昔話2 熱帯魚 | SAGGAのブログ -LIFE IS FULL OF DRAMA-

昔話2 熱帯魚


前回話した通り

俺はシンガポールへ

今じゃカジノやホテルの上にでかいプールがあったりする先進国だが

俺がいった頃は まだ発展途上から先進国へ代わる過渡期だった

シンガポールの法律は厳しく

麻薬なら死刑とか

ガムも売ってない

街が汚れるからね

女の水着姿のある雑誌ページは

手破りされていて

当時ジャンプにあったビデオガールや
ジャングルの王者ターチャンなんか
ページが破られ過ぎて内容はわからなかったな

タイ米がダメな人が多いそうだが

俺には合った

蒸してさましたチキンをチキンスープで炊いた米に乗せ

チリとブラックソースで食うチキンライス

スープなしの まあ今で言えば油そばみたいな麺にチャーシューが乗ってるチャーシューミー

他にも数えたらキリがないが

シンガポール食は旨い

一年中夏で

でも海があまりきれいじゃないから海水浴にはいけない

ゲーセンは改造されたゲームばかりで

スト2なんか ゲーム始まると空中に浮き出したりしてた

夜は街には売春婦が立ちつくしてた

学校はイギリス系の学校に入学

色々な国の学生が入り交じり 独特の環境だったな

ただ学食はシンガポール料理のみ

ギターを始め バンドメンバーもみつかり よく学祭でライブしてた

ドラマーがいなくなり ガタイ的に俺が選ばれ まあ 興味はあったからね

先輩から二万くらいでドラムセットを買って 自宅で練習しまくったな

流石に近所から苦情きまくったな

タバコもこの頃に覚えた

夜は誰か仲間の家で朝まで色々語った

まさに 語るって事をしてた

最終的には宇宙の話とかになって

悩みがちっぽけに感じて

なんかよくわかんね みたいに終わる話

今じゃ出来ない無駄な時間の使い方だな

女も覚えた

ハマりすぎて フラれたり ふって女友達に嫌われたり

そいつに告白されたり

まあガキな恋愛劇場を楽しんでたな


下らない事で喧嘩して 仲間割れしたり

台湾人と韓国人と組んで地元のギャングに楯突いて追い回されたり

AV密輸してダビングしまくったり

ナイキのあるスニーカーを日本人バイヤーに高値でうったり

日本人観光客に売春婦のママ紹介して手数料稼いだり


まあ ある意味金を稼ぐチャンスが色々あったな


日本と違いシンガポールは狭い

だから街の同年代はほぼ皆知り合い

楽しかったな

高校はほとんど行ってないし

タバコや喧嘩や 色々な事で退学になりまくった

まあ 仲間も同じようだったしね

インターナショナルは5、6校あったから 色々な高校にいったな

あ、今度はお前なの?みたいな感じで何処にいっても楽しかったな

バンドと女と夜遊び

で酒や色々覚えて 金なくなり

色々やって稼いで 遊んでを繰り返してた

徐々に皆卒業してくなかで


不登校な俺は留年決定

あんなに楽しかったはずが

いざ誰も居なくなると

つまんない街に感じたな

あーあ どうするかな?と思ってた矢先に俺も日本に帰る事にした

シンガポールでバンドで食ってこうと浅はかな夢をもってたが

シンガポールの業界も分からなかったし バンドメンバーバラバラになったしね


本当に学校の勉強はしなかったな

ただ仲間と街にいた

何か面白い事がないか

なんか金になる事はないか

何が自分に出来るか

そんな事ばっか考えてた

この頃 俺の仲間は昔からHIPHOP 聞いて fashion も初期はCross Colours でFubu,Nautica,色々みんな着てたな

でも俺はメタリカ、メガデス、パンテラ、ナパームデス、ガンズとどちらかと言えば、メタル好きでさ

ようやく、ニルヴァナ、グリーンデーなんかも聞き始めてさ

古着ばっかきてたな

で2pacが死んだ日 仲間なんかマジ泣きしててさ

そいつが 俺の顔がなんか2pacに似てるとか言われたのがきっかけなのか

まあよく分からんがいつも仲間の家で聞いてた音楽HIPHOP に興味を持ちはじみた

バンドはメンバーが必要だが、
ラッパーは一人でもライブできる

モテたい盛りだったしね

この頃から人生が少し変わり始めた

そして高校四年生になるために日本へ


つづく