。超満員の列車から日本人を引きずりおろして、自分たちが占領するといった光景は、決して珍しいものではなかった。くどくどいうのは控えたいが、その有様は、かつて居留民団の団長をし、本国の国会議員にもなった権逸氏が、著書『回顧録』のなかで『今でもそのときのことを思い出すと、全身から汗が流れる思いがする』と書いていることから想像していただきたい。そうした姿は『朝鮮人=無法者集団』という印象を日本人の胸に強く植え付けた。外国人の指紋押捺制度が1955年に採用されたのも、上記との関連があった。朝鮮人による外国人登録証明書の不正受給や偽造変造があまりにも多かったのである。密航者のための登録証偽造や、実在しない人間の登録証を役所に作らせて(脅迫や買収が絡む)それを売ったり、そうした幽霊人口によって得た配給資料をヤミ市場に流すなど、さまざまな不正があった」

毎日新聞社編「白い手黄色い手」1956年
「完全な無警察状態 - 。そのいい例が24年春、東京深川でおこった枝川町事件である。朝鮮人4人組が月島の織物問屋から純綿八十二反を盗み出して巨利をせしめた。犯人の身元がわかり、深川署の刑事二人が逮捕状を持って(略)出かけたところ、(略)逆に"不審尋問”され、袋叩きの目にあった。当時の朝鮮人の鼻息がどんなにすさまじかったか、容易に想像できる。"見まい、聞くまい、振り向くまい”深川署の刑事たちはそんな言葉で自分たちの無力を嘆じあったという」


 いくらがんばってもやったことは消えません。終戦直後から朝鮮人は「お前ら四等国民の日本人がわれわれ二等国民である朝鮮進駐軍に指図するとは生意気な!」といって横暴を繰り広げました。鳩山一郎(前総理の祖父)が半殺しにされたのは有名な話です。昭和20年10月には「在日本朝鮮人連盟」が結成され共産主義組織となり占領軍と対立するようになります。メーデー事件、吹田・枚方事件、大洲事件などがあります。

 こうした朝鮮人の加害性は80年代以降にメディアによって「被害者」にすりかえられて、現在でもWikiの削除や「ヨーコ物語」の弾圧に見られるように歴史抹殺の動きにきています。しかし、こうした歴史の捏造・歪曲はどこかに反動がくるもので、それがネットに吹き出ており、本記事もそのひとつに数えることができます。



参考文献
 「在日・強制連行の神話」鄭 大均著
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」『朝鮮進駐軍と三国人』詠清作
参考サイト  
 ウィキペディア「朝鮮進駐軍」記述削除問題
   http://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t/e/e13d47e72dfcc4572a9645164785ef02

関連記事
 ならずもの韓国人が被害者になった歴史
   http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/23842540.html
 朝鮮進駐軍の横暴
   http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/20610370.html

   



 いや、しかし、以前にも記しましたが、この記事を書いている最中のI.E.の緊急停止の多かったことと言ったらW
 外部からの攻撃があればI.E.は、遮断・緊急停止するのですが、この記事の時だけですね、こんなに多かったのは。
 もちろん、ウィルスバスターは入れていますし、頻繁にスキャンしますので、PC本体には何の問題も起きてはいません。
 それにしても、よほど知られてはまずい内容であるようです。


 朝鮮族は姑息で下卑た性根を改め、きちんとかつての宗主国である日本に謝罪せよ!!


                                     転載終わり


在日朝鮮 韓国の皆様
貴方達の一部の人々は特権を利用したとはいえ、
日本で経済的に成功した
その経済力で本国に対して,
今、真実を暴き、本国に貴方達の人権の回復を
認めさせる力が、謝罪させる力を貴方達は持っていますよ
歴史的呪縛から解放されるためにただ一言

「朝鮮に上士も下士もない、みんな同じ朝鮮人だ」
そう、叫ぶだけで、貴方達は朝鮮の坂本龍馬になれます。


貴方達が真実を語り、本国と向き合うというのなら、対立や摩擦を乗り越えて
貴方達を受け入れた日本人が貴方達を応援しますよ。


菅談話絶対阻止 村山談話撤回

$平沼 「たちあがれ 日本」 を勝手に応援!!

私たちは、日本人が日本人の手で、特亜や売国勢力より押しつけられた自虐史観と決別し、真実の歴史を取り戻す決心をしたことを世界に宣言します。