NECの1万人リストラ 下 社員らの反撃始まる(連合通信・隔日版より) | 労働組合ってなにするところ?

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2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、東日本大震災の被災地の復旧・復興が、住民の立場に立った形で、1日も早く実現することを祈念致します。




NECのリストラ問題の続報です。

「連合通信・隔日版」の記事を引用します。引用部分は青で表記します。



〈NECの1万人リストラ〉下

  「夏の陣」が終わっただけ…  社員らの反撃始まる

連合通信・隔日版  2012年9月27日付  No.8647  p4~6


 NECでの早期退職の募集は一応、7月末で終わったことになっている。しかし、「ヤマ」を乗り切った社員からは「『夏の陣』が終わっただけ」との声も。一方、社員の苦悩に寄り添わない既存の社内労組に見切りをつけた社員らの反撃も始まった。


(中略)


 グループ全体でも


 リストラはグループ全体でもとどまる気配がない。グループ外企業への「出向」も、早期退職を迫る「脅し」の材料とされた。既に内辞は交付済みで、10月1日以降その実情が判明する。

 また、「厳しい業績管理を行う自己完結型の営業部署」の新設も、「面談」の際に浮上した。ほぼ実現不可能な目標を設定させ、未達を理由に「解雇」する――。IBMで既に導入されている「PIP(業績改善プログラム)」というリストラ手法が懸念される。

 電機・情報ユニオンの森英一書記長のもとには、出向や配転の辞令が届いたとの労働相談が、9月半ばを過ぎた今もひっきりなしに寄せられているという。


 反撃を開始


 今春闘の集中回答後にリストラ計画が公表され、半年以上が過ぎた。この間に違法な退職強要が繰り返された。40歳以上の、独身者や、おとなしい雰囲気の人が狙い撃ちにされる傾向があると、ユニオン関係者は口をそろえる。

 7度の「面談」を強要された社員は、「電機・情報通信業界が軒並み不振ななか、再就職は難しい。退職金の割り増しがあるとはいっても安心できるものではない」と話す。

 社員を追い込む職場の荒廃も深刻だ。「20、30歳代の同僚は(自分の問題ではないので)わかってもらえないだろうし、同年代以上は皆、戦々恐々。この問題にはお互いに触れない」と孤立感を訴える。

 「退職強要」は、精神疾患についての労災認定基準で、「心理的負荷」が最も強いレベルと位置づけられている。人をうつや自死に追い込む強い衝撃を与える行為だと、厚生労働省も認めているものだ。

 一方、社内労組の動きは鈍い。退職強要を受けた人たちは一様に、「助けを求めたが、動いてくれない。それどころか、『(退職を迫る)面談は法的に問題がない』と会社と同じことを言う」と突き放す。

 前述のNEC子会社の男性は職場の同僚らとユニオンに加入した。8月末から少数組合ながら会社と団体交渉を開始。職場の思いを背に、生活と誇りをかけた反撃が始まった。(連載終わり)



リストラに対して毅然とした態度が取れるかどうかは、社内労組とかユニオンだとか、労働組合の形態だけの問題ではなく、それまでその労働組合がどのような方針で活動してきたかによるのではないかと思います。それまで、会社に特に要求もせず、唯々諾々と従ってきた労働組合が、リストラに直面して突然に会社に抵抗できるようになるかというと、そう簡単なことではないでしょう。逆に、それまでも会社にきちんと対峙し、組合員の要求を主張し、交渉を重ねてきた労働組合は、いざという時にもリストラに抵抗できると思います。


労働者にとっては残念なことですが、退職勧奨、退職を勧める行為そのものは違法ではありません。

しかし、そのやり方が労働者の人権を無視し、苦痛を与えるものであることが認められた場合、「安全配慮義務違反」や「強要」などの違法行為となり、そうした行為は止めるように要求することができます。そのことについては、最近パワハラの学習会のまとめなどでお伝えしてきたとおりです。

会社がそうした行為が違法であることをきちんと把握して、法的に問題ない行動をとってくれればいいのですが、そうではない以上、労働組合の役割の一つとして「退職強要」に立ち向かっていかなければならないと思います。



NEC以外でも電機・情報通信業界の多くの企業でリストラが実施されており、さながら2008年の年末を思い起こさせる状況です。二度とあの時のようなことが起こらないようにがんばってきたはずなのに、制度も政府の対策も企業の姿勢もほとんど変わっていないことに徒労感を覚えざるを得ません。

それでも、私たち労働者は生存することをあきらめる訳にはいきません。何度踏みつけられようと、諦めずに声を上げ続け、少しずつでも改善を勝ち取っていきたいと思います。