こんばんは(`・ω・´)シャキーン

 今日は、憲法の規定の中で私たちに直接の関わりのある、「第二章 臣民権利義務」について概略をお話します。各条文の解説については後日に譲ります。ここでは特に、日本国憲法に定められているいわゆる「基本的人権」との違いについてお話致します。

 私たち日本人は、古来様々な社会的・文化的活動を通じて世界に誇る高い文明を築いてきました。現代に生きる私たちの生活は、先人たちの営々たる勤勉と努力の賜物です。

 国家の中において、人々が様々な活動をしていくうえでは、それに応じた様々な自由(権利)が保障されていることが必要です。自由や権利などという呼び方をしなかった古の世においても、時の政権から自分の思想や行動に対して一定の程度の干渉を受けないということは我が国の中で慣習(不文の規範)として保障されていました。

 このような、時の政権から自分たちの思想や行動に対して、一定の程度で干渉を受けないとされていること、これらも我が国の文明を支えていく上でとても重要なものであり、国体に関わる規範なのです。

 そこで、大日本帝国憲法においてはこれらの国体に関わる不文の規範を成文化し、臣民の権利と義務として憲法に取り入れたのです。

 従って、大日本帝国憲法に定められている自由(権利)は我々の祖先から継承した道徳や慣習などに基づくものであり、あくまでも国体を害することのない範囲内において認められるものなのです。



 さて、さらに理解を深めるために、日本国憲法に定められている「基本的人権」と比較してみましょう。

 臣民の権利(国体の下の自由)というのと、基本的人権というのとでは、一見あまり違いはないような気がします。どちらも権利(自由)であることに変わりはないと思いがちです。

 しかし、これはとんでもない間違いです。両者は似て非なるものどころか、根本的に全く異なるものです。これは非常に大切なことなので、しっかり理解しておいて下さい。

 まず、そもそも基本的人権とは何なのか、についてお話します。

 フランス革命をご存知でしょうか。この時、いわゆる『フランス人権宣言』が出されています。ここで、「臣民(または国民)の権利」と「基本的人権」の違いが分かります。

 「臣民(国民)の権利」とは、前述の如くその国家の中において、先祖から継承してきた道徳や慣習に基づく自由(権利)です。しかし、「基本的人権」は「人」の権利です。「臣民(国民)」の権利ではありません。この「人」とは何なのでしょうか。

 この「人」とは、「臣民(国民)」の対極をなすもの、すなわち、国家やそれを支える伝統や慣習を否定した、バラバラに分解された「個人」を表すものなのです。

 なぜそのようなものを考える必要があったのでしょうか。言うまでもなく、革命のためです。革命とは国体の破壊です。これを成功させるためには、道徳や慣習を破壊することから始めねばなりません

 そこで、革命を起こした人々は自分たちの憲法を制定するにあたって自由(権利)を従来の伝統や慣習とは切り離されたものとして構成していったのです。これが基本的人権です。

 従って、「基本的人権」または「人権」というものには、本質的に従来の道徳や慣習を破壊する思想が込められているのです。このことはあまり知られていないようですが、非常に重要なことなのでよく理解しておいて下さい。

 「基本的人権」は、我が国の国体を破壊する思想に基くものです。これに対して、「臣民(国民)の権利(自由)」は我が国の国体に基づく権利(自由)です。両者が全く違うものであることがお分かり頂けたことと思います。

 少し長くなりましたのでこれくらいにしておきますが、「基本的人権」や以前お話しした「主権」についてはいろいろな問題がありますので、いずれ詳しくお話したいと思います。




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