(その1)の続き…
※各画像はクリックで拡大します。


まずは七ヶ浜国際村へと向かう。

震災から1ヶ月が経とうとしていて、被災地の道路はだいぶ片付けられてきたが、まだまだこんな風景があちこちに見られる。

坂本サトル「日々の営み public」


それほど渋滞もなく、スムーズに国際村到着。
7日の報告のところでも書いたが、この避難所にはプロの調理である有馬さんがいて、毎日全員の食事を作っている。
ほとんどの物資は足りていて「何が足りないですか?」と聞くと「マヨネーズと酢です。マヨネーズは1日に3キロなくなります」「それから子ども達に甘いデザートが出せたらいいですね」「漬け物が欲しい」
…ということだったのでそれを渡す。

坂本サトル「日々の営み public」

200人以上の食事を数名のスタッフで1ヶ月近く作り続けることは、ちょっと考えても無茶だ。
メインシェフの有馬さんはおととい会った時よりも明らかに疲れた様子だった。
何度でも繰り返すが、支援する側が心も体も経済的にも元気じゃなければ続けて行くことは出来ない。
料理の得意な人やプロフェッショナルな方でお手伝いできる方はぜひ連絡をして欲しい。
土日だけでも週1でも数日だけでもいい。有馬さんに休みを!

「調理しなくても食べられるものがあるとありがたい!」とも話していた。
それがあれば有馬さんもその回の食事の準備が少しは楽になる。「例えばパンとかあるといいですね(有馬さん)」
連絡先はわかり次第お知らせします。


同行してくれたヨシヒデの実家に立ち寄った後、東松島市宮戸地区へと向かう。

仙台から離れれば離れるほど、道路脇の片付けの放置割合は増えていく。
船はそこら中に転がっている。

坂本サトル「日々の営み public」

水中に沈んだ車もそのまま。

坂本サトル「日々の営み public」

こんな車には赤いペンキで印がつけてある。
マークが付いていれば「捜索終了済み」ということだ。
車内で亡くなっていた方も多数見つかった。


震災後3週間、道路が流されたため孤立避難所となっていた宮戸地区へ続く道。
松の林が有名であったがそれもこの通り。

坂本サトル「日々の営み public」

根こそぎである。

現地へと続く道はほぼ壊滅状態。
通常であれば通行止めになるであろうこのぐらいの地割れも、今は誰も気にしない。

坂本サトル「日々の営み public」


突貫工事で作られた道を行く車と戻る車が交互に走る。

坂本サトル「日々の営み public」

自分の番が来るまで15分ほど待つことになるが、当然のことながら誰も文句は言わない。
雨のためにぬかるんだ道を走る車は、どれも真っ黒だ。


道があることのありがたみを噛みしめつつ、2度目となる「宮戸、里地区」の避難所へ。
今回運んできた食料物資のほとんどはここに届けるためのものだ。

「あ、ほんとにまた来た!」と驚く皆さんに手伝ってもらってあっと言う間に荷物は下ろされた。
避難している方は85人と言うことだったので、これぐらいあればかなりの日数をしのげるのではないか。
いや、この物資が早く必要なくなって保存食にでもしてもらえたらいい。

坂本サトル「日々の営み public」

まだ電気が来ていないここにはレンジを2台。
来る途中に東北電力のトラックと作業員の方を見かけた。きっと近いうちに電気が戻る。その時に使って下さいね。

これで少しでも和んでもらえたら、とホームセンターで買ってきた花も受けとってもらった。
僕の母は花が大好きだ。この避難所にも母と同年代の人がいるだろう。そして母のように「いやあ、綺麗な花だねえ」と笑ってくれるかも知れない。

最後に記念写真。

坂本サトル「日々の営み public」


みなさんに別れを告げ、今日の最終目的地、旧鳴瀬町、小野市民センターへと向かう。

驚いたのは来る時に作っていた道が完成していたこと。
片側交互通行だった箇所の一部が両方向行けるようになっていた。

たまたまタイミングが良かったのだろうが「さっきは通れなかったところが今通れるようになった」というのを目撃すると「こうやって少しずつ、しかし確実に町は復興していくのだろう」と思えた。


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