ETV特集「沖縄戦 心の傷」の感想 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、東日本大震災の被災地の復旧・復興が、住民の立場に立った形で、1日も早く実現することを祈念致します。



8月12日にETV特集「沖縄戦 心の傷」が放送された時は見逃してしまったのですが、知人のブログの情報で8月18日に再放送があること知り、今度は忘れずに録画して見ることができました。

この番組は、2012年4月に行なわれた沖縄戦を体験した人たちへの聴き取り調査により、回答者の43.7%が不眠やうつ症状、原因不明の体の痛みなどのPTSD、心的外傷後ストレス障害の症状を起こしているということを中心に構成されています。

この調査が行なわれるきっかけは、2011年11月に宜野湾市で行なわれた医療シンポジウムにおいて、沖縄の高齢者の精神疾患の増加は戦争による心的外傷後ストレス障害が原因ではないかという発表が行なわれたことだそうです。沖縄県で精神科医として診療を行なっている蟻塚亮二医師は、原因不明の精神疾患を患う高齢患者の共通点として戦争体験があることに気付き、事例を125件集めたそうです。


戦争体験を原因としたPTSDは、一般のPTSDならば原因となる体験から6カ月以内に発症するのに、何十年も経ってから症状が現れるという特徴があります。

なぜそうした特徴が現れるかというと、子どもの頃の戦争体験の記憶は鮮明ですが、成長して社会に出ていろいろな問題に直面するとそれらに集中するために辛い記憶を思い出すことがなくなり、仕事を引退したり、子育てがひと段落したりして、問題がなくなると辛い記憶を思い出すようになるからだそうです。


そうした沖縄戦のPTSDについて、全日本民医連の機関紙「民医連新聞」の取材に対して、蟻塚医師は次のように説明しています。


 「大人は辛い体験を言語化して整理し、徐々に記憶のファイルに移します。ところが、幼少年期に沖縄戦を体験した世代は、体験を言語化できないまま抱え、それが正体不明のストレスとして暴れて患者を苦しめるわけです」

 治療は薬のほか、患者ミーティングを開き、戦争体験を語り合うこと。「記憶を言語化し、しかるべき”戸棚”に収める作業。これで症状を和らげます」と蟻塚さん。

(「民医連新聞」2012年7月16日付第1528号)


調査によって、辛い記憶を掘り起こすことがかえってよくないのではないかと危惧していましたが、記憶を言語化する作業が治療に役立つということであれば、調査は治療につながると言えるのではないかと思いました。


番組では、沖縄戦によるPTSDは半世紀前、1966年の沖縄本土復帰に向けての実態調査でも指摘されていたことも明らかにされました。精神障害について調べるために精神科医が派遣されて5000人以上の調査が行なわれ、精神疾患の有病率が本土の2倍であることが明らかにされたそうです。

しかし、この時代には精神障害者の多くが隠されて適切な治療をされておらず、沖縄の本土復帰後は精神障害者の医療費の公費負担が制度化されたものの、精神科への入院が主な措置で、やはり実態が目に触れなくなってしまったそうです。


また、復帰後も米軍基地が残ったため、基地や軍用機をきっかけに沖縄戦の記憶を思い出す人もいるということも指摘されました。

軍用機による事故の被害もPTSDの原因になっています。1959年に米軍ジェット機が小学校に墜落した事故で子どもが大怪我を負い、一命を取りとめるが移植した皮膚の異常が原因で亡くなったしまうという体験をした母親が、2004年の沖縄国際大学ヘリ墜落事故をきっかけに記憶がよみがえり、それからは軍用機を見る度に辛い記憶を思い出し、眠れなくなってしまっているという事例が報告されていました。


こうしたPTSDに苦しむ人たちには、単に恐怖や辛さがストレスになっているのではなく、「自分だけが生き残ってしまって申し訳ない」という思い、「助けるべき人を助けなかった」という自責の念を感じている人が多いそうです。

そうした思いを乗り越えることは難しいかもしれませんが、精神疾患症状の原因が戦争体験にあるということが社会的に認められれば、個人の問題ではなく、社会的問題だと捉えて患者を支えるべきだという認識が広まり、患者さんたちの負担も軽くなるのではないかと思います。