見えるもの、見えないもの | 桜内文城オフィシャルブログ「みんなきさいや」Powered by Ameba

見えるもの、見えないもの

これまで私は、公会計という新しい学問分野において、ロック流の社会契約論(信託説)やアメリカ独立宣言、そして日本国憲法(前文第1文、1条、11条、13条、83条等)で採用されている国民主権の原理をベースとして、国民に対する政府の財務情報(公会計情報)の作成と開示に必要な公会計の基礎概念のロジック(論理)を積み重ねてきました。



そしてその論理的な帰結として、企業会計よりも拡張された勘定体系と財務諸表体系、予算編成上のシミュレーションの仕組み(国ナビ・自治ナビ)などが導かれることを明らかにしました。ささやかではありますが、そのような貢献を日本公認会計士協会学術賞として正当に評価していただいたものと感謝しております。



特に、公認会計士や会計学者の先生方、会計ソフトの開発にご尽力いただいた各ベンダーのシステム・エンジニア(SE)の方々には本当にお世話になりました。会計士やSEの方々にとって公会計という分野はほとんど「お金」にならないにも関わらず、私の志と理論にご賛同いただき、皆、手弁当でプロジェクトに参加していただきました。また自民党政調会等、政治家の先生方も、公会計改革という選挙の「票」にもならず、かつ財務省をはじめ官僚の抵抗が極めて強い分野であるにも関わらず、我が国の財政制度及び財政政策をより良いものに改革していくためにお力添えをいただきました。本当に私心なく「公」のために尽くすという皆様の志を集めることによって、ここまで到達することができたと感じております。この場を借りて、改めて心より御礼申し上げます。


その一方で、従来の企業会計のロジックのみを「現実」として認識してきた人たちからすれば、国民主権や財政学のロジックから立論する公会計の理論というものは、この世に存在してはならない非「現実」的なものだったのでしょう。



(常軌を逸したあまりにも汚い言葉だったのでここで引用することはしませんが)学問的な批判にもならない単なる侮辱としか言いようのない言葉をぶつけられたことも何度かあります。しかし、私の代表的な著作「公会計」を世に問うておよそ2年という歳月が経過して明らかになったのは、そのような侮辱や批判の中には、学問的な検証に耐えうるような論理的なものは何一つなかったということです。むしろその非論理性は「天に唾する」という言葉を思い起こさせるに十分でした。どうして人は、このように天に唾するような汚い言葉を公にすることができるのだろうか。少し考えれば、自らの論理性のなさと人格の卑しさを世に知らしめるだけということがわかるだろうに。。あまりにも下劣な侮辱や批判には、怒りを通り越してあきれるばかりでした。犬に吠えられたからといってその犬に対して真剣に怒る人などいませんが、それと同じ感覚ともいえます。



以前、このブログの中で「人は自分の見たいと思うものしか見えない」というカエサルの言葉を引用したことがあります。そのような人たちに対しては、これに加えて「人は自分の見えるものしか実現できない」という言葉を与えたいと思います。恐らくはこの言葉の意味自体、彼らには理解不能でしょうが。。