美しい山々の奥地、フワスのホームステイ先で迎えた朝6時。僕は扉の下から漏れる外の光と楽しげな話し声で目が覚めた。
外へ出ると、イスに腰をかけ談笑をするおじいさんおばあさん達、水汲みの大きな容器をかつぐ子供たち、朝食の用意をするお母さんたちが寝起きの僕を迎えてくれた。
朝食はネパール伝統の紅茶チャイとビスケットという簡単なもの。体も心も温まる。
くつろぐ僕の隣では8才の少年ノーライツが青と黒の二色刷りのボロボロのプリントの束をホチキスでとめただけの教科書を持って音読をしていた。
「勉強するのは好き?」
と尋ねると、ニコッと笑って大きくうなずいた。
フワスの子供の一日は、この早朝の宿題の時間で始まるようだ。
この後、ノーライツは学校へ行った。
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午後になって、僕たちも村の学校へと向かった。
この村の子供たちは勉強への意欲であふれていた。
村の学校でインタビューを行うと、ほとんどの子供たちが好きなことは勉強だと答える。英語は小学校1年生から習い始めるという。
この村の子供たちは“変えたい”という気持ちを持っていた。
カーストの根強い田舎のこの地で、差別をなくしたいと訴えるブラマンの子がいた。
世界2位の水源をもつネパールがそれを有効に使えていないことに憤りを感じている子がいた。
この村の子供たちは自分たちの村を愛していた。
フワスの雄大な自然、景観を守りたいとみんなが口をそろえて言う。
フワスの子供たちは、自分たちの生まれ育った村の生活をより良いものへ発展させたいという気持ちで勉強に励んでいるのだ。
それに比べて、中学の時は行きたい高校に入るために、高校のときは良い大学に入るために勉強してきた僕。
純粋でシンプルな子供たちの勉強への意欲に、子供たち一人ひとりが村を、国を想う気持ちに驚き感心したと同時に、自分が恥ずかしくなった。
***
ネパールの教育制度は改善されてきてはいる。
しかし僕が見たものは、教科書とは言えないような教科書、うまくインクがのらない質の悪い紙のノート。夜は真っ暗で、勉強ができる時間は限られている。
まだまだ日本のように教育の環境が整っているわけではない。
それでも子供たちの意識は高かった。
僕が今までしてきた勉強は良く言えば“目の前のことを全力で”、悪く言えば“その場しのぎ”だった。
なぜ勉強するのか、その根底となる理由が僕にはなかった。一本の芯が通っていなかった。
日本から遠く離れた途上国のある村の子供たちから、僕は教わった。
【文責:広報局1年 井上知也】