理由はよくわからないのだが、最近ぼくのサイトに「小林カウ」で 検索して来てくれる人が多い。
テレビ番組で悪女シリーズかなにかを放送し、その時にでも紹介さ れたのであろうか?

 

● 机の下の手を取調官の太股に
小林カウは「天国の駅」という吉永小百合主演の映画の感想を書いた ときに取り上げていた。


小林カウはかなり強烈な個性を持っており、そのキャラクターは吉永 小百合が演じられるレベルのものではない。 逆に言うと、実際の事件をかなり脚色しているとは言え、吉永小百合 に演じさせようと思うその発想自体が飛び過ぎていてすごい。



むぅびぃ・とりっぷ-小林カウ

さて、その小林カウが女性初めての死刑囚だということは、何かで 読んで知っていた。


しかし、それだけではなく、彼女がぼくの記憶から消えないのは、 月刊誌「新潮45」(2006年10月号)の福田ますみ氏が書いた小林 カウの実像がすごかったからだ。


1970年死刑が執行された戦後初の死刑執行者だった小林カウは、 享年61歳だった。自ら死化粧をきれいに施し、絞首台に上がった という。


「つかまったということは、事業に失敗したのと同じことだと思い ます」
取り調べに当たった警察官を前に、彼女はそう言ってのけた。

取り調べには念入りに化粧をして臨み、セックスの話には身を乗り 出す。そして机の下の手を取調官の太股に這わせる。 百選練磨の取調官もこれにはたじたじであったという。

 


● 中村又一郎で恋を知った
小林カウは1908年、埼玉県の農家に生まれた。カウの家は貧窮 な家だった。
彼女は7人兄弟の次女として生まれ、尋常小学校を卒業後、裁縫塾 に通う。16歳で都会に憧れて東京・本郷の旅館に女中奉公に出た。


カウは22歳の時、姉の口利きで、新潟県出身の林秀之助(当時27歳) と見合い結婚した。秀之助は身長160㎝もない貧弱な体格で、青黒い ような顔をした青年だった。結婚してみると、秀之助は慢性胃腸病と 慢性淋病の持ち主で、酒飲みで短気だった。カウはまた、性的にも 満足が得られなかった。


夫婦で雑貨商を営んでいた1931年、長男が誕生するがまもなく死亡。 その翌年には長女が誕生した。
そのうち商売がうまくいかなくなり、夫婦は熊谷を離れ、東京近辺を 転々とした。戦争が本格化し、秀之助も兵隊にとられるが、体を壊 して戻ってきた。以来、秀之助は気力のない中年男になっていた。


戦争が終わると、夫婦は熊谷に家を建て、自転車のタイヤのブロー カーをする傍ら、ゴム、米、砂糖などの禁製品も扱い始める。 またカウは内職的に熊谷名物の菓子・五家宝づくりをてがけた。 さらに観光地向けの辛子漬や芋のつるの砂糖漬の土産物製造卸売り を始める。


生来、働き者で物欲の強いカウは働けば働くほど儲かる商売の魅力 にのめりこむ。
病みがちな夫に代わって、カウの働きで生計が支えられていた。


商売のために自分の体を売ることなど、彼女には朝飯前だった。 出入りの闇商人から炭屋、八百屋、果ては電気代までカウはピタ 一文払わず、代わりに体を差し出した。


ある時、近くの交番の若い巡査が戸口調査簿を手にして小林家に あらわれた。
巡査の名前は中村又一郎(当時25歳)。独身ですらりとした男前 だった。


それまでにも闇物質を警察に取り締まられたことがあったカウは、 中村巡査に厚いおもてなしをした。当初、カウは中村を娘の婿に、 と考えていた。しかし、やがては親子ほどにも年の離れた中村巡査 と愛人関係を結ぶ。


14歳で手淫を覚えるものの、秀之助から性的な快感を得られなかったカウは中村に夢中になっていった。 後にカウは「わたしゃ中村又一郎で恋を知った。今でも好きです」 と供述している。


中村とカウの関係に夫がやがて気がついて逆上すると、中村に青酸 カリを入手させて殺害。その後、中村とカウは同棲生活を始める。 中村は以前からその行状が上司に知られており懲戒免職になった。
しかし、関係は2年と続かなかった。中村がカウのガメツサに呆れ たからだ。


ある晩、酒を飲み過ぎて吐いた中村は、翌朝、カウの作った朝食を 見て仰天する。自分の吐しゃ物を洗っておじやにしていた。 「臭い」と中村が顔を背けると、カウはそれをペロリと平らげた。


 

● うまくいったら抱かしてやる
中村と別れた後、カウは今まで以上に商売に打ち込み、栃木県の 塩原温泉で土産物店、「那珂屋物産店」を開いた。 すでに48歳になっていたカウだが、色っぽいと評判で、自ら エロ写真や大人のおもちゃを売り歩いた。「那珂屋」に続いて、 「風味屋」という食堂も開店。これも成功させたカウは温泉旅館の
経営を夢見るようになる。


昭和33年秋、生方鎌輔(52歳)の経営する旅館「日本閣」が 売りに出されているという噂を聞きつけた。 日本閣は温泉を引き湯する権利を持たない三流の旅館だったが、 カウには十分魅力的だった。


そこでカウは生片に近づく。
生方はカウに、「妻のウメと別れる手切れ金50万円を貸してく れれば、ウメと別れてあんたと一緒になってもいい」という。 カウは「いっそウメを殺してしまおうか。そうすれば、ピタ一文 払わなくてすむ」そう持ちかけると、賛成したが「自分には殺せ ない」という。


カウは、日本閣の雑役をしていた大貫光吉(36歳)に色仕掛け で近づく。 「手間賃は2万円、うまくいったら抱かしてやる」とウメ殺害 を命じ、カウは大貫の手をとり股にはさんだ。女っ気のほとんど ない大貫は思わずうなずいた。


昭和35年2月8日、大貫は一人寝ていたウメの首を麻ひもで絞め て殺した。 直後にカウは日本閣に乗り込み、女将として采配を振るい始める。 しかし、このホテルが売りに出されていたことを知り、怒り狂う。
カウは大貫に、今度は鎌輔の殺害を命じる。

35年の大晦日、日本閣の帳場のこたつで3人はテレビを見て いた。カウは夕食の支度で台所に立ち、忍び足で戻ると、 背後から鎌輔の首を細引きで絞めつけた。そこへ大貫が鎌輔に とびかかる。カウの持っていた細引きが切れ、大貫は鎌輔を 押し倒し、首を絞めた。カウが包丁を差し出すと、大貫は抵抗 する鎌輔の首に刺し、殺害した。


そのまま元旦がおとずれ、年賀の客がやってきた。カウはこの時、 「鎌輔さんは東京に金策に行きました」と話した。こうして日本閣はカウのものとなった。


鎌輔殺害後、町では前よりも実しやかな噂が流れていた。 新聞もこの旅館経営夫妻の失踪を取り上げ始めた。翌36年2月20日、ついに小林カウと大貫は逮捕となった。 この時、カウは52歳になっていた。


「わたしはしっぱいばかりして、くやしいくやしいで一生終わ る女でございます。少しはよい所をみていただいて、ごかんべん をおねがいします」(カウ上申書)
と命乞いをした彼女だが、41年7月、大貫とともに死刑が確定 する。


一方、中村又一郎は証拠不十分で無罪となった。昭和59年にこの事件をモデルにした映画「天国の駅」が公開 された。カウ役は吉永小百合。 ここまで読んでくれた方ならば、彼女がカウの役を演じること
の難しさがわかってもらえると思う。


しかし、映画はそのアンマッチな配役にもかかわらず、脇には 西田敏行,三浦友和, 津川雅彦などが固め、抒情的で綺麗で この事件とは別の意味で見ごたえのある映画に仕上がっていた。

 


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参照:ホテル日本閣事件  オワリナキアクム
    新潮45 (2006年10月号)小林カウ「塩原・ホテル日本閣殺人事件」

    20世紀名言集「大犯罪者篇」

関連:小林カウは重ならない吉永さゆりの天国の駅

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