奥出雲では古くより鉄山師を頂点にした「たたら製鉄」が発達し、和鋼の産地として栄えてきました。
日本一の山林王といわれる「田部家」は、室町時代に十代彦左衛門が神のお告げにより、現在の雲南市吉田町でたたら製鉄業を起こしました。
幕末から明治末期の最盛期には、島根県飯石郡(242.84平方メートル)の大部分、2万5000町歩にもおよぶ山林などを所有していました。その広さは東京ディズニーランドの490倍、東京ドーム5300倍以上にも相当します。
また同時期には、国内需要のおよそ7割にも及ぶ鉄を生産したといわれています。
その栄華のシンボルである土蔵群は、町の人たちの誇りです。
土蔵群の奥に居を構える田部家の門前で出迎える枝垂れ桜は、1929(昭和四)年に移植されたものです。
樹幹周囲2.2m、樹高7m、枝張り東西12m・南北16mにもおよぶたいへん立派なものです。その樹齢は、240年を超えるといわれています。
なお、敷地内への立ち入りはご遠慮くださいということでしたので、本町通りから鑑賞いたしました。
近くの高台にある公園から、土蔵群の石州瓦に囲まれて見える枝垂れ桜の姿は美事(みごと)なものです。
この高台からは土蔵群はもちろん、鉄山師の町が一望できます。
まちを貫く本町通り沿いに軒を連ねる、田部家ゆかりの家々。
たたら製鉄において、いまでいう技師長にあたる村下(むらげ)を務めた者の屋敷や目代屋敷、田部家の家庭医であった渡辺家(現 鉄の歴史博物館)、かつての村役場(現 商工会館)などが軒を連ねています。
先日、TBSで放送された「LEADERS リーダーズ」、そのロケが田部家土蔵群前の本町通りで行われました。
田部家で働くものの衣服を染めていた紺屋の元締めの屋敷なども残っています。
本町通りの奥には小路が血管のように巡っています。商工会館手前の下綿屋小路から山側に入ると田部家の東側へと通じています。
田部家の裏を走る通りには、「鐡」と書かれたプレートが嵌め込まれています。
通り名は、後路小路(うしろみちこみち)
元治2年(1865年)の大火により、本町通りを隔てて南側にあった田部家の旧宅が焼失したため、現在の場所に屋敷を移したとあります。
元治といえば、京都で長州・土佐の両藩の尊王攘夷派の志士を新鮮組が襲撃した「池田屋事件」や長州藩と会津藩が激突した「蛤御門の変(禁門の変)」が発生した幕末の動乱期ですね。
先が見えないほど長く続く塀と桜。
室町以前、鎌倉時代から営々と続く田部家の当主は代々「長右衛門」を襲名します。現当主の襲名はまだですが、いずれ「第二十五代長右衛門」となられるようです。
興味深いインタビュー記事がありましたので、興味がおありの方はご覧ください。
本の話WEB 「知られざる日本の山林王たち」 野村進 著
田部家土蔵群は、松江自動車道の雲南吉田ICより約3km、車で3分ほどの距離にあります。