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何だろう、これ?

昨日(3月27日付)の新聞(日経等)で、不思議な記事を見た。

公務員改革、省庁側が反論文書・自民幹事長は難色示す



 公務員制度改革の政府原案の対案として、財務省が作成した反論文書が26日明らかになった。再就職が円滑に進まなくなるとの強い懸念を示し、新・人材バンクは機能の検証が必要と指摘。定年延長などを盛り込んだ基本法を制定したうえで具体的な制度設計を進めるよう求めた。ただ、反論文書は事実上結論を先送る形で、中川秀直自民党幹事長らは難色を示している。



 文書は塩崎恭久官房長官が全閣僚に示した政府原案への反論。同省はバンクについて「スムーズに機能するには人事当局との適切な連携が必要」と主張、制度設計に時間をかけるよう要求した。制度改革にあたり基本法を作り(1)長く役所にとどまれる専門スタッフ職(2)公募制――などの導入を盛り込むよう訴えた。

筆者自身、『財務省が作成した反論文書』なるものの実物を見た訳ではないので、その内容の当否についてどうこう言える立場にはない。しかし、(内閣を構成する財務大臣ではなく、行政機関である)「財務省」が、どのような法律上の根拠または権限に基づいてこのような文書を作成したのか、不思議に思った。


論点① 憲法上、財務省のような「行政各部」(72条)(通常の言い方だと行政機関)は、「行政権」(65条)の主体たる「内閣」(65条)の「指揮監督」(72条)に服することとされている。記事にいう『官房長官が全閣僚に示した政府原案』は「内閣」の議論に他ならないが、これに対して「内閣」から「指揮監督」される立場にある財務省という行政機関が公然と(新聞記事になるような)『反論文書』を作成し、介入するというのはどういうことなのだろうか。もちろん、内閣の構成員である財務大臣が反対論であろうが何だろうが意見を表明するのは問題ないが、「財務省」が「内閣」の議論に対して『反論文書』を作成し、介入することが許されるのか、ということである。



論点② 百歩譲って、何人にも表現の自由(21条)が認められるとしても、「内閣」で議論している『政府原案』に対して、「指揮監督」される側の財務省が『反論文書』を公然と作成するというのは、公務員の憲法尊重擁護義務(99条)の観点からしてどうなのか。



論点③ 「法律による行政の原理(≒法治主義)」の原則からすると、行政機関は法律上の根拠または権限に基づく行為しか許されない。財務省設置法上、『公務員制度改革』といった事柄を包括的に処理する権限が財務省に付与されているとは思われないが、今回の『反論文書』はいかなる法律上の根拠に基づいて作成されたのか。仮に、本来の仕事とは無関係の文書を作成したといえるならば、国家公務員法上の職務専念義務違反(要はサボリ)となるのではないか。



筆者の勝手なイメージかもしれないが、本来、財務省の使命・目的は、財政・為替政策の適切な企画立案と執行によって、国民経済の安定と繁栄を図ることにある。かかる権限と責任は、憲法及び法令(財務省設置法等)により、「国民の厳粛な信託」(憲法前文第1段)に基づくものである。しかし、万が一、政府が国民の信頼を裏切るようなことがあれば、いかなる論理的帰結をもたらすか。日本国憲法と同様の統治原理を示すアメリカの独立宣言は、以下のように述べている。

いかなる形態であれ政府がこれらの目的にとって破壊的となるときには,それを改めまたは廃止し,新たな政府を設立し,人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方でその政府の基礎を据え,その権力を組織することは,人民の権利である。

これはいわゆる「抵抗権」の思想であり、日本語流にいえば「信なくば立たず」である。古巣の組織に対して言いにくいことではあるが、今回の一件は、財務省という組織に対する国民の信頼をかえって損ねる結果となるのではないかと危惧している。