顎から両頬まで覆う面具を半頬、又は頬当と呼び、これに鼻をつけた物を目の下頬と呼ぶ。目の下頬は古くは一体で鼻を外す事は出来ないが、ほとんどは掛け外し可能な形式が多い。これは実戦に着用の際は鼻は外したからと考えている。大袖同様に、(兜と合わせて)上級武将が威儀を誇示する道具と想像する。


長篠合戦屏風の信長と、彼の兜、面具。

面頬(目の下頬)を実際に装着してみると視界が狭くその使用に以前より疑問を持っていました。実戦期の頃は顎と頬を覆う程度の「頬当」が多いと思うのですが納得できました。どんなにしっかり緒を結んでいても頭部に打撃を受けて、又は攻撃を躱してかすり、兜がずれる場合が有れば目の下頬では視界が狭まりこれで命取りではないか。実際に装着すると分かるが鼻が視界を非常に遮るのです。

それ故に。
少なくとも敵と直に戦う機会の多い前線の武者にはそんな理由で、鼻まで覆う目の下頬の類は使用は少なかったのではないかと考えました。
戦場では、敵味方入り乱れ、一対一で戦う等は通常有り得ず、特に敵陣に乗込む勇猛な武者程 寄って集って攻撃される確率が高い。頬当なら大声も出し易く視界の狭まる危険も無いかと。

鼻の下頬の鼻が掛け外し可能な形式なのはわざわざその様に作っていると思えます。





有名な佐竹義宣画像と遺品甲冑。彼は大名なので実戦ではこの面頬を着用して自ら 「常に」戦う等まず考えられず、それなら鼻が掛け外し不可能でも構わない。
前線に姿を見せる事は有っても、その場合画像の様に目の下頬を着用して居たなら、それこそその厳つい容貌が十分狙った効果を果たした筈である。

つまり以前に提示した、胴丸(や腹巻)に付随する大袖と同様の用い方を想像するのです。(前立の毛虫も遺品と肖像画では随分大きさが違う。これも同様な理由かも。)

とすると鼻の初めから付かない頬当の遺品の場合、自ら敵と太刀打に及ぶ可能性の高い現場の指揮官の武士の遺品では、と考えて見るのも面白いと思います。