占星術に関するご質問2件☆彡 | 占星術小説家@酒井日香の占い死ね死ねブログ

どうも。私です☆彡

 

占星術に関するご質問が2件、

寄せられましたので

回答してみたいと思います。

 

 

 

 

まず一件目。

 

 

 

超次元占星術掲示板に寄せられた 「カエルさん」 から

のご質問。↓    ↓     ↓

https://nichikasenseijutu.jimdo.com/keijiban/ 

より。

 

 

 

 

 

さて、誕生日が、戸籍上の誕生日と実際の誕生日が

違う場合、どちらを採用したらいいのか?? という

ご質問です。。。

 

 

 

まぁ、最近は産院で母子手帳に生まれた日付を

入れられてしまうし、妊娠証明書なども発行されてしまう

ので、ゲン担ぎで誕生日を変える人はほとんどいませんが、

戦前・戦後間もない頃や江戸時代の旧暦生まれですと、

変わることはありますね。

 

 

 

 

ただ、戸籍上の誕生日と現実の誕生日がどれくらい

ズレているか? ということを考えると、たいてい数日程度

のズレですね。年末に生まれたり年度替わりに生まれたり

して、届けを出すのが遅れたとか、早まったという場合が

ほとんどでしょう。

 

 

 

 

実はこの問題は難しいのです。このあといただいた二件目

のご質問とも重なることですが。。。

 

 

 

 

 

たとえば、 「実際に生まれた正しい日付の誕生日で

なければ意味がない」 という占星家がいます。

 

 

 

 

もう一方で 「その人が強く意識してきた、あるいは現実に

祝われてきたほうの誕生日を(たとえ本当は違っていても)

採用するべきだ」 という占星家もいます。

 

 

 

 

実際の誕生日でなければ意味がない、と考える占星家は

「星先心後」 の考え方をする占星家です。

 

 

 

 

誕生日は、本人が強く意識していたほうの誕生日で

良い、と考える占星家であれば、その人は 「心先星後」

タイプの考え方をする占星家です。

 

 

 

 

 

さて、 「星先心後」 の考え方と、 「心先星後」 の

考え方。

 

 

 

 

どちらが望ましいのでしょうか??? 「星先心後」 の

考え方ですと、その時点で 私<星 という構図に

なってしまわないでしょうか?? 星が私たちの心を作り、

私たちの心は星の呪いから永遠に抜けられないのでしょうか??

 

 

 

インド研究者の青山圭秀さんが書いた

こちらの 本を読むと↓   ↓    ↓ 

 

 

 

 

インド星座と西洋占星術の星座とでは、ほぼ1星座ずれて しまうのだが、

それはどちらの世界観に 「意識を強く浸すか」 で変わる、

とお書きでいらっしゃいます。 

 

 

 

青山先生は西洋占星術の生まれ星座では、 「みずがめ座」 ですが、

インド占星術ではひとつ前の 「やぎ座」 です。 しかし青山先生は、

インド星座のホロスコープのほうが 当たるそうなのです。

 しかし、逆もあって、西洋占星術に慣れた人がインドで 鑑定を受けると

星座がズレるので、 「当たらなかった」 と訴える人もいます。

 

 

 

 

 こうなるとむしろ、 「そのパラダイムを自分のこころは どう受け止めているのか??」

の問題である、ということに なり、星座は私たちの何物をも、元から縛っていない、 

ということになるでしょう。 

 

 

 

したがって回答は、 「その人が気に入っている(あるいは強く意識しているほうの) 

誕生日を採用すればよい」という答えになります。

 

 

 

これであれば、超次元占星術の絶対理念である 「心先星後」

の思想にも矛盾がありません。 ただし 「星先心後」 の、

逆方向の考え方をする占い師 であれば見解は真逆になるでしょうが。。。 

 

 

 

 

さて、二件目のご質問です。↓    ↓    ↓ 

 

 

 

 

ということで、 「サビアン占星術」 の話が出てきた のと、現実の星座とやっぱり、

西洋占星術の星座は明らかに ズレているのだと知ってますますわからなくなった、

というご質問 (というよりお悩み??) です。

 

 

 

酒井日香が教える占星術の基本中の基本。 大前提を思い出してください。 

1件目のご質問にも同じく答えましたが、酒井日香が教える 占星術は、 

「術」 というより 「学」 であり、何よりも 「心先星後」 である、ということは、

講座等で繰り返しお伝え してきました。 心が先で星が後である——、つまり、

 

 

私>星という 構造です。 

 

 

 

 

だとするならば、最初のご質問と同じように、サビアンも、 まったくと言っていいほど

何の根拠もありませんが、 その人のこころが、そのパラダイムに自分のこころを強く 

浸してしまっているのなら、効力を持つと言えます。 

 

 

 

 

 

また、インド占星術の星座割りである 「サイデリアル星座」 と、 西洋占星術の星座割りである 

「トロピカル星座」 の差の >ことを 「アヤナムシャ」 と言いますが、このアヤナムシャも 実のところ、

正確には何度何分の隔たりであるのか、意見は まるで一致していません。 

もうすでに春分点はみずがめ座に入っている、と主張する 占星家もいれば、いやいや、

まだうお座の3分の2を過ぎた だけだ、と主張する占星家もいます。

 

 

 

 

太陽の光は強すぎて、背景の恒星をかき消してしまうので、 そもそも正確に太陽が

背負っている星座などわかるわけ ありません。 その前後は想像力という名の数学で

埋める しかないのです。 だとするならば、あなたのそのサビアンシンボルは、

本当に その度数でしょうか??? 間違いないですか??  ということは言えるでしょう。 

 

 

 

 

実は私はサビアン占星術が世に出たときに、

ショックでうちのめ されました。(笑)

 

 

 

 

 

 「ああ、占星術は終わったな」 と思いましたね。。。 

なぜなら、これでいいのなら、 そもそも 「占 “星” 術」 ではないからです。 

サビアンもそうですが、今の月星座のお願いとか、 星座くくりやハウスくくりの

強い占星術は、 「占 “目盛り” 術」 と言ったほうが正しいのです。 

 

 

 

 

占星術とは、何なのか?? 

 

 

 

 

 

少なくとも、 「星」 と言っているからには、現実の、 観測上の星とリンク

していてしかるべきですが、占星術が用いる 「星座」というのは、目盛り崇拝、

数字崇拝で、むしろ 「占星術」 というよりかは数秘術に近いのです。 

 

 

 

 

 

実はサビアン占星術には、噂があって、元はセントラルパークの酔っ払いが

酒代欲しさにお客の星座に散文をつけていたのが、占いライターに

見いだされて書籍化された、という話が あります。 そして、世の中には 

「ライターになりたがる人々」 が 大変多いです。 

 

 

 

 

 

ライター志望の人間にとって、占星術は、簡単に自分の 功名心・野心、

売名をかなえてくれる便利アイテムです。 ですからサビアン占星術を広めた人たちも、

みんなライターです。 彼らはなんの根拠もないけれど、占い好きが何でも妄信しやすい

性質であるのを知っていて、商業としてどんどん 新しい占星術を 「クリエイト」 していきます。

 

 

 

 

 おかげで占星術は、ますます観測天文学から離れた

 観念モンスターになってしまいました。

 

 

 

 

 

誰が何を書こうが自由です。

 

 

けれども、少なくとも、 「占 “星” 術」 と名乗るからには、

いつでも観測天文学という基礎、土台が私たちになければ いけません。

それがないから無軌道になって、なんでもありで、言ったものがち、

売れれば勝ち、という地獄絵図みたいになって しまうのです。 

 

 

 

 

やはり、いくらマスコミの商業主義が売れればそれでいい、

うそでもねつ造でもいいという姿勢だろうとも、少なくとも

 「占 “星” 術」 と名乗るからには、観測天文学に 

いつでも立ち戻ろうとする気持ちは大切ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

現代天文学や物理学では、私たち生命は 、あの広大な恒星の海から

生まれてきたことは証明されており、 あの星屑の世界こそ私たちの

ふるさとなのですから。 

 

 

 

 

 

 

私は、占いは最初から 「卜術」 しかこの世に存在 していないのでは、と思います。 

サビアンも、もはや 「星」 ではありませんが、占星術が 最初からさいころ占いや

タロットカード、易占いなどと同じように 卜占だとすれば、こうしたやり方が

間違っているとは言えないのです。 しかし、だとするならばそのサビアンに執着して、

そのサビアン を一生のシンボルだとしてしまうのはそれこそ本末転倒です。

 

 

 

 

 

星は常に動いている。 サビアンも生まれ星座もアスペクトも 

すべては移り変わるのです。 そのときだけ、あなたの心に 

いっとき寄り添うだけのもの。

 

 

 

 

サビアンも一生不変のシンボルだと考えてしまえば、人間が

 星(目盛り)の奴隷になりさがる 「星先心後」 の思想に

 染まってしまいます。 そして、もしも占いが 「何かを見たことで意識に

変化を起こす 意識論である」 のだとしたら、Mさんが感じた 

「現実の星じゃないのだ」 という気恥ずかしさはとても 大事なことなのです。 

 

 

 

 

だからこそ、占星家は、紙にプリントされたホロスコープばかり

見ることはやめて、外に出て、現実の星を観測せねばなりません。

 

 

 

 

占星術を含め、占いとは、 「あなたの眼にはこの自然界

がどう見えているのか??」 を常に問うているのです。

 

 

 

その、癒しの源泉である自然界に、人を返してあげることが

占星家の本当の仕事で、クライアントを癒すことができるのは

自然界だけなのだろうと思います。

 

 

 

この謙虚さを忘れないためにも、やはり現実の星をいつも

見ることは大切で、黄道をぜひ通年観察してみて欲しいの

です。生きてダイナミックに動き回る、巨大な地球と太陽系の

息吹をその目で見て欲しいのです。

 

 

 

 

ここから離れた 「占 “星” 学」 になど、いったいなんの

意味があるでしょう。

 

 

 

 

そういう意味でMさんの問いは、占星術をやる人は、生涯忘れてはいけない

問いなのだろうと思います。それが占星術を学ぶ本当の意義かも知れません。

 

 

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