“トイ”ペットから、世界の寵児へ | ぐうたら能無し教授の日記(坂口謙吾)

“トイ”ペットから、世界の寵児へ

6-1、DNAポリメラーゼひらめき電球


 ゲノムプロジェクトデータが利用出来るようになってからは、全てのDNAポリメラーゼ種を探し調査した。今日、ショウジョウバエには、どのタイプの酵素種があり、どのタイプの酵素種がないか、全て確定している。これらのほとんどの結果は私達によって発表されたものである。

 その中で、

* DNA polymeraseδ
* DNApolymeraseε
* DNApolymeraseα
* DNA polymeraseθ
* DNA polymeraseζ

 などは、最終的に精製したレコンビナント酵素を得て詳しく報告している。

 これらの酵素種と次の節で説明するDNA修復因子群との相互作用は、いろいろな新しい情報をもたらした。

 その中で私個人としては「極めて重要な発見だ!」と思うのは、“ショウジョウバエにはXグループの酵素種が全くない”ということである。何度も触れているが、全ての真核生物の減数分裂時に起きるDNAの組換え反応には、必ずXグループの酵素種が関与する(全て、と書いたが、そう推定されるの意である)。ショウジョウバエはそれ以前にDNAポリメラーゼ種を調べられた全ての生き物の例外だった。それが“ζによる代行”の発見に至った。

 このβの進化発達は、脊椎動物の神経系の形成とも密接に関係していることが徐々に分かってくるが(後の章参照)、ショウジョウバエにも神経はある。これをどう処理しているのか?やはりζなどが代行しているのか?今後の大きな問題である。


  6-2、DNA修復因子

 このショウジョウバエを理科大で始めた当時、既にカリフラワーもキノコもやっていたから、当然同じようにショウジョウバエの胚からもDNA修復因子の研究も並行して行った。何しろ人手は山ほどあった。あり過ぎてテーマ設定に忙しくて、ショウジョウバエのモデル実験は格好の材料だった。この場合も、もちろんドンドンやらせるが自主性に任せているので、研究を成就出来る者と出来ない者が出る。結果として出た方の続きを大学院への進学者がドンドン伸ばすだけだから、やはり全体として実験目的のポリシーがはっきりしない、バラバラ研究になった。でも最初の頃は、皆、独立したテーマになっていたからバラバラの典型だったが、途中から、このショウジョウバエ研究では奇妙なことが起き始める。希望者が多く(馬糞を使ったりするキノコや地味な植物などより人気があった)、多くの人がやり、成就できる者が多くなったので(数の問題、やる者が多ければ成功者も比例して増える)、それぞれバラバラだったテーマが進展して、後にテーマのほとんどが互いに繋がるのである。如何にも意図したがごとく総合的に討論が出来るので、国際的に多くの人から感心された(単なる数の問題だったので、実は感心されるほどの話ではない)。2000年代に入るとゲノムプロジェクトがドンドン進んできたという事情もあり。海外ではこのような植物や菌類、動物などの材料をいろいろ使い分けるという手法が真似された(それも天下の大物と言われる人物達が真似した)。こうすると機能を研究する際に材料の難点を補うことが何処からでも出来るようになるためである。

 ゲノムプロジェクトデータを操り、いろいろな材料で比較すると、材料の難点を補うばかりでなく、意外と新しいことがドンドン分かるのである。それに遺伝子操作技術を加えると、もう哺乳動物を使わなくて良い分野が大半になってしまった。とにかく、医学系の哺乳動物一辺倒だった雰囲気が大幅に変わった(これは、まだアメリカや西ヨーロッパの話で、日本は未だそれ以前の哺乳動物段階にある)。

 哺乳動物を材料とすると非常に費用がかかるというだけではなく、特にアメリカ・ヨーロッパなどでは動物保護団体の運動が極めて先鋭化してきており、法律的にもそれを常に配慮せねばならない段階に入っているからである。現在のアメリカの基礎医学研究は、ほとんどがショウジョウバエなど多くの他の材料に移行している(か、または移行しつつある)。私達はそんなことを意識して始めた訳ではなかったが、これまた偶然にも世界の先をいっていた“ことになってしまった”(実際には、そんなだいそれた立派な意識など全くなかったのだが)。ゲノムプロジェクトデータ発展のおかげである。費用的にも、培養細胞を操らずにデータベースの比較だけで、かなりの結果が出せるのは大変大きく、猛烈な時間と費用の節約になり出した。

 その昔、アメリカ車が世界の憧れだった頃の日本の小型車の呼称(その頃は、アメリカに持ち込まれてテストされたトヨタ車は、トヨペットではなくトイペット、「ペットのようなオモチャ」の意、などと揶揄されたりしていた)と似ている。日本は日本のビジネス環境上そうなっていた。ところが石油ショックが起きると時代は変わった。その“トイ”ペットは、トヨタはアメリカばかりでなく世界の寵児となり、世界最大の自動車メーカーになっていく足がかりになった。比べるのはチと烏滸がましいが、この私達の研究材料の話はそれを感じた。まあ、先見の明というよりもゲノムプロジェクトが大流行し、たちまち利用が可能になったことが大きい。その恩恵に浴したのである。“姑息”を意識して始めたにもかかわらず意図せず“メジャー”になってしまった。



つづく



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