こんにちは。


<前回のポイント>

1.法規範は「法」と「法律」の二種類に分かれている。

2.法は法律の上位にある。



 法と法律の違いは前回解説しましたので、まだよく分からない方は前回の保守思想入門(1)を参照して下さい。



<保守思想って何?(2)>



<法に反する法律や命令はどうなるの? イングランドの国王ジェームズ1世と「法の支配」の生みの親エドワード・コークのお話>


<ジェームズ1世、イングランド国王となる>

 
 法は、法律よりも上位にあります。ということは、法に違反するような法律や命令は制定してはいけない、ということになるのです。

 では、もしも国王(君主)や政治家などが、法に違反する法律や命令を制定してしまったら、どうなるのでしょうか?

 17世紀、イングランド王国でのことです。当時のイングランドは、女王エリザベス1世が亡くなり、王位継承者がいない状態に置かれていました。

 そこで、エリザベス1世の遠縁に当たる隣国スコットランドの国王が、ジェームズ1世としてスコットランドとイングランドの国王を兼ねることになったのです(ただし議会と政府はそれぞれイングランドとスコットランドで別々)。何だか奇妙な話ですが、当時の欧州の君主国の間ではたまにあることでした。1603年、我が国では徳川家康によって江戸幕府が開かれた年です。

 さて、イングランドの王宮にやってきたジェームズ1世は、当然のことながらイングランドの習慣を知りません。

 今、ここで「習慣」と言いましたが、これはイングランド人の振る舞いや、イングランド人らしさ、イングランドでの政治の決まりごとなど、イングランド人であれば当然のこととして認めていることです。もう少し端的に言うならば、イングランド独自の道徳や慣習、伝統、文化、などと表現できるものです。

 つまり、これらは「人を殺してはならない」「他人の物を盗んではならない」などというほどの普遍性はなく、他の国では通用しないものもあります。しかし、イングランドという国家の中ではそれと同じくらい、当たり前のこととして誰も疑わないものなのです。

 すなわち、保守思想でいえば、これらはイングランドの法である、ということになります。・・・



<ちょっと注意>
 
 
 少し、話から逸れますが、これは非常に大切なことなのでしっかりと覚えておいて下さい。

 前回は、分かりやすいようにほとんど全人類で共通するような法である、「人を殺してはならない」などを例に挙げました。しかし、法というものは決して全人類に共通するものばかりではありません。むしろ、法というものはその民族や、その国家に独自のものの方が多いのです。

 例えば、イングランド人らしさ、と日本人らしさ、というものが同じではないことは、すぐ分かるでしょう。イングランドで正しいとされることでも、日本では間違っているとされることはいくらでもあります。どの国家や民族でも同じことです。皆それぞれに独自の道徳や習慣、「~人らしさ」、を持っているのです。

 従って、法というものを他の国から持ち込むことや、他の国の法をそのまま法にしたりすることはできないし、絶対にやってはならないのです。それは、その国の民が「~人らしさ」を失うこと、つまり、その国の法を破壊することになってしまうのです。



<ジェームズ1世、イングランドの法を無視する> 
 
 
 ・・・さて、話を元に戻しましょう。

 イングランドの法を知らないジェームズ1世は、当然、といっていいのか分かりませんが、自分の国のスコットランドの法をイングランドに持ち込もうとします。それだけでなく、当時のフランスなどで主流となりつつあった、「王権神授説」に基づいて政治を行おうとしたのです。

 「王権神授説」とは、国王が国家を統治する権限は神から与えられたものであり、従って自分の思うままに政治を行うことができる、というものです。イングランドの法を無視したいジェームズ1世にとって、これは好都合でした。

 さて、そんなジェームズ1世に対し、恐れながら、と諌言したのがイングランド史上に輝く法律家にして政治家、庶民院議長や王座裁判所主席裁判官などを歴任したエドワード・コーク卿です。・・・



<コーク、国王に諌言する>

 
「陛下、歴代のイングランド国王は皆我が国古来の法を尊重し、その下に国王大権を行使して参りました。

しかし、今、ここで陛下がそれを無視し、外国の法を持ち込んだり、王権神授説などという謬説に基づいて国政を担われることは、歴代国王陛下の遺訓に悖るばかりか、我が国の国体を破壊し、取り返しのつかない禍根を永く我らの麗しきイングランドに残すこととなりましょう!

よって、国王陛下の忠良なる臣下としては真に不本意ながら、不敬を承知で面を冒して諌言申し上げるものであります・・・!」

 しかし、それを素直に受け入れるジェームズ1世ではありません。

「朕は王権神授の説に基づき、全能の主なる神よりこの大権を授かっているのだ。フランスなど強大な国ではこれらの説が流行し、ジャン・ボーダンらが理論化しておる。古来の法などという時流に外れたものを信奉しておっては、諸国の趨勢に遅れるばかりなるぞ!」

「・・・恐れながら、陛下!」

 コークはここぞとばかりに、語気を強めました。

「諸国の趨勢などは何の関係もございません! 我らのイングランドにはイングランド古来の法がございます。こういわれております・・・イングランドにおいては、『国王は全ての民の上にある、しかし、国王もまた神と法の下にある』と!!」

 コークは、13世紀の法律家、ヘンリー・ブラクトンの法諺を引用して国王を諌めたのです。

 こうして、コークのイングランドを思う至情に厚く心を動かされたジェームズ1世は、ついに諌言を聞き入れ、以後はイングランドの法に基づいた政治を心がけるようになったのです。



 さて、コークはこのブラクトンの法諺を更に理論化していきました。そして、・・・。



「国会制定法(法律)がコモン・ロー(法)に反する場合、これを無効と判決する!」

 コークは、ボナム医師事件と呼ばれる事件の裁判を担当した際、法に違反する法律を国会が制定しても、それは無効となる、と明言したのです。

 コークのこの判例は後にアメリカ合衆国憲法において、違憲立法審査制として明文化されることになります。
 
 コークの理論は「法の支配(立憲主義)」と呼ばれ現代に至っています。

 そして、保守思想とは、まさにこの「法」を守り、それぞれの国家の国体を守っていこう、という思想に他ならないのです。

 国体とは、国柄、その国らしさ、その国がその国であること、であると捉えておいて下さい。



<今回のポイント>


1.法の支配(立憲主義)とは、法は法律の上位にあり、法に違反する法律や命令は、たとえそれが制定されても無効(存在しないこと)となる、という理論である。

2.保守思想とは、法を守ることによって、国体を護持していこうとする思想である。





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