「ブレイディ法」誕生のきっかけ | ニューヨークからのエアメール        ~ever since~

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滞米歴約30年。アメリカ国籍。外国人として日本で長期滞在ビザ取得。父の介護を経て、日本に家族で住み始めた現状で、かなりのカルチャーショックに陥ってます。

「ブレイディ法」とは?

まずそこからなのだが、
その法律ができたきっかけから始めよう。

ブレイディ法が誕生するきっかけとなったのは、

1981年3月30日にワシントンD.C.で発生した
レーガン大統領暗殺未遂事件”である。

*ちなみにレーガン大統領は共和党。

この事件では、レーガン大統領の他に側にいた
ジェームズ・ブレイディ大統領報道官
コロンビア特別区の警察官のトマス・デラハンティ、
シークレットサービスのティモシー・マッカーシー
にも犯人の放った弾丸が命中している。

その場で取り押さえられた犯人はジョン・ヒンクリー

精神的な病を抱えた男とされている。

ヒンクリーの大統領暗殺目的は、政治的な理由は一切関係なく、
大統領暗殺者となることで、歴史上の人物となり、憧れていた
大女優のジュディ・フォスターに注目してもらいたかったため

と一応。。言われている。

ヒンクリーは最初はジミー・カーター大統領暗殺計画を企てて、
カーター大統領を追い回していたが、テネシー州ナッシュビルで
重火器不法所持の罪で逮捕された経緯がある。

その後釈放され、
新たに大統領となったレーガン大統領を暗殺する計画を企て、
それがとうとう実行された。

この大統領暗殺未遂事件で、
レーガン大統領を含む4名がヒンクリーによって撃たれた。

レーガン大統領のことは、多分みんなが知る大ニュースなので
ここではおいておく。

レーガン大統領とともに銃弾を受けた他の3名の状態は、
マッカーシーとデラハンティは幸いにも軽傷で済んだのだが、

ブレイディ大統領報道官は頭部に弾丸を受けたために、
命はとりとめたものの、生涯に障害が残るという
もっともこの事件が今後の人生に影響した
最大の被害者
となったのである。

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レーガン大統領暗殺未遂事件をきっかけとして
民主党のクリントン大統領時代に制定された
銃を規制する法律である「ブレイディ法」が生まれた。

「ブレイディ法」については、後に説明する。

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逮捕されたヒンクリーはというと、
弁護士が主張した精神異常が理由となり、
結局、最終的に降りた判決では無罪となり、
精神病院に拘束
されることとなった。

現在も多分入院中だと思う。

こんな男、退院させたら、とんでもないよ!

それに、なんで、無罪になっちゃうの?って疑問わかない?

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そして。。とても気になることがある。

それを知ると、精神を患った男がただ有名になるために
引き起こした単純な犯行とは思えなくなる。

それはヒンクリーの父親と当時副大統領を勤めていた
ジョージ・H・W・ブッシュ氏(父の方)との
偶然とは思えない関係
である。


(続く)