8/20(土) 23時半。
陸前高田のボランティアから東京に帰ってきて携帯をチェックすると、
弟から「至急折り返しください」
という留守電が。
折り返しをすると
「お父さんが南アルプスに行ってるって知ってる?金曜に帰ってくる予定が帰ってこないんだ。電話もつながらないし、滑落の可能性が高いんだって。」
さーーーーーー。
血がひいて、言葉が出なかった。
父の趣味は、登山とオペラとマラソン。
遊ぶことが大好きな父は、休みができる度、一人で山へオペラへマラソンへ飛び回っていて、
そんな父を、母も私達も止めたことはなかった。
いつも父がやりたいようにと
何をするにも反対しなかった私達だけど、
こんなことだったら、
一人で危険な所に行く時は止めるべきだった。。。
その日は、悪い想像ばっかりしてしまい、
涙が止まらなくて、泣き疲れて寝た。
8/21(日)
まだ父とは連絡が取れず。
母が警察や、父の山岳友達に連絡をとり、彼等が日曜夜から救助に動いてくれるという。
さらに、弟も仙台から会社を休んでかけつけ、一緒に同行するという。
母は、警察や救助隊から連絡がくるので、実家で待機。
私は、父に何かあったらすぐに静岡に向かえるようにと東京で待機していた。
前日泣きまくって、顔が土偶になっていたし、
何もする気になれなくて、
泣いては寝て泣いては寝てを繰り返し、一日過ぎた。
家で一人で待機していると、
悪いことばっかり考えてしまう。
そしてこの日は一日中、雨が降っていたから、
父の安否がとても心配だった。
8/22(月)
まだ父と連絡が取れない。
そして、この日も雨。
父の安否が一層心配。
心中穏やかではないけれど、
いつ連絡が来ても静岡に行けるように、
とりあえず会社に行き、仕事の引継ぎをすませたり、
アポ二件入ってたけど、
状況が状況なだけに、申し訳ないけれどリスケしてもらい、
パソコンの脇に携帯を置いて、
電話を待ちながら、引き継げない仕事を中心にこなしまくった。
その日は、
胃が痛くてご飯が食べられなかったので、デスクに保存食として置いているプルーンだけ食べて、
気づいたら、
朝から夜までずっとパソコンの前に座り続けていた。
それでも父の安否の連絡は来ず。
8/23(火)
まだ、連絡来ず。
そして今朝、
父の遭難が新聞に載ったらしく、
新聞を見た親戚や父の友人達が母を心配して、
会社を休んで、たくさん実家に来てくれたそうだ。
そんな午後15時。
父の安否を心配し
親戚友人一同、涙を流して連絡を待っていたその時、
母の携帯宛に、父から連絡が。
普通に山で迷子になり、数日間テントで野宿しながら、
自力で山小屋まで歩いてたどり着いたらしい。。。
一週間以上どう過ごしていたか、
詳細は分からないけど、
とりあえず、めっちゃ元気らしい(笑)
本当にホッとしました。
滑落して骨折して動けなくなっているんじゃ。。。
とか
滑落して打ち所が悪くて、死んじゃってたら。。。
とか
ここ数日間、
心配で心配で生きた心地がしなかったので、本当に嬉しかった。
でも、父の迷子に
こんだけの人が心配して、
こんだけの人が稼動して、
明日とかヘリコプター飛ばす予定だったし。
結局、迷子だったとか。。。
生きてて良かったけど、
心配でたくさん流した涙を返してくれ!
って思った(笑)
でも、
この出来事で、父をもっと大切にしようと思えたし、
こんな時でも母が毅然としていて、すごいと思った。
「お父さんは、滑落して腰や足を怪我して動けないんだと思う。あの人は我慢強い人だから、テントを張って救助を待っていると思うの。お父さんも頑張ってるんだから、私達もしっかりしなきゃ!」って。
あの状況で、なかなかそんな言葉言えない。
母、強し。
私もそんな女性になりたい。
そう思った。
そして、
関係者のみなさま、会社のみなさま、心配してくれてた友達、
ホントお騒がせして、申し訳ありませんでした!
明日から、私もまた元気に働きますので、引き続き、よろしくお願いします!
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陸前高田のボランティアから東京に帰ってきて携帯をチェックすると、
弟から「至急折り返しください」
という留守電が。
折り返しをすると
「お父さんが南アルプスに行ってるって知ってる?金曜に帰ってくる予定が帰ってこないんだ。電話もつながらないし、滑落の可能性が高いんだって。」
さーーーーーー。
血がひいて、言葉が出なかった。
父の趣味は、登山とオペラとマラソン。
遊ぶことが大好きな父は、休みができる度、一人で山へオペラへマラソンへ飛び回っていて、
そんな父を、母も私達も止めたことはなかった。
いつも父がやりたいようにと
何をするにも反対しなかった私達だけど、
こんなことだったら、
一人で危険な所に行く時は止めるべきだった。。。
その日は、悪い想像ばっかりしてしまい、
涙が止まらなくて、泣き疲れて寝た。
8/21(日)
まだ父とは連絡が取れず。
母が警察や、父の山岳友達に連絡をとり、彼等が日曜夜から救助に動いてくれるという。
さらに、弟も仙台から会社を休んでかけつけ、一緒に同行するという。
母は、警察や救助隊から連絡がくるので、実家で待機。
私は、父に何かあったらすぐに静岡に向かえるようにと東京で待機していた。
前日泣きまくって、顔が土偶になっていたし、
何もする気になれなくて、
泣いては寝て泣いては寝てを繰り返し、一日過ぎた。
家で一人で待機していると、
悪いことばっかり考えてしまう。
そしてこの日は一日中、雨が降っていたから、
父の安否がとても心配だった。
8/22(月)
まだ父と連絡が取れない。
そして、この日も雨。
父の安否が一層心配。
心中穏やかではないけれど、
いつ連絡が来ても静岡に行けるように、
とりあえず会社に行き、仕事の引継ぎをすませたり、
アポ二件入ってたけど、
状況が状況なだけに、申し訳ないけれどリスケしてもらい、
パソコンの脇に携帯を置いて、
電話を待ちながら、引き継げない仕事を中心にこなしまくった。
その日は、
胃が痛くてご飯が食べられなかったので、デスクに保存食として置いているプルーンだけ食べて、
気づいたら、
朝から夜までずっとパソコンの前に座り続けていた。
それでも父の安否の連絡は来ず。
8/23(火)
まだ、連絡来ず。
そして今朝、
父の遭難が新聞に載ったらしく、
新聞を見た親戚や父の友人達が母を心配して、
会社を休んで、たくさん実家に来てくれたそうだ。
そんな午後15時。
父の安否を心配し
親戚友人一同、涙を流して連絡を待っていたその時、
母の携帯宛に、父から連絡が。
普通に山で迷子になり、数日間テントで野宿しながら、
自力で山小屋まで歩いてたどり着いたらしい。。。
一週間以上どう過ごしていたか、
詳細は分からないけど、
とりあえず、めっちゃ元気らしい(笑)
本当にホッとしました。
滑落して骨折して動けなくなっているんじゃ。。。
とか
滑落して打ち所が悪くて、死んじゃってたら。。。
とか
ここ数日間、
心配で心配で生きた心地がしなかったので、本当に嬉しかった。
でも、父の迷子に
こんだけの人が心配して、
こんだけの人が稼動して、
明日とかヘリコプター飛ばす予定だったし。
結局、迷子だったとか。。。
生きてて良かったけど、
心配でたくさん流した涙を返してくれ!
って思った(笑)
でも、
この出来事で、父をもっと大切にしようと思えたし、
こんな時でも母が毅然としていて、すごいと思った。
「お父さんは、滑落して腰や足を怪我して動けないんだと思う。あの人は我慢強い人だから、テントを張って救助を待っていると思うの。お父さんも頑張ってるんだから、私達もしっかりしなきゃ!」って。
あの状況で、なかなかそんな言葉言えない。
母、強し。
私もそんな女性になりたい。
そう思った。
そして、
関係者のみなさま、会社のみなさま、心配してくれてた友達、
ホントお騒がせして、申し訳ありませんでした!
明日から、私もまた元気に働きますので、引き続き、よろしくお願いします!
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