こんばんは。今日は、以前にも取り上げた、「左翼思想とは何か」についてもう少し掘り下げてみたいと思います。


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 まず、初めに確認しておきましょう。

 左翼思想って何でしょうか?

 左翼、ときけば、平和運動とか、『日本国憲法』第9条を守れ、などという売国奴のことだと思われる方も多いと思います。

 しかし、本来は左翼思想と売国行為とは何の関係もありません

 たとえば、世界には支那や北朝鮮など、いわゆる社会主義国家が存在しますが、それらの国が平和運動をやり、軍備を放棄しているかというと、そんなバカなことはありませんね(笑)。むしろその逆に、支那や北朝鮮などは世界にも稀な好戦的な国家です。

 では、左翼思想とは一体何でしょう?まず、この点を明確にしたいと思います。

 左翼思想の対極であるのが、保守思想です。

 保守思想とは、祖先から継承した道徳や慣習、伝統などの規範(「不文の法」または「法」)を守ることで、国体とその下の臣民(国民)の自由を守る、という思想です。

 どんな英雄や天才や、まして選挙などでの投票などを通じて現出する「国民」の「意志」などというものには必ず間違いがあります

 国体とそれを体現する国家を秩序立てていくには、人間というものの「理性」(=意志)にはあまりにも限界が多すぎるのです。

 よって、保守思想とはこのような人間の「理性」(=意志)を国体に及ぼすことを断固として否定、排撃し、その規範づけを一時代の人間の理性ではなく、悠久の年月を通じて、その臣民(国民)の間に生成されてきた道徳や慣習、伝統などの「不文の法」に求めたのです。

 このように、保守思想の理念は、まさに偉大なるものへの恭謙であり、己の力への謙虚な姿勢なのです。

 従って、これに対して、

 左翼思想とは、道徳や慣習などの「不文の法」を否定し、特定の人物や機関の「意志」を「絶対」として、国体や臣民の自由を破壊する思想である、と定義できるのです。

 左翼思想の核心は、「道徳や慣習などの ”不文の法” 」を否定するところにあります。

 つまり、左翼思想は特定の英雄や天才や、機関、一時代の「国民」の「意志」などの人間の「理性」を絶対視し、その妨げとなる道徳や慣習などというものを無視、破壊するのです。よって、左翼思想とは理性万能思想である、ともいえます。

 

 さて、お分かりでしょうか?

 保守思想と左翼思想(理性万能思想)の対立点というのは、愛国か、売国か、などではありません。そんなことは何の関係もありません。

 保守思想と左翼思想(理性万能思想)の対立点こそは、不文の法(道徳や慣習、伝統、歴史など)を保守するのか、それとも破壊するのか、なのです。これこそが保守と左翼とを一刀に明快に分つ基準なのです。

 不文の法を守るものこそが保守であり、不文の法を破壊するものこそが左翼なのです。

 我々日本人にとっては、天皇や皇室を中心とする国体を規範づける不文の法を守ること、これこそが保守思想です。

 従って、左翼思想とは、特定の人物や機関、あるいは一時代の「国民」の「意志」などを利用する、いかなる形態とも容易に結びつくのです。

 たとえば、申し上げるのも畏れ多いことながら、天皇陛下に「主権」なるものを認め、その「ご意志」を絶対化して(ただし、このような場合は実態は、畏れ多くも天皇陛下の「ご意志」であるという勝手なねつ造であるのですが)、国体破壊を正当化すること、これこそは左翼思想による「天皇主権」です。

 また、その時代、または特定の投票などによって現れる「国民」の「意志」(いわゆる「民意」)などというものを「絶対」視し、これに国体破壊の正当性を見いだすこと、これこそは左翼思想による「国民主権」です。

 「天皇主権」にせよ、「国民主権」にせよ、およそ国体破壊の力(「主権」)の存在を肯定する思想は左翼思想に他なりません。

 保守思想は、このような「主権」なるものを、いかなる場合にも、断固として、絶対に拒否、排撃するのです。「主権論」こそは左翼思想と同義なのです。

 よって、およそ「人間(つまり臣民、国民ではない、国家という概念を捨象したただの「個人」)」が「生まれながら(つまり生まれてから身につけるべき道徳、慣習、伝統などという不文の法とは関係ない)」にして享有するとされる「基本的人権」なるものは、まさに左翼思想の産物以外の何ものでもないのです。
 
 基本的人権は、それを「濫用」する者がいる場合にのみ悪となるのではありません。一見、それが「濫用」に見えても、それは濫用ではなく、誰にも何の責任も負わない、国家も関係ない、道徳も慣習も伝統も無視できる、それが「基本的人権」ではありませんか。

 たとえば、『日本国憲法』においては、人権相互の制約原理には「公共の福祉」という概念が用いられています(第13条)。

 この「公共の福祉」とは、人権相互の矛盾や衝突を調整するための原理、と一般に解されています。

 つまり、ある人とある人の人権の行使が衝突する場合には、両方の人権をバランスさせ、どちらを優先させるかを決めるのですがここで用いられる基準は、「原則として、誰でも他人の人権を侵害しない限りにおいては、自由に振る舞うことができる」というものなのです。

 「他人に迷惑にならない限り、人はいかなる行為も許される」、ここには道徳や慣習や伝統、などというものによって人を律しようという発想は欠片さえもありません。これが左翼思想と言わずして、何が左翼思想でしょうか?

 このような「基本的人権」を「正しく」行使すれば、国体は破壊され、その国家はめちゃくちゃになっていくのです。これが悪と言わずして、何が悪でしょうか?

 基本的人権とは左翼思想によるものであり、その存在そのものが悪です。

 我々日本人は、先祖から継承してきた道徳や慣習において認められる自由を保持しているのであって、基本的人権による自由なるものを認めてはならないのです。

 保守思想とは己の小ささ、無力さを熟知しつつも、己を省み、祖先から継承した偉大なる国体に学んで己を磨き、より高貴な者たらんとするものであり、その理念は謙虚さに基づきます。

 これに対して、左翼思想(理性万能思想)とは、無知からの根拠なき増長、思い上がり、ひたすら虚勢と品性下劣、他人への侮蔑を事とし、偉大なる国体への無礼も省みることのない、その理念はただ傲慢に基づきます。このような思想の行く先は、単に敗亡の一語より他はないのです。



 傲慢なる者よ、汝こそはまさに左翼そのものである!! 汝が左翼でなくて、他の何者が左翼であり得よう?!!