【大河ドラマ・真田丸】第25話「別離」感想とまとめ | 小栗さくら公式ブログ「諸行無常の日々」

【大河ドラマ・真田丸】第25話「別離」感想とまとめ

真田丸第25回「別離」

一話の中で三人の死が描かれるという哀しい回でしたね。
秀吉公の弟であり、寧さん以外で唯一秀吉公に歯止めをかけられた人物・秀長さん。
秀吉公の側近として政治にも関与した茶人・千利休さん。
そして秀吉公の愛児・鶴松。

兄・秀吉公への「最期のご奉公」として利休さんのことを伝える秀長さんのセリフ
「兄上は!あと何年生きられるおつもりか!」
これは胸にきましたね。
言っている時の表情があまりに辛そうで…(̂ ˃̥̥̥ ˑ̫ ˂̥̥̥ )̂

史実でも、秀吉公の晩年を見ていると秀長公がもう少し長く生きていたら…と思いますよね。
そしてまた秀次公が死に追いやられていなかったら豊臣はもう少し違う形で残れたかもしれません。
歴史にifはないというものの、「真田丸」は人物一人一人が魅力的なので「この人を失ったのは大きい…!」と思ってしまいます。

またこの数回で特にそうなのですが、
三成さんと吉継さんの対比が非常に面白いです。
不器用で冷たく映ってしまいがちだけど、心の底では秀吉さんへの熱い想いがあり、汚いことが苦手な三成さん。
対して人当たりが良く誰とでも上手く付き合うことができながら、実は三成さんよりずっと合理主義な吉継さん。

今回のお話でも、秀吉さんの子・鶴松がまだ存命であるのに、死後の寺の手配まで進めようとする吉継さんに、
「その話はまだ早いのではないか」と少し戸惑う三成さん。
対して「(鶴松様は)明日の朝までは持たぬ。今のうちに手を打っておくべきだろう」と冷静な吉継さん。

こんなに冷静な吉継さんが、関ケ原の戦いの時に三成さんのどんな言葉に心を動かされるのか、今からそのシーンが楽しみでもあり、まだまだ見たくないような気もします。

関ケ原の戦いまであと数年。
関ケ原後の正則さんと清正さんのことも気になってしまいますね。

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(以下敬称略)

「内々のことは利休に相談せよ、公のことは秀長に相談せよ」と大友宗麟が言われたというほど、秀吉の側近として大きな力を持っていた利休。
 そんな利休は天正19(1591)年2月13日に蟄居を命じられ、その半月後の28日には自邸で切腹しています。
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 利休の死の理由には諸説あり、よく知られるのが大徳寺三門・金毛閣の二階に自身の像を設置してその足の下を秀吉に通らせたため、というもの。
 ほかに、利休が不当に高い茶道具を売りつけて巨利を得ていたという噂や、利休の娘を秀吉が側室にしたがったが断ったというもの、秀吉との意見が合わなくなったから等々…未だに様々な説があり限定できません。

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 大徳寺三門・金毛閣からは利休の木像が引きずり下ろされ、一条戻橋に磔にされたと伝わります。
 そして利休は自邸の聚楽屋敷で切腹し、屋敷は利休の死後取り壊されることになりました。

その屋敷の一部が今も京都に残ります。

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それが大徳寺塔頭の高桐院の書院です。高桐院は利休七哲(利休の高弟)の一人である細川忠興の創建です。
利休が蟄居を申し付けられた際、縁ある者で利休に会いに行ったのは細川忠興と古田織部くらいだったと伝わっています。

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 この高桐院には細川忠興とその妻・ガラシャの墓所がありますが、墓石の灯籠は"利休愛蔵"のものだったとか。

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この灯籠はかつて秀吉が利休に所望し、利休が断ったもので、それを利休が忠興に譲ったと言われています。
忠興にとっては師・利休の形見ともいえる灯籠なのですね。
灯籠は、利休が秀吉の所望を断る際に欠けさせ、その後譲り受けた忠興も欠けさせたと言われます。
また墓所には、忠興の歯と妻・ガラシャの遺骨の一部が納められているそうです。

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一方、上杉と利休も関係があります。
上杉景勝が上洛した天正14年6月16日、景勝は秀吉から朝の茶会に招かれます。
茶会後、景勝と共に上洛していた上杉家臣の直江兼続・千坂景親は、利休から茶を出され、その場には名物茶器が並んでいたそうです。

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また上洛した景勝が大坂城での初対面に際し、黄金の茶室で利休の手前で茶を振舞われたといったことも見受けられます。
利休切腹の際にも、景勝は上洛しており、秀吉は利休が奪還されないよう景勝に屋敷の包囲・警備を命じたと言われています。

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