前回、前々回のブログで、10月に大阪に行ってゆめ風基金のシンポジウムに行ったときのことを書きました。
この時は3連休だったのですが、その中日に予定されていた、ゆめ風基金のシンポジウムだけ一人でパッと行って来ようと思っていたら、夫が「俺も行こうかな」と言うので一緒に行って2泊してきました。(なので当然旅費等は自腹です。)
シンポジウム以外はほとんどぼーっとたこ焼きを食べていましたが、(以下の写真、なんとなくたこ焼き屋を撮ったらなんだか良い感じに撮れたので、一部加工して載せます)
シンポジウムとたこ焼き以外にもうひとつ、兵庫県立美術館を見に行きました。
兵庫県立美術館では、1989年から「手で見る造形」という企画がされています。作品に触れることで視覚に障害のある人も作品鑑賞ができること、そして視覚に障害がない人も、視覚に偏らずに作品を楽しむことができるというものです。
私が見てきた企画は11月初旬で終わっていますが、こちらに詳細が載っていまして、動画で少し雰囲気もイメージできるので見てみてください。
アイマスクをした状態で彫刻に触れ、その冷たさや丸みなどを感じながら、どういう彫刻なのかを想像して楽しむものです。
私の夫は盲学校の教員をしているので、こういう企画に関心があるということで行きました。
今までも、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という、真っ暗闇で何も見えない中でみんなでゲームをしたりコミュニケーションする体験をするものや、アイマスクをしてボルダリングをする企画に一緒に行ったことがあるのですが、そういう経験をしてみるたびに私が感じるのは、ふだんの私の生活が本当に視覚に頼っているということです。
視覚に頼っていることで、物事のかなりの部分を視覚からの情報によって判断しているし、目で見ただけで自分に対する限界も作ってしまっているのだということを思います。
たとえばボルダリングでは、私は運動神経がよくないから登って行くのが怖いと感じてしまうのですが、アイマスクをしているとむしろ登る手足に集中して、つかむ石の形や、登るほど変わる空気感を楽しむことができ、見えている時よりもすいすいと高いところに登ることができるし、楽しむこともできました。
また、ふだんは初めて会う人と打ち解けるまでに時間がかかるけれど、見えない状態だったら声を出さないと意志が伝わらない、というか、声を出し合わないとお互いそこにいること自体が伝わらないので、どんどんコミュニケーションができるし、そのコミュニケーションで相手の息遣いや優しさを感じることができます。
見えない中で色々動いてみることは、大変さよりも、ふだん見えるときには見落としている、音やにおい、風の動きなどを感じて、新しい発見があって、おもしろいなと思っています。
今回の美術館の企画も、楽しかったです。
私は美術には正直あまり詳しくないし、あまり興味もないのですが(苦笑)、見えない状態で彫刻に手を触れることで、「これはいったい何を表しているのだろうか」とじっくりと作品と向き合うことができ、ああ、芸術作品を楽しむってこうやってじっくり向き合うことなんだなあと感じました。
普段、目が見えていて、でも美術に興味のない私が美術作品を見るときは、たとえて言うなら早食いで口に入れた食べ物をよく味わわずに飲み込んでいる状態。それが見えない状態で手で感じるときは食べ物をじっくりと口に含んでよく噛んで味わっているような感覚。
視覚を使わないことで、普段の私にはできないことができるようになると感じます。
ちなみにこの兵庫県立美術館、震災後に安藤忠雄さんの設計で再建されたものだそうで、美術館内には安藤忠雄さんのコーナーがありました。
そこを見ていたら、「直島にはベネッセのアートの取り組みがあり、そこに安藤忠雄のミュージアムがある」ということが書いてありました。
へー、直島というところでは、島ごとアートを楽しむなんていうおもしろい取り組みがされているんだなぁ。同じ日本の中でも、知らないことってたくさんあるんだなあ、と思いました。
そしたらなんと偶然、後日、区議会の区民生活委員会で行った香川の視察で、この直島の取り組みの話を再び聞くことになったのでした。その話はまた改めてご紹介します。