2011年国際女性デー埼玉集会報告 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

本来の国際女性デーは3月8日ですが、埼玉県ではその直前の土曜日か日曜日に国際女性デー埼玉集会を開催しています。今年は3月6日開催でした。

まず、午前10時半から浦和駅前で1時間ほど核兵器廃絶署名をお願いする行動を行ない、昼食をとった後、集会に参加しました。

今回の集会では、まずは埼玉合唱団による合唱が文化行事として行なわれ、メインの講演は東京大学の加藤陽子教授による「歴史家から見た戦争と平和」、在日朝鮮人被爆者の方の証言(録音と写真による)、集会アピール採択が行なわれました。そして、会場から浦和駅までパレードを行ないました。


さて。ではこれから加藤教授の講演の概要をご紹介します、というところですが、今回はメモが不十分できちんと再構築できる自信がありません……

雰囲気をお伝えするに留まるかもしれませんが、ご容赦ください。


まず、加藤教授のお話は埼玉県との関わりということから始まりました。加藤教授ご自身が旧大宮市、今のさいたま市の出身で、現在も実家がさいたま市にあり、お父様もさいたま市内の老人ホームにいらっしゃるということで、よくさいたまにはいらしているそうです。お父様は1923年のお生まれで、満州で従軍されていたそうですが、朝鮮の方に対して差別的な言い方をしてしまうような一面もあったそうです。

加藤教授が『それでも日本は戦争を選んだ』という著作で小林秀雄賞という批評家や哲学者などへ贈られる賞を受賞した際、選評を書いたフランス文学者の堀江敏幸氏が、加藤教授自身も気がついていなかった「いらだち」が込められていると評したそうです。その「いらだち」とは、なぜ加害者は被害者の気持ちがわからないのか、なぜ自分の親でさえも説得できないのかといういらだちです。『それでも日本は戦争を選んだ』は、生徒への授業の記録であり、丁寧な言葉でわかりやすく書かれたものなのですが、堀江氏はそうした加藤教授のいらだちをそこから読み取ったという訳です。

ちなみに堀江氏は『熊の敷石』という小説を書かれているそうで、これはフランスを旅する日本人旅行者が第二次世界大戦の頃の歴史を知っていく物語だそうです。「熊の敷石」とは、要らぬおせっかいという意味で、思い出したくない記憶を思い出させてしまう旅行者の行為を指しているということでした。フランスは、第二次大戦時にユダヤ人が最も生き延びることができた国だそうですが、フランスにもナチスの傀儡政権がつくられていた訳ですから、単純ではないことが起こっていたということです。

もう一つ、フランスのエピソードとして、オランドゥール・スール・グラヌという村のことが紹介されました。この村では1944年6月にナチスのSSによる虐殺が行なわれ、約640人の村人のうち6名しか生き残らなかったそうです。生き残った人たちは正確な記録を残し、観光客に対しても事実をそのまま伝えているそうです。そうした人たちの言葉を、加藤教授は死んだ人の立場から生きている人たちに伝える言葉であると評しています。一方、広島平和記念公園の原爆死没者記念碑の文面は、生きている者の立場から死んだ人に対する言葉です。

そうした姿勢の違いは、日本政府の国連での非核についての採択への態度に現れています。日本の国連大使は、アメリカにとって不利な採択に関しては反対しているのだそうです。

また、第二次世界大戦期の日本の歴史については、5月3日午後10時から放映されるNHK教育テレビの「さかのぼり日本史」で加藤教授が解説されるそうです。


次に、なぜ戦争を研究するのかということがテーマにされました。

歴史は戦史から始まったと言われているそうです。紀元前460年頃、トゥーキュディデースという歴史家が『戦史』という著作を著し、都市国家のアテーナイとスパルタの戦いについて書いているそうです。スパルタは戦意を高めるための演説で、この戦いに敗れれば我らは奴隷に貶められると訴えたそうです。紀元前5世紀頃と1940年代で、戦争に導く言葉は変わっていないということが記録からわかります。

また、戦争は国家を形成し、国家は「歴史」を必要とするという言葉もあるそうです。古代の日本については歴史は中国の史書に記されていますが、紀元前3、4世紀頃邪馬台国連合が成立しています。大規模な灌漑工事や正確な暦をつくるためなどに国としてまとまる必要があったと言われていますが、中国の脅威によって国家形成が必要になったという面もあるそうです。


戦争とは、ヒロイズムやナルシシズムを感じさせやすいもので、誇り、万能感、祝祭的な高揚感といったものをもたらす一方で、誰かのために犠牲になるといった、戦争が要求する苦痛、欠乏、不平等にすら倫理性を帯びる、耐えるべきものと思わせてしまいます。

精神科医の中井久夫氏は『樹を見つめて』という著作の中で、戦争と平和に対する深い考察を行なっているそうです。戦争で生き残った人たちは、神戸の震災で生き残った人たちにも見られたような”生存者罪悪感”といったものがあり、自分よりいい人だったあの人が亡くなったのに、自分は生き残ってしまったという思いを抱いてしまうそうです。そうした罪悪感を持っている人たちが語ることには限界があり、語れない部分、隠されてしまう部分が生じます。

その部分を、過去の事実などから埋めていくのが歴史家の仕事であると加藤教授はおっしゃっていました。

また、長谷部泰男氏は『憲法と平和を問い直す』という著作の中でルソーによる戦争と戦争状態の定義を紹介しているそうです。その中で、戦争が終わった後に何が起こるかということを考えると、戦争とは敵とされた相手国の政治の基本的枠組み・秩序、すなわち憲法を攻撃するという形をとるという考えが示されているそうです。つまり、戦争に負けるとは憲法が変わることであり、第二次世界大戦後の敗戦後の日本でもやはり新しい憲法が定められました。

18世紀の哲学者が、このような20世紀の国家間の問題としても通じる考え方に至りえたということに、歴史を研究する意味があります。


しかし、今の日本には戦争へと促すような動きがあります。

尖閣問題がよく取り上げられていた頃、産経新聞が行なった世論調査では、20代男性の約90%が中国にマイナス印象を持っており、次に多かったのは40代女性だそうです。

防衛とは本来、医療、消防、道路などの公共財であり、国民が国家に委託しているものです。しかし、領土問題などの先鋭的な問題については、マスコミの報道など、不安を先導するような動きがあります。

そうした中で、若い男性が朝鮮から攻められれば戦うと述べると、加藤教授は振込み詐欺に引っ掛かるのと同じだと評するそうです。つまり、どちらも大切な人を守りたいという気持ちを利用しているということです。

不安を先導するような、戦争へと説得するような論理に抵抗するためには、防衛もまた公共財であり身近なものとして捉え、国民がそのチェックをしていくべきだという考えが示されました。


不十分ではありますが、以上で報告を終了します。