本日、なでしこジャパンの試合を3回見てます(笑)


いや、確かにサッカー好きだけど最初のライブ以外は他のテレビがあまりにもつまらないから…


サッカーに限らず、スポーツ観るの好きです。


競技自体も好き。
でも、奥に理由ありそうな気がしてましたが今日偶然発見。


人ってすごいなと思いたい。人の才能や努力や、ひたむきさや美しさ…などなどに感動したい、心を動かしたいということ。


スポーツはダイレクトに伝わるので好きなんだと思います。


今日のなでしこの皆さんからも、いろんな感情いただきました。
おめでとうございます&ありがとうキラキラ

今日は、実家に戻り

我が家に避難してたときの母親の荷物を返し、

ガソリンもあまり並ばずに入れられたので、

ずっと気になっていた閖上方面に行ってみました。



実家からは、クルマで10分くらいの距離です。

そこが津波で壊滅状態だというのは、ニュースでは知っていたものの

自分の目で見ておかないと、と地震直後から考えてました。



走り始めてすぐは、特に景色も変わったこともなく

道路も陥没もしてない。



が、どんどん風景が変わって行きました。

ゴミが散乱する空き地、

道路ぎりぎりまで流れてきた船、

倒れた家、どこから来たのか重そうな鉄骨。

がれきの山。

わかっていたのに、実際に見るのは・・・

つらかったし、何をいったいどうしたらいいのか・・・

わからなくなりました。



仙台市の街中では、最近は見かけてなかったのですが

自衛隊の車両がたくさん走っていました。

まだまだ、彼らの助けが必要な場所なんだと

実感しました。

結局、道路状況がひどいため途中で引き返してきました。



帰る途中も、周りを見ながらの運転でしたが

被害の出たところ、なかったところの

差がわかりやすいほど、天と地の差でした。

それなのに、なぜあそこが津波にあって

ここが津波にあわなかったのか、のはっきりした

境目がわからないのです。

特に高台にある、とかではなく

ちょっとした違いなんでしょうね。

見た目にはわからない違いのようです。



実家も、津波が来なかったのが

幸運というよりはむしろ不思議な状況だったんだろうな。。



地震当時、実家に一人でいた母は

揺れが収まった後、ご近所さんに1軒1軒声をかけて

避難所に向かったそうです。

もし、津波が来てたとしたら

その声をかけてる最中に飲み込まれたかも、ということも

可能性としてあったんだな・・・と

考えると、体の熱が奪われて奥のほうから

寒気を感じます。



今回の震災で、改めて感じるのが

生と死って、常に隣りあわせだということ。

どっちに転んでも、おかしくないこと。

人は呆気なく死ぬこと。

でも、普通にのほほんと生きることもできること。

死ぬタイミングは、自分で選べないから

生きてるうちに、自分なりのベストを尽くさないともったいない、ということ。

いいのか悪いのかはわからないけど、

今回の地震に関してはわたしは生かされた側になったこと。

7年前に父親が亡くなったときも、言語化はできてなかったけど

同じようなことを感じてましたが

今回は結構早く言語化できた!成長した俺(笑)



となると、やっぱ毎日がんばりすぎずに

自分のやれることを、面白楽しくがんばろーというのを

改めて思う今日でした。

こういうときこそ、面白楽しいの要素は外せないし

むしろ重要じゃね?と強く思ってます。




超私的地震備忘録

20110311①はこちら

20110311②はこちら

20110312①はこちら



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昼過ぎに目が覚めました。

ものすごく、良く眠れました(笑)

やはりどんな状況でも、自分のベッドはありがたい。

テレビをつけてみましたが、やはりつかず・・(チッ)

これからどうしようか、考えました。


母親を迎えに行くことも考えましたが

停電中のため、行動できるのは日が沈むまでと考えると

せいぜい17時くらいまで。

女一人なので、暗くなってからの行動はこの状況では厳禁。

もう昼過ぎだし、うまく合流できればいいけど

できなければ向こう(避難所か実家)で1泊。

他に、今明るいうちにできることは何か?と考えると


1.停電が長引くことを考えて携帯の充電器をゲットする

前日の弟からの電話で、ビックカメラでは無償で?提供しているらしいとの

情報を入手してました。

仙台にはビックカメラはないですが、とりあえず駅前の

ヨドバシカメラを目指しつつ、駅周辺の様子を見ることに。


2.生理中なのにナプキンが残り少ないので

どこかでこれもゲットする。


3.食料はとりあえず1週間はいけそうなので

まあいいや。


ということで、軽く昼食を食べて元気をつけてから

歩き出しました。

チャリ買っておけば良かった・・・とちょっと後悔。

(ちなみに、何日か後に奇跡的にゲットしました。

今仙台市内では老若男女問わず自転車であふれています。)


駅まで30分くらいの道のりを歩きました。

自宅そばの新幹線の高架橋を見ると、やはり新幹線が止まってました。

乗客のみなさんは、あそこを歩いて避難したんだな・・・大変でしたね。

途中のコンビニが開いていましたが

店のおじさんが「あとはドリンク、酒、タバコしかありません」と入り口で言ってたとこに

恥ずかしいですが「生理用品ありますか?」とにこやかに(笑)尋ね

無事にナプキンゲット!

仙台駅周辺は、人が多かったですが

駅自体は立ち入り禁止になっており、前日ラジオで聞いていたものの

やはりショック。。

3階の新幹線乗り場が窓から見えますが、屋根が落ちて中がぐちゃぐちゃに

なっているようでした。

駅って意外に弱かったのね。。。。

さらにショックだったのは、ヨドバシカメラもやってなかった・・・・

駅周辺にはヤマダ電機もあるのですが

ここでがっくりしてしまい、家に戻ることにしました。


帰る途中、移動の焼き鳥屋さんに大行列ができていました。

地震翌日のこの段階で焼き鳥屋がやっていることにも、

大行列にも2重にびっくりしました。

なんだか、とても嬉しくなり自宅に戻ると

電気がついた!!!

早い!さすが仙台駅に近いだけのことはある。


しかし、ここで初めてテレビの映像をみました。

仙台市若林区荒浜で200~300の遺体・・・

え、あそこで?

嘘でしょう。

他にも各地の津波の映像、がれきの数々・・・・


しばらく、言葉も出ずに泣きました。

昨日、弟がわたしと連絡が取れたとき号泣した意味を

このとき初めて知りました。

この映像を見たら、そりゃ心配で心配でたまらないことだ。

もどかしくて、不安でつらい時間だったと思います。


このまま泣いていたい気持ちでしたが

母を早めにここに連れてこないと、とも思いました。

うちは幸いにもIHヒーターなので料理もできます。

となると、実家よりも現時点ではこちらのほうが暮らしやすいのは確か。

よし、迎えに行く、と腹をくくりました。


念のため、合流できないときのために

自分の毛布と食べ物を持参して実家方面に向かいました。


あー、ガソリン少ない・・・

こうなる前に入れておけば良かった。

まあ、実家に行く分くらいは大丈夫。


道路は、これもまた思いのほか大丈夫な感じ。

信号も、この頃は街中から少しずつつき始め

クルマもみんな譲り合いで動いていました。

たまに、怖い思いもしましたが・・・


母の避難先だという、宮城社会保険病院に到着。

病院も見た目は問題なさそう。

玄関では、警備員の方が「ご苦労様です」と入り口を開けてくれました。

こういう、ちょっとしたことは今はとてもありがたい・・・


ロビーには、何人かがテレビの地震情報を見ていました。

その中には母はいないな。

いつもの支払いの窓口で、男性が新聞の号外を読んでいました

「母がこちらに避難していると聞き迎えにきましたが、どちらに行けばいいですか?」

と聞くと、3階を地域住民の避難場所として開放しているとのこと。

3階に向かうと・・・・いました。呆気ないな~

ご近所さんと普通におしゃべりしていました(笑)

おーい!と声をかけると「もう来れたの?」と

驚いたようですがうちの電気が復旧したので

そっちに行こうと伝え、避難所を出て実家に行きました。

実家は、泥棒が入った後のようにものが散乱していました。

幸いにも、たんすなど大きいものは鎖でつなげたりして

すべて地震の備えをしていたため

落ちてはいませんでしたがひどい状況でした。

父親の仏壇も、モノが落ちていましたが

「お父さん、ちょっとの間我慢してね。お母さんを連れて行くよ」と

心の中で伝えました。

母親の当面暮らす荷物と食料や水を持ち、わたしの家に向かいました。

行きよりも、帰りはより動いている信号が増えて驚きました。

こんな短い間でも、復旧作業は確実に進んでいる。

ありがたいなーと。


帰って二人で夕飯を食べました。

ゴハンをたき、インスタントの味噌汁と

おかずを少しでしたが美味しかった・・・・

地震翌日なのに、すでに温かいものが食べれる幸せを

母親とかみしめました。


その後、疲れ果てすぐに寝ました。

母親が、いつもは眠りが浅いのに

とても気持ちよさそうに寝ていました。

安心したのかな。

それなら、ここに連れてきて良かった。と思い

わたしも8時過ぎには寝てました。