恍惚の夏(その1) | SとMとの間で

SとMとの間で

私「横溝のぞむ」の人生の軌跡、忘れ得ぬ素敵な人々を
一緒に追体験しませんか?

『ピピッ! 伝言は3件です。』


『1件目。9月○○日午後9時23分です。』


「………………(ガチャ! ピーッ!)」


『2件目。9月○○日午後9時49分です。』


「………………………よ……よこみ………(小声で)やっぱり………(ガチャ! ピーッ!)」


『3件目。9月○○日午後11時03分です。』


「………………横溝君?…………まだ、留守かな?…………ももこです。………プロジェクトの進捗状況を確認しようと思って……それにカメラや写……・・とにかく、また電話します!(ガチャ!ピーッ!)」

『伝言は以上です。』

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 あれから、あの撮影から、約2ヶ月が立ちました。社内報が発行されてからはまだ一ヶ月足らずですが、それでもかなりの時間が過ぎた気がします。

 私の環境も激変しました。今回の社内報での仕事ぶりが評価され、次年度に展開する新プロジェクトの副主任に抜擢されました。もちろんすみれさんも同じプロジェクトで、私と同じ副主任となりました。私たち二人で5人の新人を動かしながら、新しい広告を企画するという刺激に満ちた仕事です。そしてこのプロジェクトの進行具合や最終決定を下すのは……やはりももこ主任です。ただし主任は他のプロジェクトも兼任しているので、大きな決断や最終決定をするときにだけ関わるスタンスになりました。

 あれ以来、主任と何度か顔は合わせるものの、二人きりになれる場面はまったくありませんでした。特に社内報発行以降の主任の忙しさは半端なく、常に誰かが取り巻いている状態でした。あまりに忙しいので、主任は上司に直談判して、若い女の子を一人秘書として帯同させるほどでした。

 もちろん私とは言葉も交わせませんし、私の目を見てくれることもほとんどありません。私自身も広報の仕事が本格的になるにつれて、オフィス内にいることが少なくなり、数日は姿を見せないことが多くなっていきました。

 そんなときです。冒頭の留守番電話が入っていたのは。

 私はこの日もご機嫌伺いと情報収集のため、お得意さんを接待して飲んでいました。もともとお酒が好きではなく、あまり飲めるタイプでもなかった私は、この接待という仕事がとても苦痛でした。幸い、お酒が強く、盛り上げ上手な部下が何人かいたので、この日は日付をまたぐ前に帰ることができたのです。

 留守電を聞いたのが、ちょうと午後11時6分。3分前に掛かってきたようです。私は眠気も酔いもいっぺんに醒めて、あわてて電話に飛びつきました。けれど、よく考えてみれば、私は主任の家の電話番号を知りません。そもそもこの電話は、ようやく普及を始めた携帯電話からなのかもわかりません。以前の部署のメンバーならば緊急用の連絡網があるのですが、広報部からはまだもらっていませんでした。

 私は仕方なく、電話の前でただ待つことにしました。本当ならばお風呂に入って、読みかけの本を読みながら寝てしまおう、などと思っていました。しかし、お風呂に入っている間に電話が来たら…、ベッドに入って本を読んでいるうちに、寝てしまったら…と考えるとそれも出来ません。

 見たくもないテレビを見ながら、食べたくもない枝豆をポリポリ食べながら、待つこと50分。

 やがて12時になろうとするころ、再び電話が鳴りました。

 「もしもし!もしもし!僕です!横溝です!主任ですか?」

 「……もしもし……横溝君。こんなに夜遅くからゴメンなさい。もう寝てた?」

 「いえ!全然!ちょうと今接待から帰って来たところです。○○企画の部長、けっこう飲んべえで困りました  
  よ!……ところで、何かご用ですか?トラブルでもありましたか?」

 私は声が裏返りそうになるのを一生懸命我慢しました。気づかないうちに緊張しているようで、受話器を握る手が汗で滑りそうになります。

 「……ううん。急ぎじゃないのよ。ただ、プロジェクトの進み具合、どうなってるかなって……ごめんね、心配させ  ちゃったみたいね。」

 「いいえ……全然そんなことないですよ。プロジェクトは自分でいうのも何ですが、けっこう順調ですよ!すみれ  さんも頑張ってるし、今は○○と○○(両方とも部下の名前)が接待を続けてます。」

 「そう……それならよかったわ。横溝君ならしっかりやっていると思ってたわ。」

「ありがとうございます……。え-、主任、あっ、二人だけだからももこさんでいいかな? ももこさん、わざわざそ  れだけのために電話したんですか?他にも用事があるんじゃないですか?」

 「うん?」

 「だって、仕事の状況なら来週聞けば済む話だし……。それに留守電ではカメラが何とかって入ってましたよ。   あれって僕のカメラのことですよね。」

 「うん……そう。そうなの。本当はカメラを返すの、どうしたらいいかなって思って……。それで電話したのよ。」

 私は喉が渇いて言葉がどもりがちになっていました。しかし、どうやらそれは電話の向こう口にいる主任も同じようです。

 「ももこさん。今どこにいるんですか?まだ会社ですか?」

 「ううん、私も家よ。今日は私も久しぶりに早かったから、今までお洗濯してたのよ。」

 「ああ、そうですか。ももこさん、このところ仕事がつまってて、大変そうですからね。」

 「そう! そうなのよ。それもこれもみーんな誰かさんの特集のせいだわ!責任とって欲しいわよ!」

 言葉とは裏腹に明るく弾む主任の声を聞いていると、あの潤んだ瞳や、私の腕に確かな質量を伴って密着した白い肌のことを思い出して、私は切なくなってきました。

 「ももこさん!」

 「うん?どうしたの?」

 「明日から連休ですよね。ももこさんもお休みですか?」

 「ええ。私もお休みよ。久しぶりの連休だから嬉しくって……。」

 「何か予定を立てているのですか?」
 「……ううん。実はせっかくの連休なのに、何の予定もないのよ。だから久しぶりにショッピングでもしよ………」

 「僕とデートしませんか?」

 「うん……えっ!? えっ!? デート!!?」

 「はい。デートです。」

 「どうしたの?急に……ははあ、さては私が『責任とって』って言ったから気にしてるのね!もうからかわないでよ!」

 「いいえ。全然からかってませんよ! 本気です。本当にデートしたいんです。ダメですか?」

 「あっ……えっ……べ、別に私はかまわない……けど……。横溝君は何か予定がなかったの?」

 「ありました。」

 「えっ!じゃあ、ダメじゃない!」

 「いいえ、僕の用事はいつでも出来ることですし、人と約束していたわけではないので。」

 「ああ……そう……」

 「ももこさん。僕、ももこさんを上司として尊敬してますし、それ以上に女性としても素敵だと思ってました。だから単刀直入に言います。デートしてください。お願いします。」

 主任が電話の向こうでどぎまぎしているのがよくわかります。これほど動揺を他人に悟られやすい人も珍しいのではないでしょうか。そして、主任のこの反応を見ていると、今まであまりに人に誉められなさすぎてきたのだなあ、ということが痛いほど感じられるのも、私の気持ちを動かす要因の一つでした。

 「…………」

 主任は黙ったままです。しかし、「NO」とは言っていません。私はふと

 “主任には逃げ道を作ってやることも必要かな?” 


と感じました。

 「もちろん、カメラも返してもらいたいですしね。実は来週から新しい撮影のために、僕もカメラが必要だったんで  す。」

 「……そうよね。カメラも返さなくちゃいけないしね……。そうよ。私もそれで電話したんだし……。いいわ! デートしましょう。考えてみたら男性と二人で歩くなんて久しぶりだわ!」

 本来部下である私とデートするためには、デート以外の口実も必要になることはわかっていましたが、同時に、主任という肩書きの重さ、キャリアウーマンというレッテルの大きさを、今更ながらに観じた瞬間でもありました。

 「どこで会いましょうか?」

 「うーん……そうねえ。実は私、買い物もしたかったんだけど……、ちょっとだけ付き合ってくれない?その後は  横溝君のプランに従うわ。」

 「もちろんいいですけど……。僕なんかが買い物に付き合っても役に立つかどうか……。」

 「この前の写真、衣装を選んでくれたの横溝君でしょ? 実はあの服、とっても評判が良くて。自分では絶対選ばないタイプの服だけど、着てみたら意外と…ってこと、よくあるでしょ!?だから、もしよかったら、あんなタイプの服を自分でも買いたいなって思って。ミニとかワンピースとか……あんな感じのもの。」

 「ああ、なるほど! それならおやすいご用です。もともとあの系統の服は私の趣味も入っていますからね!」

 
 「ふふ。セクシー路線が好きなのね。だからあんなHな服も買えたんだ!?」

 主任が言っているのは、私と個人撮影したときの悩殺服です。

 「主任、あれ、まだ持ってますか?」

 「うん。洗濯しておいたから、明日お返しするわね。」

 「いいえ、差し上げます。それよりも写真はどうしましたか?」

 とたんに受話器の向こうで生唾を飲み込む音が聞こえた……気がしました。主任の声が、かすかではありますが震えています。

 「あっ…あの写真ね……上手に撮れていたわ……。でも恥ずかしいから……」

 私は敢えて強引に言葉を重ねます。

 「ももこさん! きれいに撮れたら僕にくれるっていう約束じゃないですか!? じゃあ、くれなくてもいいから是非見せて下さい!」

 「いいわ。持ってくるわね。あげてもいいものもあるのよ……」

 「やったあ。じゃあ約束ですよ!必ず持ってきてくださいね。それと……」

 「それと?」

 「買い物の後、よかったらドライブに行きませんか?僕、友人から車が借りられますから。金持ちのぼんぼんなんで、けっこういい車ですよ。」

 「ドライブも久しぶりね!いいわ、そうしましょう。じゃあ○○の前で朝11時でどう?」

 「はい。わかりました。じゃあ、明日。おやすみなさい。」


 「おやすみなさい…」

 私は名残惜しさを振り切って電話を切りました。なぜなら、明日こそ、私がずっと温めてきた計画を実行するときが来たのですから……。その準備を始めなくてはいけません。主任が私が予想しているタイプの女性ならば、必ずこの罠にひっかかります。いえ、罠と気づいても、わざと自ら罠にかかるでしょう。


 なぜなら、私の罠こそ、主任の内なる欲望を解放するスイッチであることを、本人自身が一番知っているでしょうから……。