桜の季節?!
「なんでやノン!?」
当地に移転してきて、桜の季節は1年に2度あることを知った。
1度は、もちろん、花の季節である、春。
そして今一度は‥
我が家の斜いに、小さいながら桜の木が4本そなわった公園がある。
うち1本は枝垂桜(しだれざくら)で、立派で誇らしげだったソメイヨシノ(たぶん)1本は公道にはみ出していたためか、行政によって、突出した部分が切られてしまった。
拙文論具の主は、専門が手練奇術である。
(異論もあろうかとは思うが‥)
演技内容といえば、いわゆる、手先の技を中心としたショーで、
ある意味、
地 味
である。
1000名以上のホール、現場などで、条件がマッチしない限り、その価値をきっちり示すことは、難しいかと思う。
2000年、FISMボルトガル、リスボン大会の最終日、全参加者が注目する中、屋外ステージで、しかも、けっこうな風が吹きすさぶ中、故、サルバノ師(ポーランド)は手練奇術で、その存在を示された。
このショーはFISMの目玉であるコンテスト受賞者の演技披露という目的もあるのだが、風が理由で、受賞者数人が演技をされなかった中での登場である。
もちろん、ビックモニターに投影されるという、副産物がともなうパフォーマンスであったが、我々観客の大多数はステージ上のサルバノ師の表現を注視していたのは言うまでもない。
腕を伸ばして親指を立ててみる。
たぶんステージのサルバノ師は、その親指くらいの大きさでしかなかったであろう。
だが、その演技は大きく大きく感じられた。
我々が演技を終えた師に送ったもの、それは、ただ
スタンディング・オーベーション。
長年の経験、演技に裏打ちされた自信、雰囲気、安定感など、形のない
「何 か」
が師を包んでいた。
それは、表に出ることがない、若いころからのトレーニング、アイデア磨き、独自の道具つくり、工夫などが一体となった結果のはずである。
植物は根で大地から水を得て、太陽からの恵みによって自身の葉で栄養を作り出す。
その養分で自らの装いである、花を設け、やがて実を結ぶものもある。
やがて装いを落とし、土に還り、養分を作り出す。
残った緑は、色を変え季節に別の彩りを添える。
そして、その彩りをも土に還るため枝を離れる。
そんな彼らを拙庵前で、集めていた、いわゆる
落ち葉かき
をした後のことである。
集めた彼らを、護美(ゴミ)袋にいれ、口を開けたまま、定位置にすえて数時間後。
拙庵の内が、おいしそうな香りにつつまれたのだ。
まるで、桜餅が目の前にあるような‥。
そこで、今日の一筆。
つづく