市民憲法講座「安保改定50年―『日米同盟』の現在」 | 労働組合ってなにするところ?

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2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

昨日は埼労連の定期大会に代議員として出席していたのですが、その後、友人に誘われて文京区民センターまで出かけ、市民憲法講座「安保改定50年―『日米同盟』の現在」に参加し、NPO法人ピースデポ代表の湯浅一郎さんの講演を聴いてきました。

以下、その概要の報告です。


講演は、まず「ピースデポ」の説明から始まりました。「ピースデポ」とは”平和の倉庫”という意味だそうで、1998年1月に市民の手による平和のシンクタンクとして設立したNPO法人です。国家に集中してしまっている情報を市民の手へもたらすために、欧米のNPOが情報公開法を駆使していることを参考にし、軍事力によらない、自立的な生存を目指して活動しているそうです。運営費は会費と書籍収入で賄っていて、専従職員2名と無給の湯浅さんの3人で運営しているそうです。2007年に、アメリカの情報公開法を活用し、日本のテロ特措法によって提供された燃料がイラク戦争に転用されたことを明らかにし、テロ特措法違反であることを指摘して注目されました。


湯浅さんは、2010年という年を日本の近現代史を考える上でエポックメイキングな年であると考えていらっしゃいます。それは、1910年の韓国強制併合から100年、1950年の朝鮮戦争勃発から60年、1960年の新日米安保条約締結から50年という年だからです。今回は、2010年までの戦後の歴史を、安保・米軍基地と憲法・平和主義との相容れない要素のせめぎ合いという観点から振り返りました。

戦後、1946年に日本国憲法が公布され、日本は武装解除されました。しかし、すぐに米ソ冷戦の時代に入り、1950年に朝鮮戦争が勃発したことから、日本の再軍備が開始されます。1951年にはサンフランシスコ講和条約と第一次安保条約が締結され、日本はアメリカの軍事的な協力国という立場に置かれるようになりました。つまり、東西冷戦で西側につくという選択をしたことになります。そして、1960年には新安保条約が締結され、その後、まともな議論がないままに安保体制が継続されてきてしまいました。1978年には日米防衛協力指針、ガイドラインがつくられ、日米の共同行動が開始されます。

1989年にはベルリンの壁が崩壊し、冷戦時代は終結します。そのとき、日本は日米安保条約と自衛隊の必要性を問い直すべきでしたが、1991年に湾岸戦争が勃発したこともあり、そうした議論は起こりませんでした。そして、国際協力のためという名目によって、自衛隊の海外派遣が始まります。

一方、冷戦後の世界では核軍縮が開始され、欧州では1993年にEUが発足し、東南アジアでは1994年にアセアン地域フォーラムが発足し、軍事力に寄らない安全保障の枠組みがつくられ始めます。1995年には欧州安全保障協力機構が発足し、欧州の中では戦争が起こり得ない状況がつくられます。

しかし、日本は1997年に新ガイドラインをアメリカと合意し、1999年に周辺事態法、2001年に対テロ特措法、2003年にイラク特措法、有事関連包括法、2004年に国民保護法が成立し、今でも政府がその気になればすぐに非常事態に使える法律が整っていることになります。

2003年から米軍は世界的な再編成を始め、日本もその中心の一つとなっています。2006年に在日米軍再編ロードマップに合意し、2007年には防衛庁が防衛省に昇格し、自衛隊の海外任務が本務化しました。同じく2007年に国民投票法が成立し、2010年に施行され、9条改憲の可能性が生じています。

しかし、その一方で憲法9条に基づき、戦後の日本は本格的な戦争には決して関わってこなかったという歴史もあります。反戦の住民運動も全国的に行なわれてきています。


湯浅さんは、「安全保障のジレンマ」という概念を提示しました。

「安全保障のジレンマ」とは、A国が自らの安全保障のために新しい兵器を配備することが、B国の安全を損なうという結果をもたらし、B国も軍事的対応を行ない、そのB国の行動がまたAの安全を損なうように機能し、A国がまた軍拡を進めるというように、相互の不信が軍拡競争の悪循環を生み出してしまうという状況のことだそうです。米ソ冷戦時代の核軍拡がその例です。冷戦構造がまだ残っている北東アジアもまたそうした状況であることが指摘されました。そして、「安全保障のジレンマ」が生じている地域に安寧はなく、軍拡競争の悪循環には終わりが見えないということも指摘されました。

朝鮮戦争がまだ終結しておらず、冷戦構造がまだ残っている北東アジアでは、米軍兵力が約8万人常駐しています。北朝鮮の弾道ミサイルへの対抗措置として、日米ミサイル防衛の増強、イージス艦の配備などが行なわれています。「安全保障のジレンマ」の状態にあることは明らかです。

そうした状況にあって、「軍事による抑止論」が支配的になっています。沖縄の海兵隊も「抑止力」、侵略を思い留まらせる機能を持つ軍事力と見なされています。

しかし、2004年8月13日に沖縄国際大学にヘリが墜落する事故が起こり、沖縄の海兵隊の真の任務が明らかになりました。事故から9日後の8月22日、事故の原因も明らかになっていないうちに、事故を起こしたヘリと同型機がホワイトビーチからエセックスに積み込まれ、イラクへと向かったのです。

ちなみに事故の原因は、整備兵の徹夜勤務による単純な過失だったそうです。そのことから、アメリカの疲弊ぶりが明らかです。


2003年から、米軍はグローバル化に対応した軍に転換するために再編を開始しました。世界規模の米国の国益を守るため、世界のあらゆる地域での脅威に対応することを目的にしています。

ブッシュ大統領が宣言した米軍再編の5原則は、①不確実性と闘うための柔軟性、機動性、②特定地域に焦点を当てるのではない、地球規模の部隊運用、③迅速展開能力の発展、④兵力や武器、艦船、脅威に対抗する「能力」、⑤同盟国の役割の強化というものです。

柔軟性、機動性を強化するためには海外基地ネットワークの再編が行なわれており、それは「蓮の葉」戦略と呼ばれているそうです。カエルが大小の蓮の葉の上を跳びながら移動していくイメージで、その中で大きな蓮の葉にあたるのが日本、韓国、ドイツだそうです。この3国は米軍駐留経費を多く負担しており、中でも日本が最も多く負担しています。日本は44億1134万ドル、2位のドイツは15億6393万ドル、3位は韓国で8億4281万ドルだそうです。これを減らさない限り、米軍基地はなくならないと湯浅さんは指摘しています。

一方、ローテーションの作戦部隊を配置する「前進作戦地」には新しい基地がつくられ、一時使用のための「安保協力地点」とされたフィリピンには、現在基地は返還されているものの、港の使用はできるようになっているそうです。


そうした軍事力によって平和を担保するという思想に代わって、多国間の対話と協調による「共通の安全保障」の枠組みの形成という発想の転換が行なわれているそうです。

1982年に開かれた軍縮と安全保障問題に関する独立委員会であるパルメ委員会において、「共通の安全保障」という考え方が提唱されました。それは、すべての国は安全への正当な権利を有する、軍事力は国家間の紛争を解決する正当な道具ではない、国の政策を表明する時には自制が肝要、安全保障は軍事的優位によっては達成されない、共通の安全保障のためには軍備削減及び質的制限が必要であるとという考え方だそうです。1995年の欧州安全保障協力機構はそうした考え方に基づく地域的安全保障機構です。

北東アジアでも「共通の安全保障」を成立させる糸口として、湯浅さんは北東アジア非核兵器地帯を形成することを提起しました。

非核兵器地帯とは、一致の地域的範囲内において核兵器が排除された状態と作り出すことを目的とした国際法の制度で、1967年にトラテロルコ条約でラテン・アメリカおよびカリブ地域が、1985年にラトロンガ条約で南太平洋が非核兵器地帯となっています。その他、南極条約で南極が、バンコク条約で東南アジアが、ペリンダバ条約でアフリカが、セミパラチンスク条約で中央アジアが非核兵器地帯となっており、南半球は99%が非核兵器地帯となっています。

非核兵器地帯が成立する要件は、第一に地帯内国家が核兵器の開発・製造・配備を禁止すること、第二に、周辺の核兵器保有国が地帯内国家に核兵器による攻撃や威嚇をしない誓約をすることだそうです。この二つの要件を満たせば、非核地帯の市民には「核の傘」ならぬ「非核の傘」が保障されることになり、「核の傘」からの離脱が可能になります。

具体的には、北東アジアを非核兵器地帯にするためには、日本、韓国、北朝鮮が第一の要件を満たし、中国、ロシア、アメリカが第二の要件を満たすことが必要です。しかし、北朝鮮は核実験を行ない、核保有を主張しており、日米韓には北朝鮮への不信感があります。逆に北朝鮮にとっては、核兵器国と、核兵器に依存する日韓から、自国だけ非核化を迫れるという不平等感があります。この相互不信を断ち切るためには、日韓が北東アジア非核兵器地帯を提言し、北朝鮮が核兵器を廃棄してもいい環境を整えるべきだと湯浅さんは指摘しています。とりわけ、被爆国である日本政府こそにその役割が求められています。


また、湯浅さんは日米安保条約を軍事同盟から平和友好条約へ変えていくことも提起されました。米軍再編によって日米安保も世界規模にされようとしていますが、それは日米安保条約6条、極東条項に明確に違反していることを湯浅さんは指摘されました。このことを問い直すことが、基地のあり方を見直し、自衛隊も在日米軍も専守防衛へと転換していくことにつながります。

しかし、民主党政権は自民党政権下と同様の安防懇報告に基づき、集団自衛権の行使を可能とする憲法解釈の変更を行なう恐れがあることが指摘されています。この報告書を民主党政権に採用させないよう監視し、日米安保条約を止めて「日米平和友好条約」に切り変えていくため、新しい安全保障の提案を市民の側から行なっていくことが必要であるということが提起されました。


その後、質疑応答がありましたが、それはメモが不十分でしたので割愛いたします。


以上で講演の概要の報告を終わります。




続いて、「ユニオン」と「労働ニュース」アーカイブ様からの情報提供です。


http://mainichi.jp/area/mie/news/20100818ddlk24040157000c.html

労働相談会:非正規や外国人ら対象 9月毎週土曜 /三重
日時 9月の毎週土曜日(4、11、18、25日)、10~15時
場所 ▽松阪市上川町の市労働会館▽伊賀市ゆめが丘1のゆめぽりすセンター▽四日市市日永東1の市勤労者・市民交流センター東館、
弁護士と社会保険労務士各1人とポルトガル語とスペイン語の通訳が待機
事前申し込みが必要で、実行委員会事務局(059・225・2855)まで。
主催 「勤労者地域安心緊急サポート実行委員会」