大学生は英語で学べ?! | 最適性理論(音のストリーム)で英語を覚える

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朝日新聞の「争論―オピニオン」欄に、「大学生は英語で学べ」と題し、英語教育研究者で元岐阜大学教授の寺島隆吉氏と、国際教養大学学長の鈴木典比古氏による見解が述べられています。「『英語で授業』は必要か」、「大学の力を向上させるか」、「即戦力が育つのか」の3点が焦点になっています。その3点に対し、寺島氏は否定的であり、鈴木氏は肯定的です。


◇ 寺島氏の意見。

●競争力が激化する世界を日本はどうやって生き抜いていくのか。いま一番求められているのが、誰も思い付かないようなアイディア、豊かな発想を生む創造力。それには幅広い視野と、深く考え抜く力が必要。ところが最近の英語熱は、その全ての芽を潰しかねない。大学を劣化させ、日本を支える研究の礎を壊しかねない。


英語で授業をする必要があったのは明治初期、英語の教科書しかなかったころの話であり、だから外国人から英語を教わった、だが、いまは環境がまったく違い、物理学であれ経済学であれ高いレベルまで日本語で読め、翻訳のレベルも高く、日本の大学の博士課程まで自国語で教育できる、アジアでは例外的な国」が日本。iPS細胞を開発した京都大学教授山中伸弥氏も、いまのように若いうちから英語、英語と言われていたら、たぶんノーベル賞はとれなかったのではないか。


我々は母語である日本語でこそ深く思考できる。母語を耕し、本質的なものに対する知的好奇心を育むことこそが、大学が果たすべき大きな役割であり、そうやって自らの関心を研ぎ澄ませていけば、専門分野に進めば進むほど範囲が狭まり、使われる語彙の数も限られてくる。そこさえ押さえれば、英語の文献も難なく読めるようになる。


大学でこんなに英語熱が高まっているのは、財界の要請があるから。昔は企業が若手社員を語学留学させていた。いまそのお金を惜しみ、大学に外出(そとだ)しして、いわば国民の税金で英語を学ばせている。「グローバル人材=英語力」論が出てくる背景だ。それで企業が求める即戦力が育てばよいが、幻想だ。いまの丸暗記型の英語教育は、若者の創造力をすり減らすばかり。受験英語をくぐり、ようやくいろいろな本が読めるという時期に英語漬けの毎日を強いていては、「英語バカ」をそだてるだけ。


文学も経済も科学もかじり、オールラウンドな教養を身につけて初めて、全体を見渡した仕事ができる。もちろん、才能あふれる学生が英語もできれば素晴らしい。英語を母語とする相手と議論し、交渉できる人材を育てる必要も間違いなくある。しかし、さまざまな可能性に満ちた大学生全員を、一律に英語漬けする必要はどこにもない。世界を複眼的に見る力が国際力なのに、英米人のものの見方を刷り込む英語教育なら悪い影響を残すだけ。人間に与えられた時間には限りがある。まずは考える力、そして疑問を持つ力を育てることにこそ大切な時間を使いたいものだ。


◇鈴木氏の意見

●まず考えるべきは、若い世代が担う21世紀の世界がどうなっているかだ。グローバル化はさらに進み、国際共通語としての英語の重要性はますます高まる。それがわかっていながら、大学教育をいつまでも日本語中心にやっていていいのか。国際教養大学は秋田県にある公立大学だが、授業は100%英語で行っている。講義型の一方通行の授業はなく、少人数クラスで議論も発表も全て英語。最初は帰国子女や留学経験者のほうが英語力が高く有利なようだが、2年、3年とたつうちに差はなくなる。むしろ学習意欲や理解力、思考力に優れた学生が成長していく。英語漬けの中で伸びた学生が何人もいる。


日本の大学は長い間、翻訳文化にどっぶりと漬かってきた。英語をはじめ西洋の言語で書かれたものをいったん日本語に訳し、その内容を日本語で受け止め、日本語で解釈し、日本語で考えをまとめた。しかし、オリジナルの英語を日本語に置き換えてから理解するのでは、対話やディベートについていけないし、何よりも概念や論理がずれてしまいがちが。たとえば英語のeconomy は本来、家計や倹約という意味を持っているが、日本語では「経済」と訳した。


これは「経世済民」つまり中国の古典の「世を治め民を救うこと」から「経」と「済」とをとってつくった訳語です。このように、元の言語と翻訳された言語は必ずしもイコールでは結べない。日本は明治以来、なんとかこれでやって来たが、21世紀の学問はこれでいいとは思えない。20年後30年後も大学は翻訳文化を続けるのか。世界の多くの国がオリジナルで学ぶようになっている時、日本がずれた概念で学んでいて大丈夫か。


大学教育が日本の中で日本語だけで完結していては、ますます世界と肩を並べて行くことができなくなる。将来の日本人が世界で生き延びていけるだろかと心配だ。私は米国の大学で10年ほど教えたが、大学レベルの英語の経済学や経営学、物理学や数学の教科書は非常によくできていて、言葉と概念が直結している。一方、翻訳して日本語で書かれた教科書は、ずれや不要なものが入ってしまいがちだ。ならば、日本語の本数十冊読むよりも英語の本数冊を読んだ方がよい。


大学で教えるべきもう1つの英語力が、書く力だ。日本人研究者が海外に向かって発表する英語論文の数が少ないと批判されている。21世紀を生きる学生たちは、英語の概念や語句を日本語に訳して理解するという、20世紀型の勉強にとどまっていてはいけない。英語のまま理解し、新しい考え方やアイディアを生み出せるようになってほしい。日本の大学はそれを教え、育てる場になるべきだ。


英語力を高めるために英語の授業は意味がありません。私は米国の大学に行きましたがだから英語が上達したとあまり感じられません。