「マラソンを楽に走ることはできる」と藤原新選手は言います。それができるかどうかは、いわゆる体力ではなく、ランニング・フォーム次第なのだと言います。
走っているうちに『あっ、来た』という瞬間がある。『はまった』という感じです。そうなると足音まで変わる。その理想のフォームさえつかめば、エネルギーがかすかすの状態でも、どこまでも走れると言います。
「フォーム至上主義者」になったのは高校時代にさかのぼる。諫早高(長崎)2年のとき、5000メートルと1万メートルで当時の長崎県記録をマークしたそうです。しかし、年が明けると停滞したのです。練習はしているし、やる気もあるのに記録が伸びなかったのです。体力は確実に増しているのだから、遅くなるわけがないと思ったそうです。
そのとき気付いたのだそうです。「問題があるとしたら、フォームしかない」と。「そこから僕のフォーム探しの旅が始まったんです」
長距離走のトレーニングというと、心肺機能と脚力を高めることに焦点を絞りがちだが、藤原選手はランニングの本質はそこにあるのではないという思想に至り、フォーム、つまりランニングの技術の追究をスタートしたのです。
走る技術は非常にデリケートなものです。姿勢、モーション、そのタイミングによってフォームは微妙に変わります。
「腕の振りはこうだ」という答えを得ても、そこばかりに集中すると、他の動きが狂ってきます。そうなると「あの腕振りは間違っていたのではないか」という考えが頭をよぎり、また最初からやり直しになります。
また、次のような事実もあります。 藤原選手には、『これに生活がかかっている』、というハングリーさがあります。実際の練習距離は、実業団選手が月に平均1200キロを走るのに対し、藤原君は700キロくらいです。やはり量より質にこだわっています。
駅伝の実業団や大学には、よくも悪くも質より量で結果を出してきたノウハウがあります。実業団の選手は藤原選手のように練習を一から組み立てるには難しい環境にあります。さらに、学生時代から結果至上主義の指導者によって、体作りよりも記録を出す指導を受けてきた学生が多く、そういう選手は伸びしろが少なく、体も強くないため、すぐに故障してしまいます。
英語習得もマラソンに似ています。質の方が量よりも大事であるからです。私は英語の習得には音のとらえ方にあり、その音をどう自然に作り出すかと言う事です。英語の発音とマラソンのフォームは非常に似ていると思います。
理論的に説明できる理想のフォームがあると思っています。この探究心が良い発音そして学習意欲につながります。
しかし、表面上の効果だけの”驚きの発音”や”秘密のリスニング”を求める人は探究心があるのではなく、継続した学習のできない根気のない学習者なのです。探し求めて数十年でもさまよい続けるだけなのです。何を求めるかが明確でなく、自分さえも長期納得できる探究テーマに欠けるのです。