Lovers Stone (ラヴァーズ ストーン)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

愚者の旅





高いところから街を見おろすと、

人の活動を俯瞰して見ることができます。



人の暮らしは小さな毎日の積み重ねです。

いろんな思いの積み重ねです。



毎日働いて、勉強をして、

家族のことを思って、

誰かのことを考えて、

気に病んだり、喜んだり。



その全てが愛おしく思えます。


よーく頑張ってるなと応援したくなります。


みんなの命がこの世界を創っているのだと感じることができます。



この感覚、どこかで味わったことがあるなーと思ったら、



タロットカードリーディングと同じだ😍


ホロスコープもね。




タロットカードをお伝えしているとき、

神様目線で観るんですよーとお伝えしています。



問題の渦中にいると見えなかったものが、

タロットカードを展開することで、

渦中から抜け出て俯瞰で見えてくる。



「問題の周波数と解決の周波数は違う」



自分の命を「全て愛おしい」

「よりよく生きて欲しい」

という神様目線で見つめてあげることができるから、人生をよりよくする道が見えてきます。



この感覚と似ています。






お山に登ること

巡礼の旅に出ること

タロットカードを展開することの共通点は、



物理的に「距離を取ること」で、

感情や現実にとらわれずに、

自分の人生を見つめてあげることができるんですね。 



「〇〇するべき!」という目線になってしまうときは、神様目線から「ずれている」と気付いてね。



「〇〇するべき!」と思ってしまう自分を、

優しく見つめるもっと大きな目線がありますよ。




日常からすこしだけ離れてみること。



それが許されるなら、

できる範囲でなさるといいと思います。



旅に出る。

いつもと違うカフェに行く。

いつもと違う電車に乗る。



小さな冒険は、新しい風を吹き込んでくれます。







タロットカードは「フールズジャーニー」。



愚者という魂の旅。 



聖ヨハネの巡礼の旅だとか、

スペインの巡礼の旅だと言われます。

コンポステーラの旅




お遍路も愚者の旅、フールズジャーニーです。








転びながら、迷いながら、寄り道しながら、

自分の人生を歩いていきましょう。



現実が辛い時は、

現実から物理的に距離を取りましょう。



逃げなんじゃないか?

現実から取り残されてしまうんじゃないか?

と思うときこそ、寄り道しましょう。



逃げることだって知恵です。

私は今回、行場で怖すぎるハシゴは登りませんでした。



太刀打ちできないなら、

力をつけてリベンジするか、

もしくは、わざわざ越えないで幸せに生きます。





現実から取り残されてしまうと感じる時は、

自分のペースで歩ける道が必ずあります。



道は一つではありません。

必ず迂回路があります。





タロットカードを展開することは、

人生を愛することと同じ。



神仏に触れる旅をしていて感じたんです。

「自分が自分の人生の神仏になればいい」と。



誰よりも自分を応援し、

誰よりも自分の良いところも悪いところも受け入れてくれる存在に、自分がなればいい。



現実にとらわれるとそれが難しいから、

「現実から距離をとる」こと、

なさってみませんか?



愛するって、そういうことだと思うのです。











お遍路⑩一歩一歩進めばちゃんと辿り着く・捨身ヶ岳





皆様こんにちは🌞



今日は、

第73番札所 出釋迦寺(しゅっしゃかじ)の奥の院、


「捨身ヶ岳」(しゃしんがたけ)にて鎖場を登り、


幼い頃の空海、「稚児大師」に会いに行くという修行をさせて頂きました。







私は弥谷寺から曼荼羅寺を経て、歩いてきました。  


山羊男さんは車です🚌



空海さんはこの近辺で生まれ育っていますから、

絶対この道を歩いたはず❗️と思ったので歩きたかったんです。



空気をスーハー吸い込みながら歩きました😂 







捨身ヶ岳とは、

7歳の空海が「仏法によって全ての人々を救うんだ!」と誓い、


「それが、叶わないのならこの身を神仏に捧げます!」と、 

この山から身を投げたところ、


お釈迦様が現れて、

空海を天女が受け止め救われた、と言う場所です。



7歳ですよ⁈



40代半ばの私はこの身が惜しくてたまらず、 

落ちないように、滑らないように、

しっかり足場を踏み締めて登りました👟



神仏への信頼、命を懸ける覚悟。



そういえば昨日ひいたおみくじに、

「神仏に委ねなさい」と書いてありましたが、



「生死は委ねますが、精一杯生きるように努めます」と、


生きて行を修めることに集中しました🙏








この場所に、

お大師様が生きていた。





岩に彫られた不動明王🔥



今は高野山にて瞑想中とのことですが、

「人」として迷いながら生きていたお大師様の、



見ていた景色、

聞いていた音、

肺に吸い込まれる空気を想像しました。







今とは違うけれど、何か同じものはあるのではないか…



と思っていたら、ありました!!!



多分、1,200年前も同じなのでは?







↑この陽炎のようなおの景色と、






お山の向こうのの景色。


似てませんか⁈




岩屋寺で見た、お大師様の言葉。




山高き 谷の朝霧 海に似て

松吹く風を 波にたとえむ



全てを育む「生命の循環の働き」のことを例えていたのかもしれませんが、


岩屋寺だけでなく、 


若い頃から修行されていたお山に海を感じていたのではないでしょうか?



あらゆるものを飲み込む風の音は、

波の音のようだし、


何よりこの景色。





1,200年前は今よりもっと海が迫っていたと言いますから、

もっともっと、

山と海との一体感を感じていたのかもしれないと、



足元ガクブル:(;゙゚'ω゚'):

岩場にしがみつきながら思いました。



本当のところはわかりません。



だけど、今回、

無事にここまで登ることができたことが、

何よりの本当。



「稚児大師様にご挨拶できた💓」という喜びいっぱいで、

深い祈りや、

深い感謝には届いていませんが、



普段、石とたわむれ、

タロットカードと遊ぶインドアな私が、

岩場に登ることができた。



それこそが、私の中に刻まれた真実である






出釋迦寺の駐車場から上がったところに奥の院の駐車場があります。



ここまででもかなりの急勾配なので、

お車の方は、

ぜひとも上の駐車場へ。



さらに上に駐車場はありましたが、出釋迦寺さんの許可と鍵が必要のようです🗝



行場よりも、駐車場からの急勾配の道の方がきつかったからえーん


むしろ、この道からが行(ぎょう)。






↑桜の花びらが落ちて、

ピンク色の美しい道になっていましたが…



へんろ道よりもコンクリートで舗装されて歩きやすいですが…



めっちゃきつい。



めーーーっちゃきつい。



しっかり急勾配。



くだりはもっっっときつい!膝に来る🦵

金剛杖の出番👩‍🦯

 


足腰が不安な方には、

出釋迦寺境内に遥拝所があります。






私なりに見つけたコツは、

「目の前を見て、一歩進む」です🚶‍♀️



上を見ると、長い登り道にげんなりする驚き

下を見ると、崖が怖くて足元がすくむ真顔



この一歩、この一歩、と足を前に出していけば、

いつのまにかゴールに到着しています。



山羊男さんは学生時代レスリング部でしたから足腰が強く、

鎖場の鎖を、

「ロープ登りの要領」と言ってスイスイ登るんです。



ロープ登りとは、天井からぶら下がっているロープを腕の力だけで登ることである。  苦行。 やったことない。



それを見て、いいなーと思いました。

体力があると、お山を感じる余裕があるからです。



毎日唱えるご真言も、

リズムや息継ぎはよくわかってないけれど、

低い声で響くようにお唱えすることができる。


しっかりとしたお経っぽく聞こえる笑



その声を聞いていると、

響きが見えない世界に届き、彼の「行」ができているように感じて、

やっぱり「いいなー」と思う。



体幹の差かな。



自分の「行」は自分にしかできないから、

ゆっくりでも、

未到達でも、

私は私を響かせるだけですが、この心と体を活かせるようになりたい。



なによりも山羊男さんの素敵なところは、



普段から特別信心深いわけではないけれど、

毎回しっかりご真言を読み、

神仏への挨拶を心を込めてできるところです。



それは、同じように88ヶ所を巡る人たちへの敬意になるからです。





お山を降りて、再び出釋迦寺に戻り、 

「何か、奥の院にまつわるお守りありますか?」と伺ったら、



「満月の日に奥の院で御祈祷するお守りです。」と出してくださった、瑞気✨



家全体のお守りなので、かなり大きめサイズ。

2,000円です。


「自宅に帰るまで絶対に開けないでください」とのことびっくり


満月の日の捨身ヶ岳の空気が詰まっているということです🌕わくわく。


それから、健康回復の御祈祷がされた「タンクトップ」300円を、とても珍しいので頂きました🎽






天空の鐘楼🔔






捨身ヶ岳の釈迦如来様🙏






夜ご飯はうどん。  






修験といったら、ほうけん様というレベルです…

お遍路⑨泣きながら歩いた延命寺・感情が昇華される遍路旅


53番札所 圓明寺の大師堂。瓦が立派!龍に羽根が生えています🐉



皆様こんにちは🌞

ただいま愛媛県の札所を打っています☺️



今日は第53番札所「圓明寺」から

第54番札所「延命寺」まで歩きました🚶‍♀️



実際は34km8時間のところ、

途中の「浅海駅」まで車に乗せてもらい、

18km4時間を歩きました。



昨日までの筋肉痛を引きずりながら、

ゆっくり歩を進めました。



筋肉痛の原因、岩屋寺の鎖場。



その後、車遍路で59番札所「国分寺」まで、

少し急ピッチに打ちました。



愛媛県の天気が火曜日から雨のため、



霊峰石鎚山の札所「横峰寺」と、

石鎚山の神社を晴れの日にゆっくり参拝したかったので、

少し頑張って周りました。



四国の地層は秩父帯と繋がっています。



石鎚山と私の住む埼玉県が繋がっていると思うと、

すごく不思議な気分です。



本当は無関係なものなんて無いのだと気付かされます。







延命寺までの道のりはエメラルドグリーンの海沿いなので、


車でも、歩きでも、自転車でも楽しい✨



美しい海を眺め、

爽やかな風に吹かれながら、



私はモヤモヤイライラしていましたちょっと不満






お遍路の効能のひとつに、

「眠っていた感情が浮かんでくる」ということを発見しました。



眠っていた感情を浮かび上がらせて、

向き合って、昇華する。




旅立つ前に、

脳出血で倒れた父に会いに行きました。



父の入院している病院は、

家族カードを持っている二名だけが、

一日15分間お見舞いに行くことができます。



900キロ離れた父の入院している病院に、

弟から家族カードを借りて会いに行くと、


「家族カードの本人でないと面会できません」と言われ、大ショック🤯



「え、でもこの前は面会できましたけど…?」



「本来はダメなんです。ですから、面会できません。」



えー!!!

何それ⁉︎



でも、病院の立場を考えると、

感染症がまだ流行っている3月に、

多くの面会者を受け入れて、

何かあったら大変どころでは済まされません。



だけど、父に会うために長い休みをとってきたのに悲しいガーン


悲しみと困惑の顔をしていたら、

責任者の方が来て、今回だけはと二日間会わせてくれました🙏





モヤモヤイライラの原因はここからです。



父を担当してくださっている看護師さんが来て、



「先日も来てましたよね。」


「あ、はい。」


「お父さんに『綺麗な人が来てましたね』と言ったら、『だれだっけ?保険の人かな?』って言ってたんですよー😂」


「えー!どういうことですかー😂あはは」



というやりとりがあったのですが、



ぜんっぜんおもんな。

(全然、面白くない)


家族カードを持っている人しか会えないのに、

なんで保険のお姉さんが会えるの⁈


しかもそれ、私のことを忘れてるってことじゃん。


なんでそれを私に言ったんだろう?


脳出血だからさ。


しょうがないけど。


しょうがないけど悲しいよ。


なんでへらへら笑って返したんだろう…悲しい



ということを、

海風に吹かれながら、もんもんと考えていました。




大きな石油工場。自然だけでなく、人の暮らしも見えてきます。



看護師さんは、何も悪くありません。


浮かび上がる感情は、

私の中にある「何か」が反応しているということ。



思えば実家を出て25年経ちます。

コロナ前から合わせて5年帰っていませんでした。


私よりも、保険のお姉さんの方が会っていたかもしれません。


忘れてもしょうがない。




また、近所の方が、

「忘れてしまったことを思い出すことは難しいから、これから新しい記憶を作っていけば良いのよ」と教えてくれました。



その「これから」に、私はそれほど多くを一緒にいることはできないでしょう。


だって、私の暮らしは、ここにあるから。



そのことへの「申し訳ない気持ち」と、

家族なのに会うことのできない「無力感」が、

私のモヤモヤイライラの原因でした。



歩きながら、メソメソ泣いていました悲しい




海だけじゃないよ。



じゃあ、何もしてこなかったかというと、

思い起こせば、そうでもありませんでした。



父が倒れてから、


父と一緒に暮らしていた弟の話を聞き、

離れているから客観的にできることを伝えました。


お金のこと、

保険のこと、

年金のこと、

包括センターのこと…


ちゃんと「ありがとう」と弟から言ってもらえました。



そして、これから父が、

私のことをほとんど思い出せなくなっていったとしても。



私を産み育ててくれた事実は何ひとつ変わりません。



別に覚えてなくてもいいや。


私は私のできることをしよう。



広い空の下、

どこまでも続く道を歩いていて、

そう思えました。



そう思えたら、看護師さんの言葉に、

「なんでやねん」と笑いながら突っ込めました。




夫の隠し撮り📸



この後、巡礼の旅の相棒である「金剛杖」を失くしましたガーン



実は道中に、モヤモヤイライラに任せて、

地面を2回ほど「クソっっっ!」と強く突いたのです。



お遍路には約束があります。

「不瞋恚」怒ってはならない

「不悪口」悪口をいってはならない



しかも、

金剛杖は弘法大師の身代わり。


ごめんなさい🙇‍♀️


遍路ころがしも足摺岬も、

鎖場も、

のどかな田園も、

ごーごーと流れる川沿いも、

私を支えてくれていた金剛杖。



もー、ほんとうに、辛かった😭

お大師様が離れてもうた〜。


すぐに思い当たる札所に電話をしたら、

私の杖らしきものが大師堂にあるとのこと。



よかったー😂





おかげで杖は戻って来てくれて、

新たな気持ちで巡礼に迎えます。



お遍路の旅は、

思い切り感情が解放される。


日常を過ごす中で、

いちいち立ち止まっていられなくて、

感情をスルーしてしまうことがあります。



だけど、修験の学び、山を歩くことで教えていただいたんです。



一歩一歩進めばいい。


立ち止まって、世界を感じて、深呼吸する時間が、次の一歩の力になる。



人生即遍路。

立ち止まって、感情を感じて、私は私のお遍路を進んでゆきます。





延命寺さんまでの道中で出会った遍照院さんは、

とっても気持ちの良い寺院さんでした。








本堂の前に立つとぶわっと風が流れて来ます。















お遍路⑧全てを包む空と海・御厨人窟へ



お遍路を打つと決めたときは、



お遍路を巡礼したかった母の願いを叶えることと、

私も周ってみたかったから、ということで、



ただ八十八ケ所を巡り、祈り、感じることで良いと思っていました。



実際それだけで十分だと思うのですが、

峯龍先生のこちらの記事を読んで、



空海さんの軌跡を感じる

というお遍路があるのだと知りました。


「空海」その人を感じてみる。



その視点を持つことができたら、

もっと心が充実しそうだと、



さっそく空海さんの著書「三教指帰」を徳島の本屋さんで購入📚






まずは訳文だけを読み、 



若かりし頃の空海さんが修行された場所、

室戸岬にある御厨人窟(みくろど)へ。







この日は、5時45分が日の出の時間だったので、

日の出に合わせて向かいました。




風が強く、肌寒かったのですが、

お尻にサウナマットを敷き、

シュラフを膝にかけて夜明けを待ちました。







空海さんが御厨人窟にて修行していた際、

明けの明星が、空海さんの体内に入ってきたといいます⭐️








どんな景色を観ていたのかな。わくわく。









曇り予報だったので、お顔を出してくれるかな??








出てくれましたー🙏

優しい朝日です。



きっと、こんな日もあったよね。



空海さんの見た景色🌞

1200年以上前は、実際はもっと海が近くに迫っていたといいます。








「三教指帰」と修行場との時系列がわからなかったのですが、



この後訪れた27番札所「神峯寺」の大師堂に書いてありました。






ありがたい💕







朝日の射す御厨人窟。

ひんやりしていて少し怖かった洞内が、

温かくなりました。





 


洞窟は黄泉の国であり、

母なる地球の子宮です。



そこに射す太陽の光は新しい生命の誕生のよう。






前日に訪れた太龍寺の舎心ヶ嶽の空海は、空にいました。


空とお山はいつも一体です。


私たちが山を見上げるとき、必ずそこには空があり、太陽の光に満ちています。



この地球上で空に一番近い場所は、

ヒマラヤ山脈という山。



女人禁制のお山は、どこまでも高みを目指す男性性の象徴です。




足摺岬方面の海



そして、海というのは、

お山から流れ出た水を受容れて飲み込み、

生命の源となります。



処理水も、排水も、全て受け容れ浄化します。



地球上で一番低い場所はマリアナ海溝という海底です。


海は命を養う女性性の象徴です。







足摺岬まで30Km歩いた時に、

「空海」という名前のすごさに気づきました。 



広大無辺の空はどこまでも高く広がり光に満ちて、

深淵なる海はどこまでも深く闇を飲み込む。



生と死、

光と闇、

陽と陰。


この世の全てを内包しているお名前だったんですね。

 






すべてはこの空と海の間で起こること。



どこにいても何をしていても見守られている。

必要なことは姿形を変えて必ず目の前に現れる。



だから、安心して喜怒哀楽を感じればいい。



肉体を脱ぎ捨てて魂だけになったとき、

この心のうちに蓄えられてきた感動が、 

世界に響いていくはずだから。

 




24番最御崎寺に着いた時、

お大師様が花束で迎えてくれました💐



お遍路⑦信仰の深さ・35番札所清滝寺から36番札所青龍寺へ




皆様こんにちは🌞


4月8日月曜日は、


35番札所 医王山 清滝寺から、

36番札所 独鈷山 青龍寺までの約14kmを歩きました。



前日の7日に約25km歩いて疲労が残っていましたが、清滝寺の清涼な空気に視界がスッキリ。







こちらの札所は、車遍路の難所と言われています。



すれ違うことが難しい細い道なので、

1.3キロ離れた場所に車を停めて歩いて向かいました。







インターネットの情報により、

清滝寺のお山の下の高架下に車を停めさせていただきました。




とにかく道中がずーっと良い香りなんです。



花々の香り、

踏みしめた落ち葉から立ち上がる香り、

少し湿った地面の香り。

 






歩いて登らなければ通ることのできない仁王門。



龍の天井画がお迎えしてくれました。







清滝寺さんの境内の裏のお山から、だくだくと溢れる水。



この後、町を歩いたのですが、

水路が整備され、

このお山から流れ出た美しい水が、

町中を流れておりました。



きっと、危険なこともあるのだろうけど、

水の流れ、「龍」と暮らす人々です🐉






納経所では、よくしゃべるにゃんこがムフッとしてました😻



お返事してくれる良い子です😻






本堂には十二支の方位盤があり、厄払い感がすごかったです✨




爽やかな清滝寺さんを後にして、

夫の山羊男さんと一旦別れ、

歩いて青龍寺まで向かったのですが、


これまでの幸せいっぱい、感謝いっぱいのお遍路ではなく、


自分のダークな部分と向き合う14kmでした真顔







過去の失敗

やりきれなかったこと

人を傷つけてしまったこと、というような「過去のこと」



父のリハビリの具合

兄弟とのやりとり、

自分の健康、夫の健康など、

現在進行形のことから想像する「未来の不安」




トンネルはマスクをして歩きます🚶‍♀️



ついには長いトンネルを歩いているときに、

過去世での「国を追われる」という記憶までリアルに思い出されて、


ずーーーん_| ̄|○



蓄積された疲労のせいでしょう。

暗いトンネルの中ということもあるでしょう。



それに、こういうときに出てくる記憶は「悪い方にねつ造される」、

もしくは「誰かの記憶を引っ張ってきている」ことが多いので、



覚えたての般若心経を唱えながら歩き続けました。


お遍路を打ち始めて体感しているのは、

お経やご真言の力。


内側から溢れてくるダークな部分を否定するでもなく、肯定するでもなく、昇華させてくれる感覚です🙏



札所を目指して歩き、

お経を上げて、

また次の札所へ歩き出すということの繰り返しで、

溜まっていたものが解放されていきます。



お経を上げているその瞬間よりも、

車遍路の方は車の中で、

自転車遍路の方は自転車を漕ぎながら、


記憶が整理、浄化されていくのではないかな。





トンネルを出た途端に海が見えて、

一気に「今」に引き戻されました!



自然ってすごいね。

先ほどまでの鬱々とした気分が嘘みたいに晴れました✨







土佐大橋を渡って、








36番札所青龍寺へ到着!







近くに元横綱の朝青龍が通っていた高校があり、

朝青龍は部活でこの青龍寺の階段を登り降りしていたそうです!



すごい。



朝青龍という四股名(しこな)も、

この青龍寺からとったということです。



ご本尊は波切不動🔥



空海さんが唐へ留学するとき、

船を襲う波を、

空海さんの「文字の不動明王」が切って助けてくれたということから、波切不動というそうです。


絶対秘仏です。






空海さんの密教の師匠、

恵果阿闍梨のお堂では、

可愛いにゃんこがポーズをとってくれました。  



この子もおしゃべりで、

なにかフニャフニャしゃべっていました😽







この日は昼過ぎから雨予報だったのですが、

待っていてくれたようで、

お勤めが終わったらポツポツ降り始めてきました☔️



「奥の院に行きたいのにな…」と思っていたら、






奥の院の参道に入った途端に止みました😍



今回の旅は、天気にとても助けられているんです。



遍路ころがしの日の雨予報は、

薄曇りの過ごしやすい天気になり、

夜中に降ってくれたり、



青龍寺の奥の院は、

途中から土足禁止の聖域になりますので、



雨が降っていたら靴下が大変なことになっていました😂🧦💦   





土足になったことでアーシングになりました🌳



こちらの奥の院は、

ものすごーく信者さんに大切にされているのがわかります。



参道に落ち葉がほとんど落ちておらず、

お供えされている花は豪華で元気🌸



聞くと、

「毎日掃除しに来てくださるんです」とのこと。



これだけ大切にされ続けていたら、

仏様もさぞかし喜ばれて、

ますます青龍寺のご神徳が増しますね🙏



「信仰」というと、

「何かにハマっている弱い人」というようなイメージを持つ人もいらっしゃいますが、


信仰をきちんと心に持つことができる人は、

とても優しくて強いと思います。



自分1人の力ではないという謙虚さを持っていて、


何かが起こったときに、

これも神仏の計らいと受け止めることができるからです。   



おかげ様ですね。



「毎日お堂を綺麗にする」ことが、

「あー今日も神様仏様に喜んでもらった!」と、

その人の生きがいになっていることだってあります。





この旅の道中、

首にかけている秩父今宮神社さんの木札と、  




秩父曼荼羅小屋の木札。





天気に助けられるたびに、

「オン メイギャシャ ニエイ ソワカ」と、

使い方が合っているのかわからないけど😂



八大龍王のご真言を

「ありがとうございます」の気持ちを込めて唱えています🐉







青龍寺に着いた時、

同じタイミングで20名様くらいの団体さんと一緒になりました。



正直「やばい!」と思いましたが、

今回は、

たくさんの人の中でブレずに自分のお経を上げる!

と覚悟を決めました。



結果、

3回噛んだ。


宇宙人くん



短いご真言は最初から言い直したけど、

般若心経はごまかしました…。



不垢不浄 不増不減 のところを、


ふーくーふーじょー ふーじょーふーげん

と、同じこと2回言った。


ブレッブレ。



明日の課題にします。



いつもブログが長くなってしまいすいません🙇‍♀️

おやすみなさい😴💤





輪袈裟どめ、こちらと同じものを購入しました✨





1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>