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それでも生きる 母の悪性リンパ腫との戦い

元気印の母が突然悪性リンパ腫に侵されてしまいました。
その中でも、日本では症例のすくないダブルヒットリンパ腫。
同じ病気を抱えている方やそのご家族の為に少しでも情報を共有できたらと思っています。

さて、左肩(脇の下)に転移が見つかり、


ダブルヒットリンパ腫と診断され、


3月に入り、第2回目の入院にて治療が始まりました。




今回は通院ではなく、治るまで入院とのこと。


長丁場となりそうです。




ESHAPという抗がん剤を3週間おきに3クルー打ちます。


1回の治療は5日間。


5日間抗がん剤を打ち続けます。


それも前回より強い抗がん剤です。




副作用も前回より強く感じました。


体も弱ってきている中での


治療ともあり、先生方も慎重に治療を進めていった結果、


4月末に無事に3クルー目の治療が終了しました。






今回は、抗がん剤に加えて放射線治療を実施します。




5月からは脇の下の放射線治療が始まりました。



辛かった抗がん剤治療 R-CHOP治療6クルーも終了し、

翌月はPETとCTの検査でした。


結果は残念なことに、

脇の下に腫瘍が見つかりました。


転移したということです。


そして、日本では非常に珍しい 

Double Hit Lymphoma(DHL)

(ダブルヒットリンパ腫)

と診断されました。


ネットで検索をかけてもなかなかヒットしません。

調べるたくても情報があまりなく困惑しました。


ただ難しい病気であり、

覚悟が必要なことがわかりました。



以下、『悪性リンパ腫の染色体・遺伝子検査』 谷脇雅史 より抜粋URL http://www.eisai.jp/medical/clinician/vol58/no595/pdf/sp06_595.pdf


"Double hit" lymphoma(ダブルヒットリンパ腫)
2種類以上の相手遺伝子を同一細胞に認めるIG転座の症例は、“double hit” lymphoma(DHL)といわれ、極めて予後不良である。しばしば、白血化や中枢神経浸潤を認め、急激な経過をとる。頻度は2~5%であり、t(14 ; 18)とt(8 ; 14)の組み合わせが多い。R-Hyper CVAD
などの強力な化学療法にも抵抗し、ほとんどが1年以内に死亡するため、今後の治療法開発が重要な課題となっている。



要は、抗がん剤にも打ち勝つ強い癌細胞が次から次へとできるようです。

母のように最初の抗がん剤治療で一旦は消えたと思われる腫瘍も

数週間で更に強い癌細胞が生まれるわけです。


打つ手なしのように思われますが、

前回のR-CHOPより更に強い抗がん剤治療で手強い癌細胞に攻撃することになりました。


母の体が治療に耐えられるかとても不安でしたが、

他に手はないと思われました。


母は、もともと、体がとても丈夫で、

風邪もひかず、薬も飲まない健康体でした。

ですので、免疫も十分にあり、

抗がん剤の副作用が少なかったのも

そういった体質もあるようです。



普段から薬に頼らず、

自分の免疫力を上げ、

健康を維持していることが

いざ大きな病気になったときに

その後を左右することになるとても大事なことだと痛感しました。


普段薬を使っていないと

治療の効き方も良いそうです。



さて、ダブルヒットリンパ腫と診断され、

落ち込む本人と家族でしたが、

進行がとても早いため、悠長に落ち込んでもいられません。


3月に入ると、母はすぐに入院となり、次のESHAP治療が始まりました。


余談ですが、この時、私は産後2週間目でした。

産後は大事だという母の思いもあり、

遠くから親戚が私の面倒を見に駆けつけてくれました。

親戚には大変感謝しています。

これも母の人望だと思いました。




過去に遡って、少しづつブログを更新していこうと思います。


2014年9月


胸が苦しかったりしたので、

近所の内科(東京大学医学系大学院を卒業された開業医)に

行ったところ肺炎と診断されて、お薬を処方されていました。


それでもよくならずに、耳鼻咽喉科にも行ったところ

今度はストレスと診断されました。


このあたりから急速に苦しくなってきたので本来ならすぐに大学病院に行くべきでしたね。

今思えばの話ですが・・・

やっぱりへんだとおもったら大きな病院に行き、しっかり検査をするに越したことないのだなと実感しました。


夜も寝れなくなったので、

急いで肺炎と診断してくださった内科医へ行くと、

ただ事ではないと判断され、慌てて救急車を呼んで下さり

ここでようやく大学病院に行くことになりました。


最初の大学病院では治療ができないということで、

他の大学病院へ救急車で搬送され、

ようやくたどり着いたのが今の大学病院でした。


血液内科に緊急入院となり、

検査後、胸に10㎝の腫瘍が見つかりました。


この腫瘍が胸を圧迫して呼吸困難になっていたのです。


一刻も早く取り除く必要があり、

山場は今夜だと突然の宣告。


肺炎か風邪だと思っていた本人と家族は驚きを隠せませんでした。


気管確保のため、すぐにR-CHOPの治療が始まりました。

まだ、リンパ腫だという証拠はありませんが、

一刻の猶予もないということでした。


リンパ腫であれば、この治療が効くため助かるが、

リンパ腫でなくほかの癌であれば、手術もできない場所であるため、

助からないとその場で宣告。


へんな祈りですが、リンパ腫でありますようにと、祈る家族。


R-CHOP実施後、急激に腫瘍が縮小し

リンパ腫であったことが判明。

同時に母も生き延びることができました。



10月半ばに退院。


抗がん剤治療である「R-CHOP」6クルーの治療が始まりました。


基本は3週間に一度、4日間入院しR-CHOP治療をするというスタイルでした。


治療後2週間目に免疫が落ちる危険日が訪れます。

そのため、自宅でお食事を作るときなど、

感染しないよう、いろいろと注意が必要です。


母の場合、副作用は次のものだけでした。

①脱毛

②2週間目の高熱(38℃~40℃)2,3日で下がりますので解熱剤で対応


それ以外は口内炎や嘔吐もなく

普通に過ごしていました。




6クルーが終わったのが1月です。


治療も順調、強い副作用も特になく、

薬の効きも良さそう。


PET検査の結果、すべて消えていれば寛解です。



*「寛解」とは、一般的に病状が落ち着き、臨床的に問題がない程度にまで治ったことを意味します。癌の種類によって定義が異なりますが、白血病や悪性リンパ腫などの「血液のがん」では、骨髄中のがん細胞が5パーセントを下回る、もしくは末梢血(血管を流れる普通の血液)にがん細胞が検出されなくなった際に「寛解した」と表現されるようです。




尚、母は現在(2015年9月)も闘病中です。


担当医師からは治療方法はもうないといわれながらも、

セカンドオピニオンの先生や放射線科の先生とお話しをしながら

治療を続けています。



2014年9月に胸が急激に苦しくなり緊急入院。


病院についてすぐ今夜が山場といきなり宣告される。


リンパ腫であれば、抗がん剤がすぐに効くので助かると思われるが、

そうでなければ窒息する可能性があるとのこと。


突然の出来事で家族困惑の中、

待ったなしの状況の為、即治療開始。


結果、リンパ腫であったため、胸にできたしこりはすぐに消え

とりあえず回復する。


リンパ腫で命拾いした母。


そして、これからリンパ腫との戦いが始まりました。



その頃私は、妊娠6ヶ月だったので、家族の気遣いもあり、

何も知らされずお家で待機していました。










ブログを始めました。


病気を患っている方やそのご家族や友人の方がたとの情報を共有できればと思い、

今さらながらブログを始めました。


子育てと仕事と母の看病と、ブログを更新する時間があるか不安ですが、

とりあえず始めます。


よろしくお願いします。