奥山篤信 映画評 ★映画評『情熱のピアニズム』2011★ | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

奥山篤信 映画評 ★映画評『情熱のピアニズム』2011★
~神が人間界に与えたもうた神の愛でし人~
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身長100cmの生まれながら骨形成不全症という障害を背負っていた35歳で夭折した天才ピアニストミシェル・ペトルチアーニの生涯を追ったドキュメンタリーで監督は「イル・ポスティーノ」のマイケル・ラドフォードだ。


ペトルチアーニはフランスのオランジュでイタリア系フランス人の家庭に生まれた、骨はボロボロでもろく、またしばしば肺疾患に苦しめられ、同年代の少年が熱中するようなスポーツに加わること...はできず、ペトルチアーニの関心はもっぱら音楽に向けられるようになった。


音楽一家の家庭の温かい眼差しの中で育ったペトルチアーニは、父親が聞くジャズは全て暗記できる才能を持ち、親にねだって幼少の頃ピアノを買わせた。その天才に気がついた父親は一切の通信教育までさせず朝から晩までピアノに集中できる環境を作ったのである。

彼は特にデューク・エリントンの音楽を好み、13歳で最初のコンサートを迎え、18歳の時に初めてトリオを組んだ。下半身はもろい骨であったが両手は身体に比べピアニストの頑丈な手に恵まれていた。ペダルに足が届かないためペダル踏み機を使わねばならなかった。

1982年、ペトルチアーニはアメリカへ渡った。そしてフランス人としては最初に、名門ジャズレーベルのブルーノート・レコードと契約したピアニストである。1994年、レジョン・ドヌール勲章を受章、2002年6月にはパリ18区の広場が「ミシェル・ペトルチアーニ広場」と命名された。

ペトルチアーニはそんな障害があったにもかかわらずWOMANIZERともいえるほど女性の尻を追いかけ、かつ女性にも母性愛か愛され、生涯3人の女性と性的関係を持った。


最初の結婚はインディアン・ナバホ族出身のエルリンダ・モンターニョ。2度目の結婚はイタリア人のピアニスト、ジルダ・ブッタ。ペトルチアーニは2人の息子の父親となったが、あえて子供をつくったペトルチアーニに問題視する向きもある、そしてアレクサンドルは父親と同じ障害を持って生まれた。


彼も父親とそっくりな愛嬌のある眼差しで映画にも出てくる。またペトルチアーニの生涯は語学の天才でもあり、フランス語・イタリア語はもとより英語は6ヶ月でスラングを含んだ完璧な英語をマスターした。

そんなペトルチアーニのインタビューや取り巻きの回顧談を含めたドキュメンタリーで、バックに彼の演奏が流れる。僕は初めて彼の演奏を聴いたが、実に骨太でかつ繊細な演奏であり、ピアノの極致の音を演奏できる音楽性や感性には魅せれる。

このぺトルチアーニを見ると、僕はまさに神の業をみてしまう。神が創られ、人間界に贈られたとしか思いようがない。何で自分が生まれてきたのかとの問いも当然あっただろうが、人を恨まず世を恨まず、そして食道楽・女道楽に明け暮れながら超一級のピアノを奏でたのである。


人間界と神の領域の接線にイエス・キリストが登場したように、僕は彼に神の使命を見てしまうのだ!こんな障害を負いながらなんの屈託もない陽気で悪戯に満ちた天才、是非映画を観ることをお勧めする。


人生の意義や価値そして音楽という霊感の恵みをふんだんに浴びて太く短く生きた人生はなんと素晴らしいことか!ローマ法王ヨハネ=パウロ2世がローマの野外音楽会で彼の演奏を聴く場面があるが、法王ですら演奏中に厳正な姿勢を崩しリズムに足を動かしていたとミシェル・ペトルチアーニは語る。謁見を受ける法王の顔が厳正ながら奇跡を見る驚嘆の色が伺える。
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