こんばんは。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
さろん楓ふなだまほです。
さて、スローモーションっていえば
♪出会いは~~~スローモーショ~~~ン♪でしょうか。
“瞳の中に映る人”を語りたいのではなく、
感情の分かれ道のお話。
先日、もう日付が変わろうという頃帰ってきた夫と
翌日の予定について話していたときのこと、
夫がとても“悲しい言葉”を吐きました。
なんだかがっくりきちゃう言葉。
なぁんで、そんな嫌な言い方するんだろ?って言葉。
でも、まぁそれが現実か。。。
とあきらめざるを得ない言葉。
でも、そのとき、私の中で面白いことが起きていました。
人は、自分で現実を選び取っている…と言いますね。
…自分の感じる感情さえも自分が選んでいる、と。
たとえネガティブな感情であろうと、
人は必要があってそれを選択する・・・と。
まさに、この感情の岐路が視えたんです。
さぁ、私はどっちを選ぶ?どっちの道に進む?という
選択の瞬間がスローモーションで視えた。
すごくショックを受けて、
悲しんでみたり、そのことをオオゴトにしたりすることもできるけど、
そっちは選びませんでした。
ちょっとザンネンではあるけれど
現実的に対応しよう…と。
別にそっちの道に行っても
それで私は悲しくもないし、みじめでもないし、
何も失わないな…と。
ただ単に現実を受け入れる。
なので「その言葉はとても悲しいけど…」と断ったうえで
夫の希望に添うようにすると伝えました。
「それを受け入れます」って。
そして、さっさと寝ました(笑)
そもそも眠かったし^^。
ここで、もう条件反射的に、
「一つの道しかない」と、
=そう思い込んでいると
それは窮屈なわけですね。
どうしても、人の言葉に左右されてしまう。
振り回されてしまう。
今回、なぜだか、
ああ、選べるんだな、選んでいるんだなというのが
実況中継できるほどに自分の意識がたどる様子をトレースできて
「これしかないっ!」
じゃなくて
「どっちにしようか?どっちに行こうか?」と選べるのは
実に豊かなことだと思いました。
あ~、自分の感情は自分で選んでいるんだというのは
こういうことか~とリアルにわかった興味深い瞬間でした。
☆ ☆ ☆
一応、後日談を書いておきますと^^
夫は、その夜の時点で、
私のテンションが明らかに下がったのを見て、
それなりに「まずい」と思っていたようでしたが^^
その晩は私がさっさと寝てしまったので、そのまま。
翌朝、野球に出かける早朝、夫は謝ってきました。
そして、私の希望通りにしていいって。
私は、もうあきらめていたのですが、
逆に「頼むから」と請われて、
そこまで言うのならと、自分の希望を通すことに。
その晩も改めて、謝られました。
「ほんとにごめん」って。
結果的に、私の案でいろいろなことがうまくいったって。
それは「たまたま」であって、
ほぉら、言わんこっちゃない・・・みたいなことは
今回は思わないですけど、ね。
ただ「もう、あんなこと言わないでね」と言って、おしまい。
これは余談ですが、
喧嘩が上手になる(?!)とは
コミュニケーションが上達するということでもあります。
これは子どもにいい影響を及ぼします。
そもそも人は衝突するもの。
その衝突を解消する現場を見せることになるわけですから
子どもにとって格好の学びの材料になるのです。
だから、喧嘩をすることを恐れなくていいんです。
衝突を恐れる必要はない。
ただ、喧嘩を見せたら、仲直りのシーンも見せてあげる。
それが鉄則かな・・・と思いますね。
それは「関係は修復できるのだ」「衝突しても関係は壊れない」」
という強烈なメッセージになりますから。
そして、同時に修復の仕方、謝り方を具体的に教えることになるんですね。
☆ ☆ ☆
…不思議とその嫌な言葉に関して
禍根は残っていないです。
これが「たまたま」なのか、
今後もできるのか、
自分でもわからないのですが
ただただ、マインドが静かなのは心地がいいです。