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第1章 憲法とは何か(2) 立憲主義(法の支配)



さて、ここで、憲法学の意義にも触れておく必要がある。

前述した如く、憲法、いつくしきのりとは規範國體であり、國體を護持していく為に、國體そのものに含まれている規範である。

従って、憲法学とは、國體を護持する為の規範を体系化し、その為の理論を構築していくことをその本旨とするものである。

では、國體を護持していく為に、求められる理論とはどのようなものであろうか。すなわち、憲法学においては、どのような理論がその基礎として求められているのであろうか。

実に、それこそが立憲主義(法の支配)である。

我が國は、神武肇國以来の数千年、天壌無窮、万世一系の皇統を中心として、万邦無比の國體を形成してきた。國體こそは日本人らしさであり、我々が祖先から継承、相続したものであり、これを子孫に伝えていかねばならないものである。

國體を護持するには、規範國體たる憲法(いつくしきのり)を守らねばならないのであるが、我が國においては、天皇や、時の為政者らは皆、意識的に、または無意識的も、政(まつりごと)を行う際には先祖から継承した道徳や慣習、伝統などという規範、すなわち規範國體に従い、これを行ってきたのである。

実に、天皇といえども國體の下にある、のである。

例えば、皇位の男系男子継承が、近代に至るまでは成文化されることなしに、古来より現代に至るまで守られていることは周知の事実であるし、天皇の役割が祭祀と統治たること、そして天皇は統治すれども親裁せず、であることも、古来より現代に至るまで、微塵も揺らぐことなく守られてきたものである。

また、現代の法律学にいうところのいわゆる「立法」が為される場合には、時の為政者は必ず、規範國體その他、祖先から継承してきた道徳や慣習、伝統などの不文の規範を斟酌し、これを成文化して立法したのである。

例えば、聖徳太子による憲法十七条(いつくしきのりとをあまりななをち)は、聖徳太子が恣意的に立法されたものではなく、当然守るべきとされていた規範を成文化したものである。

また、これは武家社会の規範ではあったのだが、北條泰時による御成敗式目(貞永式目)もまた、北條泰時が恣意的に立法したものではなく、当時の武家社会の慣習などを成文化したものが中心となっていることはよく知られている。制定者である北條泰時自身が、「泰時書状」の中で、「ただ道理のおすところを記され候ものなり」、すなわち、御成敗式目とは、「道理」(=慣習など)を成文化したものである、とはっきり述べているのである。

このように、我が國において、立法にあたっては、為政者の恣意によるのではなく、先祖から継承してきた道徳や慣習、伝統などに従うべし、ということが守られてきたのであり、それが我が國本来のあり方である。

我々の父祖らがこのように、無意識的に従っていた伝統的な立法のあり方によれば、國體を守り、これを正しく子孫らに継承することができるのである。我々の父祖らはこのようにして、國體を子孫たる我々に伝えてくれている。当然のことながら、我々もまた、父祖の例に倣い、國體を子孫へと伝える崇高な責務を負うのである。

さて、いわゆる近代に入り、我が國においても学問としての法律学ないし憲法学が構築されてきた。我が國においては、学問体系としての憲法学を含む法律学は、ヨーロッパのそれを範として構築されてきたのであるが、それは特にドイツやフランスにおける法体系、いわゆる大陸法によるものであった。

大陸法とは、いわゆる成文法典を法体系の頂点とし、裁判所の出す判例はこれに基づいて出され、慣習法などもこれを補足、従属するものとして扱われるのをその特徴とする。


<大陸法の法体系>

成文法典 → 判例、慣習法など



しかし、これに対して、英米法という法体系も存在する。英米法においては、コモン・ロー(慣習法)などの道徳、伝統、そして裁判所の出す判例などが法体系の頂点にあると考え、成文法典というものは、あくまでもそれを確認して成文化されたものでなければならないというものである。


<英米法の法体系>

コモン・ロー(慣習法)、道徳、伝統、判例など → 成文法典



さて、このように、英米法と大陸法はその法体系において対照的な特徴を有するのであるが、このように見てみると、今現在、我が國のいわゆる“憲法学”と自称する学問が、憲法典(成文憲法)を法体系の頂点においていることは、果たして、國體を護持するという観点からは、適切なことであるだろうか。

先に述べたように、およそ真正の憲法学においては、憲法学の本旨は國體の護持でなければならない。憲法学とは、國體護持を本旨として理論化、構築されたものでなければならないのである。

そうであれば、我が國における憲法学は、規範國體を法体系の頂点に置かねばならないのは自明の理である。各時代の人の理性に土台を置く成文法典を頂点においては、不文の規範である規範國體を守ることはできない。

また、先に述べた、我が國古来の立法のあり方に照らしてみれば、近代以降のいわゆる“憲法学”が、法体系を大陸法に借り、憲法典(成文憲法)をその頂点としているのは、我が國古来の先祖から継承した道徳や慣習、伝統などを顧慮した立法のあり方に、明らかに反するものであることは明らかである。

すなわち、我が國の憲法学とは、我が國の規範國體(憲法・いつくしきのり)をその対象とし、これを体系化、学問として理論化するにおいては、一般に“憲法学”として構築されている、大陸法による、憲法典(成文憲法)を頂点とする憲法学ではなく、英米法による、先祖から継承してきた道徳や慣習、伝統などを頂点とする憲法学によらねばならないのである。

つまり、我が國における真正の憲法学とは、規範そのものの内容は我が國の古来の道徳や慣習、伝統などにより、学問体系としては英米法の形式と法理論を借り、構築されるべきである。

このような形式と実質を備える憲法学であって、初めて我が國の國體を守ることに裨益するものとなるのである。

従って、我が國における憲法学の法体系の基本、根幹は、


規範國體(憲法) →(成文化)→ 憲法典(成文憲法)→ 法令など


とせねばならないのである。

つまり、國體を護持し、これを子孫に伝えていくには、規範國體を守り、憲法典(成文憲法)を起草するに当っては、これを成文化せねばならないことになる。また、通常の立法権や行政権、司法権の行使においても、先祖から継承してきた古来の道徳や慣習、伝統などに従ってこれらを行わねばならないのである。

さて、立憲主義(法の支配)(Rule of Law)とは、17世紀初頭、イングランドのエドワード・コーク卿(王座裁判所首席判事、下院議員を歴任)により、確立された憲法学上の理論である。

1608年10月、君主主権による専制を強め、イングランド古来の慣習や伝統などのコモン・ローの破壊を企てた國王ジェームズ1世(元はスコットランド國王)に対し、コークはヘンリー・ブラクトンの法諺を引用し、「國王は(全ての臣民の上にあるが)神と法の下にあるべきである」と諌言した。(注1)

ここにいう「法」とは、まさに先祖から継承してきた道徳や慣習、伝統などのことである。イングランドにおいては、コモン・ローがそれに当る。

すなわち、エドワード・コークはこのような「法」は國王大権を凌駕し、國王は法の支配に服し、國王といえどもコモン・ローを変更、破壊することはできない、と述べたのである。

コークは決して、國王に対する忠誠心がなかったわけではない。むしろ、王室に対する忠誠心は、人後に落ちないものであった。イングランドのあるべき王室の姿を「保守」せんが為に、コークは國王大権を制限し、コモン・ローの支配の下にこれを位置づけたのである。

こうして、コークは「権利の請願」(1628年)の起草など、イングランドにおける法の支配の強化と確立に奔走したのであった(注2)。なお、後に詳述するが、一般的に誤解されているが、「権利の請願」にいう「権利」とは、「基本的人権」などではない。ここにいう「権利」とは、コモン・ローにおける権利、すなわち、イングランド人古来の道徳や慣習などに基づく「臣民の権利」である。

コークの偉業の中で最大のものは、何といっても後のアメリカ合衆国憲法において成文化された、違憲立法審査制の原型となった、ボナム医師事件のコークが下した判決(1610年)である。それは、

「國会制定法が一般の正義と条理に反しているか、矛盾しているか、もしくは執行が不可能である場合、コモン・ローはこの制定法を抑制し、無効(void)と判決する。」

というものであった。(注3)

コモン・ローは國王大権の上にあり、また國会の制定する制定法(法律)の上にもある。コモン・ローを改変、破壊することは何人たりとも不可能であり、もしもこれが行われた(コモン・ローに反する法律が制定された、など)としても、それは無効である、というのである。

さて、ここで注目すべきは、エドワード・コークがコモン・ローに反する制定法は無効である、という、無効論の法理を打ち出したことである。

およそ、法規範に段階があるのは、その規範相互に何らかの規範自体の価値の高低、規範自体の性質の相違があるはずである。

上位の規範も、下位の規範も、どちらも同じ性質を有する規範である、どちらも人定法であるというならば、これに価値の高低を認め、上位の規範に反する下位の規範は無効であるというにはその説得力を欠くというべきである。

上位の規範に反する下位の規範が無効である、というのは、まさにその上位の規範が國體に関わる規範であり、これに反する規範は無効であるという効果を与えなければ、國體を護持するという目的を果たすことはできないということなのである。

すなわち、我が國でいうところの規範國體に反する制定法(憲法典も含む)は無効である、というのが、立憲主義(法の支配)からの帰結である。

このように、立憲主義(法の支配)とは、先祖から継承してきた道徳や慣習、伝統などに見いだされる規範(法)に従い、立法や行政、司法を行うべし、という憲法学上の理論なのである。

以上、立憲主義(法の支配)から導き出せる、規範國體の効力は次のようなものとなる。


天皇といえども國體の下にある。

規範國體(憲法)に反する制定法(憲法典、法律など)は無効である。

規範國體を破壊、改変することは何人たりともできない。





(注1)中川八洋『保守主義の哲学』 PHP研究所 p.85

(注2)中川八洋『保守主義の哲学』 PHP研究所 p.86

(注3)中川八洋『保守主義の哲学』 PHP研究所 p.89~90