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第1章 憲法とは何か (1) 規範國體と文化國體



さて、このシリーズを始めるに当たり、当然のことながら、まずは憲法の意義を明らかにしておかねばならない。

憲法とは何であろうか。それが、何らかの形で國に関わる規範であることは、誰でも容易に理解できるであろう。しかし、もう少し具体的にいえば、憲法とは如何なるものとして定義できるのであろうか。

ここで、まず、我々は、「國體」なるものについて触れる必要がある。

國體とは、「その國らしさ」である。我々についていえば、「日本らしさ、日本人らしさ」のことである。

我が國は、神武肇國、いやその以前から、数千年以上にわたり、万世一系の天皇と皇室を中心として、万邦無比の國體を形成してきた。國體とは、皇室を中心とし、その周りにに円の如く歴史的に積み上げられ、形づくられた神道、武士道、日本化された仏教や日本化された儒学などの、先祖から継承してきた道徳、慣習、伝統、文化などの総体である。これらこそが、日本人らしさを形づくっている。

我々は、このような「日本人らしさ」すなわち國體に守られて生きている。

國體を否定、破壊することは許されない。國とは、およそ誰が設計したものでもなく、意図的に形成してきたものでもない、上下問わず無数の有名無名の國民の営みによって歴史的に形成されてきたものである。我々日本人は、天皇と皇室を中心として、数千年の営みのうちに我々が先祖から継承してきた道徳や慣習などの総体である國體によって、はじめて日本人たり得ているのである。

國體を否定することは、我々が日本人ではなくなることである。

さて、國體とはこのように、我々が先祖から継承してきた道徳や慣習、伝統などの総体であるのだが、この中には、これらを律し、定義づけ、守らしめていく規範が含まれている。

例を挙げるならば、國體の中心たる天皇の皇位継承は、一度の例外もなく、悉く男系男子を以て為されてきたことは、歴史的に明々白々たる事実である。

また、天皇は祭祀とともに、統治すれども親裁せず、の規範の下、我が國を代々統治されてこられたのであるが、かかる天皇の役割もまた、歴史的に明々白々たる事実である。

すなわち、皇位の男系男子継承や、天皇は祭祀と統治という役割を果たされる、などということは、國體に現れている規範である、といえるのである。

このように、國體に含まれている、國體に表現されている規範のことを、規範國體という。

そして、憲法とは、実に規範國體の別名であるのである。すなわち、憲法とは、我々が祖先から継承してきた、道徳や慣習、伝統などに見いだされる、規範のことである。従って、憲法の本来の姿は不文である。

これに対して、國體のうち、このような規範國體以外の部分を、文化國體という。

すなわち、國體とは規範國體と文化國體から成っているのである。(注1)

さて、文化國體とは日本人らしさのことであるのだが、このような「日本人らしさ」というものは、実際のところ、各時代によって、若干の変遷を遂げていることもまた、事実である。たとえば、奈良時代における日本人らしさと、室町時代における日本人らしさとでは、変化があるのは否定できないだろう。

このように考えるならば、文化國體とは時代によって相対性を有していることもまた否定できないし、また、そもそも簡単に「日本人らしさ」といっても、やや曖昧で漠然とした面があることもまた、否定できないのである。

ただし、留意せねばならないのは、そのような時代による変化というものはありながらも、國體を円形に擬えた場合、その中心たる天皇や皇室による祭祀と統治については何らの変化もなかったのであるし、またそれを取り巻く祖先から継承した道徳や慣習、伝統などというものにも、大きな変化というものはなかったのである。

従って、文化國體というものは、その外縁部分については時代によって変遷し、相対的であるという性質を有しており、またあえて定義することの難しいものであり、その特質を「日本らしさ、日本人らしさ」などという形で捉えるしか難しいものである。

さて、このように、漠然として捉えにくい、時代によってはたとえその外縁部分とはいえ、変遷も遂げてきた國體は、どのようにして守られてきたのであろうか。漠然としていて、部分によっては相対的に変遷も遂げてきた國體を守っていく為の機能こそが、規範國體(憲法)なのである。

すなわち、規範國體(憲法)とは、皇位の男系男子継承を考えれば分かるように、歴史的に明らかであり、帰納法的・背理法的に把握することが可能である。部分的には相対性も有する文化國體に対して、規範國體(憲法)とは徹頭徹尾、絶対的であるといえる。

これは、規範である以上当然のことであろう。規範とは、絶対的でなければその用を足さない。時に変化し、相対的である規範などは、誰も真面目に守ろうとはしない。そのようなものは、規範とはいえないのである。

このように、規範國體と文化國體とは、双方がともに國體を形成しているのではあるが、その特質は規範國體は絶対的なものであるのに対し、文化國體は相対的な部分を有しているという違いがある。この違いは重要である。

ともすれば、「國體も時代によって変遷するのだから、絶対的なものとして捉えてはいけない」だとか、「保守というものは寛容に、色々なものを受け入れていかねばならない」などという言説を聞くことがある。しかし、これらは、規範國體と文化國體の違いを認識しない謬説である。

もしも、そのような考え方が正しいとするならば、女性宮家や女系天皇などという代物が現れようとも、これを寛容に受け入れねばならない、ということになってしまうであろう。しかし、これらが國體の破壊であることは明らかである。そのような立場を取りつつ、それは違う、というならば、ダブルスタンダードの誹りを免れまい。

時代によって変遷する部分もある、というのは、文化國體の一部についてはいえることである。しかし、その核心と周辺の、文化國體の根本的な部分については、絶対に、何があろうとも変化させたり、破壊してはならないのである。

しかし、そのような漠然とした「日本人らしさ」という特質を以てしか捉えにくい文化國體を守るのは難しいことである。そこで、これを守るための機能こそが、規範國體なのである。

規範國體は絶対的な性質を持つ「規範」であり、漠然性や相対性などは微塵もない。つまり、國體を守るには、規範國體をしっかりと守ればいいということになるのである。実に、規範國體とは、文化國體を守るための鎧であり、これさえ守っていけば、國體は護持できる、という規範なのである。

皇位の男系男子継承などの規範國體(憲法)は絶対的である、と考えてはじめて、女性宮家や女系天皇が國體破壊である、という結論を導くことができるのである。規範國體と文化國體を分別することなく、ただ雑駁に「國體は相対性も有している」などと放言していては、このような結論を導き出すことはできないのである。



(注1)南出喜久治『占領憲法の正體』 国書刊行会 p.40・41


なお、当シリーズにおいては、文中においては敬称を省略させて頂いております。何卒、ご海容の程、よろしくお願い申し上げます。