パリからバスで4時間半。モン・サン・ミッシェルは、日本人に大変人気のある世界遺産である。
「夏は世界各地から観光客が来ますが、冬に来るのは日本人くらいです」
添乗員さんが、そんなことを教えてくれた。
夕刻に到着したので、夕飯を終え、9時ころ夜景を見にシャトルバスに乗る。夏のフランスは日が長く、そろそろ日没が始まる時間帯だ。バスに揺られている間に、少しずつ辺りが暗くなってきた。
「わあ、すごい!」
ライトアップされ、ただでさえ幻想的な風景が、異次元への入口に見えてくる。どこかのテーマパークのように、夢の国といってもいいくらいだ。この日は写真を撮っただけで、ホテルに戻った。
翌朝。
またまた、シャトルバスに乗る。夜の顔とは打って変わって、質実剛健な城塞に近づいていった。
予想通り、かなりの人出で混みあっており、ぞろぞろと入口に向かっていく。
城門で、以前に買った『ヨーロッパの城』という本を思い出した。
これは、中世・フランスのシノン城、イギリスのチェプストウ城をモデルにした、防衛目的の城郭について図解した本である。城の構造や戦の方法、城内の生活などを事細かに描き、読み応えがある。
まず、入口の「落し格子」で目が止まる。
『ヨーロッパの城』によると、落し格子は頑丈なカシ材の格子を使用し、火で焼かれないように打ちのばした鉄板で覆われていたそうだ。
「トイレは有料です。修道院のトイレは当時のままなので、使うことができません」
添乗員さんの説明もよくわかった。中世のトイレは、便器の下が空洞の竪穴になっていて、上階から直接下層の便槽に、汚物が入る仕組みだったようだ。便槽を使わず、直接海に投棄することもあったらしい。そこに狙いをつければ、この竪穴は敵の侵入路にもなる。1204年、フランス・セーヌ河畔に立つガイヤール城の城攻めは、トイレの竪穴をよじ登って侵入することで終わったという。
ふむふむ。
トイレの話はさておき、修道院内に入る。
まずは西のテラスに出た。ここからは、修道院の上部がよく見える。
塔の先端には、大天使ミカエルが載っている。
とても見晴らしがよく、島の外部が見渡せた。
中に戻ると、修道院付属の教会がある。
そこから中庭に続く。
この写真の中には、ひとつだけ色の違う柱が混じっている。当時のままの、オリジナルの円柱だそうだ。
食堂。
迎賓の間。
礼拝堂。
亡霊が出てきそうな薄暗さである……。
この車輪は、エレベーターの役割を果たしていたそうだ。囚人が車輪の中に6人入り、人力で動かすことで荷車を上下に移動させたらしい。日用品を2トンまで運搬できたというからビックリである。
死体安置所。
ピエタ像が、死者の魂を慰めたのではないか。
修道僧の遊歩道。
騎士の間。
ここを抜けたところに、塔の先端についている大天使ミカエルと同じ大きさの、レプリカが飾ってあった。
右手に神の武器庫から賜った険を持ち、戦いを司る最強の天使である。
カッコイイ!
708年、アヴェランシュの司教オペールの夢に大天使ミカエルが現れ、「かの岩山に聖堂を建てよ」と命じたことから、この修道院は始まっている。外観に負けず劣らず、神秘的なエピソードだ。
14世紀から16世紀にかけては、修道院ではなく、不落の城塞として戦争に使われたという。その痕跡も帰路に残されていた。
ミカエルにまつわる何かが欲しくて、土産物屋に入った。ネックレスやフィギュアなどもあったが、私はキーホルダーを選んだ。
お守りになりそうな気がする。
「はい、じゃあ皆さん、これからシャトルバスに乗ってランチです」
添乗員に連れられ、名物のオムレットをいただいた。
玉子が尋常ではない。ふんわりと石鹸のように泡立てられ、舌先でとろける感触は絶品である。見た目も美しく、いくつでも平らげられそうな感じだった。
次は、ポークソテー。
最後にチョコレートケーキで締めくくる。
実に満足のいくランチであった。
ランチのあとは、再びバスに乗ってパリに戻る。車窓から、モン・サン・ミッシェルの最後の姿が見え、名残を惜しむ。
とてもいいところだった。
海外旅行の醍醐味は、まったく異なる文化に触れ、自分の中に吸収することだと思う。スケールが大きくて素晴らしい文化は、小さな島国で生まれ育った私の視野を広げてくれる。今までは、つまらないことで腹を立てたり、些細な原因で人と言い争いをしたりしていたけれど、これからはそういうことから卒業できそうだ。
世界を見るって大事だな。
※ 他にもこんなブログやってます!
「これはしたり~笹木砂希~」(エッセイ)
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「夏は世界各地から観光客が来ますが、冬に来るのは日本人くらいです」
添乗員さんが、そんなことを教えてくれた。
夕刻に到着したので、夕飯を終え、9時ころ夜景を見にシャトルバスに乗る。夏のフランスは日が長く、そろそろ日没が始まる時間帯だ。バスに揺られている間に、少しずつ辺りが暗くなってきた。
「わあ、すごい!」
ライトアップされ、ただでさえ幻想的な風景が、異次元への入口に見えてくる。どこかのテーマパークのように、夢の国といってもいいくらいだ。この日は写真を撮っただけで、ホテルに戻った。
翌朝。
またまた、シャトルバスに乗る。夜の顔とは打って変わって、質実剛健な城塞に近づいていった。
予想通り、かなりの人出で混みあっており、ぞろぞろと入口に向かっていく。
城門で、以前に買った『ヨーロッパの城』という本を思い出した。
これは、中世・フランスのシノン城、イギリスのチェプストウ城をモデルにした、防衛目的の城郭について図解した本である。城の構造や戦の方法、城内の生活などを事細かに描き、読み応えがある。
まず、入口の「落し格子」で目が止まる。
『ヨーロッパの城』によると、落し格子は頑丈なカシ材の格子を使用し、火で焼かれないように打ちのばした鉄板で覆われていたそうだ。
「トイレは有料です。修道院のトイレは当時のままなので、使うことができません」
添乗員さんの説明もよくわかった。中世のトイレは、便器の下が空洞の竪穴になっていて、上階から直接下層の便槽に、汚物が入る仕組みだったようだ。便槽を使わず、直接海に投棄することもあったらしい。そこに狙いをつければ、この竪穴は敵の侵入路にもなる。1204年、フランス・セーヌ河畔に立つガイヤール城の城攻めは、トイレの竪穴をよじ登って侵入することで終わったという。
ふむふむ。
トイレの話はさておき、修道院内に入る。
まずは西のテラスに出た。ここからは、修道院の上部がよく見える。
塔の先端には、大天使ミカエルが載っている。
とても見晴らしがよく、島の外部が見渡せた。
中に戻ると、修道院付属の教会がある。
そこから中庭に続く。
この写真の中には、ひとつだけ色の違う柱が混じっている。当時のままの、オリジナルの円柱だそうだ。
食堂。
迎賓の間。
礼拝堂。
亡霊が出てきそうな薄暗さである……。
この車輪は、エレベーターの役割を果たしていたそうだ。囚人が車輪の中に6人入り、人力で動かすことで荷車を上下に移動させたらしい。日用品を2トンまで運搬できたというからビックリである。
死体安置所。
ピエタ像が、死者の魂を慰めたのではないか。
修道僧の遊歩道。
騎士の間。
ここを抜けたところに、塔の先端についている大天使ミカエルと同じ大きさの、レプリカが飾ってあった。
右手に神の武器庫から賜った険を持ち、戦いを司る最強の天使である。
カッコイイ!
708年、アヴェランシュの司教オペールの夢に大天使ミカエルが現れ、「かの岩山に聖堂を建てよ」と命じたことから、この修道院は始まっている。外観に負けず劣らず、神秘的なエピソードだ。
14世紀から16世紀にかけては、修道院ではなく、不落の城塞として戦争に使われたという。その痕跡も帰路に残されていた。
ミカエルにまつわる何かが欲しくて、土産物屋に入った。ネックレスやフィギュアなどもあったが、私はキーホルダーを選んだ。
お守りになりそうな気がする。
「はい、じゃあ皆さん、これからシャトルバスに乗ってランチです」
添乗員に連れられ、名物のオムレットをいただいた。
玉子が尋常ではない。ふんわりと石鹸のように泡立てられ、舌先でとろける感触は絶品である。見た目も美しく、いくつでも平らげられそうな感じだった。
次は、ポークソテー。
最後にチョコレートケーキで締めくくる。
実に満足のいくランチであった。
ランチのあとは、再びバスに乗ってパリに戻る。車窓から、モン・サン・ミッシェルの最後の姿が見え、名残を惜しむ。
とてもいいところだった。
海外旅行の醍醐味は、まったく異なる文化に触れ、自分の中に吸収することだと思う。スケールが大きくて素晴らしい文化は、小さな島国で生まれ育った私の視野を広げてくれる。今までは、つまらないことで腹を立てたり、些細な原因で人と言い争いをしたりしていたけれど、これからはそういうことから卒業できそうだ。
世界を見るって大事だな。
※ 他にもこんなブログやってます!
「これはしたり~笹木砂希~」(エッセイ)
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)