奥山篤信 <命をかける政治屋ども> | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

奥山篤信 <命をかける政治屋ども>
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 3月28日産経の曽野綾子氏のコラムに軽々しい政治屋の言葉に対して素晴らしい論評があった。以下抜粋
<《野田総理はこの消費税率引き上げ問題について「政治的生命、命をかけて」やる、と演説の中の肉声で言われたのだが、何度もテレビで放送された。

 嘘偽りではないことは、この方の一途な性格からみてもわかる。しかし松下政経塾では、演説は教えても、こういう思い言葉の使い方は実にむずかしいとは教えなかったようだ。

 ほんとうに命をかけて、ある仕事をする人は、決して「命をかけて」などと口に出しては言わない》(曽野綾子「透明な歳月の光」:3月28日付産經新聞13面)>

 実は筆者は□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2011年9月13日 NO.1024号)
にて<命をかける> 野田佳彦の偽善と欺瞞として同様の趣旨を論評していた。

 まさにしつこく繰り返す野田の軽佻浮薄な<命をかける>について再度ここに掲げる。
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 政治屋どもが軽々しく話す<命がけで><命をかける所存です>これほど空虚で不誠実な日本語表現はない。


  政治屋がこの言葉を口にした途端<国民侮辱罪>で議員資格を失うことにすればよい。

<命をかける>というのは順不同だが

(1) 特攻兵士や帝国軍人のように国家・天皇・日本の子孫繁栄のためにみずからの命を
厭わない行為。

(2) クーデターの首謀者例えば226事件515事件の如く失敗の際の銃殺の覚悟

(3) 武士道にある切腹という行為で責任を取り、敢ておかみにも正義を訴える

(4) 桜田門井伊暗殺、大久保利通暗殺、大隈重信暗殺、浅沼稲次郎暗殺など
一人一殺のテロ論理

(5) パレスティナであるが如く自爆テロ
例を挙げればきりがないが、こういう人たちのことを<命をかけて自分の意思を通した>
というのである。

大体上記の通り、命をかけるときは、命を奪う相手との緊張あふれる拮抗状況があるのだ。

 現在のキリスト教から言えば、神の被造物たる人間の命を他殺であろうと自殺であろうと赦されない。今の日本の世の中<生命至上主義>においても、いのちは何よりも大切なはずで、馬鹿げた言葉狩で、それに反する行動や言葉を封殺する。

 それなのに国家をリーダーすべきはずの政治屋どもが、実際は最も醜悪に自分の命に固執する輩の集合体が、口先だけの命がけを濫用している。マスコミや世論は何故ここを叩かないのか?


 国会議員で命がけを乱発する輩の顔を見ろ。
あなた方の総理野田佳彦を始め前原誠司・小沢一郎・輿石東・鳩山由紀夫など民主党に際立つが自民党にも多数いる。


 こんな議員にそれこそお仲間さんのサヨクプロ平和いのち念仏集団よ
抗議したらどうなんだい?

 そもそも君らの命などあろうがなかろうがどうでもよい価値しかないのである。

 一人一殺にも値しない屑である。そんなお前らが<命がけ>でということ自体漫画でしかない。

 しかし政治は漫画で済まされない。立場上としての政治家の日本語があるはずだ。

 そういえば命がけのはずの政治屋が福島の被曝村に白の被曝防御服を着て平服の村民に会っていた岡田という元幹事長がいたな。自分の命には執着の限り、神経質に年に何回も人間ドックで癌の検査するのもこの輩だ。

 この無能の去勢されたあなた方の総理は<命をかける>を特に乱発しているようだ。

 ドジョウなど圧力釜で釜茹でにして犬に食わせたら良い。

本当に耳障りな<命がけ>の言葉こそ<国民の感情をはなはだしく傷つける言葉>として言葉狩すべきだ。==

「甦れ美しい日本」  第1168号