悪人 | Making Of Sad Paradise

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Empty Black Boxのベーシスト佐藤鷹のブログ

Making Of Sad Paradise-akuninn

9/22


朝から再び真夏かという日差しの中、初めての水上バスに乗り込み、浅草から日の出へ。気温はかなり高かったけれども、隅田川を下る風が心地よかった。止まると暑いんだな。あまり観るべきものはなかったが、特に悪い気はしなかった。


日の出からはゆりかもめでお台場海浜公園へ。とりあえずメディアージュに向かい、お台場に来た目的でもある映画『悪人』の席を押さえる。メディアージュは去年に男4人で『サマーウォーズ』を観に来た以来である。そのときは当時まだお台場にあったガンダムも観にいくという、いかにもな行程だったが楽しかったな。ちなみに僕以外の3人プラス別のもう1人で、さらに翌日に『ヱヴァ破』を観にいったそうな。


映画の時間までモンスーンカフェでランチ。ほぼ2ヶ月前にはイクスピアリ内の同カフェに行っていた。モンスーンカフェでは、「期待しているほどの満足感は無い」、というのを毎回繰り返している。それでつい足を運んでしまうというのだから、上手い所を突いてくるものである。




さて、いよいよ『悪人』である。正直に言って、胸に残ったものを語り出すのがとにかく難しい。というのも、僕の思うところによれば、「結果的に特定のメッセージを発するということのないように注意深く作られた」作品であり、「観客が、あるシンプルな感想をもつことを努めて警戒している」作品であるからである。ちなみに原作は未読。いつものようにネタバレ大有りなのでご注意!



Yahoo!映画より解説とあらすじ。(http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id336818/

解説:「朝日新聞夕刊に連載され、毎日出版文化賞と大佛次郎賞を受賞した吉田修一の話題作を映画化した犯罪ドラマ。九州のとある峠で起きた殺人事件をきっかけに、偶然に出会う男女が繰り広げる逃避行と愛を息苦しくなるほどリアルに描く。監督は、『フラガール』の李相日。罪を犯してしまう肉体労働者と彼と行動をともにする女性を、『ブタがいた教室』や大河ドラマ「天地人」の妻夫木聡と『女の子ものがたり』の深津絵里が演じる。原作で巧みにあぶり出される登場人物の心理がどう描かれるのか、実力派俳優たちの共演に期待が高まる。」


あらすじ:「 若い女性保険外交員の殺人事件。ある金持ちの大学生に疑いがかけられるが、捜査を進めるうちに土木作業員、清水祐一(妻夫木聡)が真犯人として浮上してくる。しかし、祐一はたまたま出会った光代(深津絵里)を車に乗せ、警察の目から逃れるように転々とする。そして、次第に二人は強く惹(ひ)かれ合うようになり……。」


世界観や設定をとにかく丹念に描きながら、いくつもの価値観やイデオロギーの多様な側面を照射することに余念がない、というのが第一印象であった。あなりに丹念なので、特に前半は流れがスロウになりがちなのが人によっては辛いかもしれない。


最近、僕が思案しているテーマでもある「強い個人であることと、親族共同体に属することは、どちらが自身を守ることに優れているか」をはじめとして、「人間性の在りようは誰の責任か」「都心と地方」「田舎における、都会と田舎」「膨れ上がった善意が個人を圧殺する」「自己決定/自己責任」など、作品中では基本的に答えを出さない代わりに、いくつものパターンを提示する。



たとえば、親族共同体の例で言えば、妻夫木の祖母であり育ての母である樹木希林は、殺人事件の犯人の身内ということで、マスコミに追い回されて精神を磨耗させる。そんな彼女を守ろうとするのもまた、親戚である。


また、樹木希林に感情移入した観客はマスコミに対して憎悪を募らせるが、妻夫木を幼くして捨てた実母は樹木希林にこう吐き捨てる「ほんと、良か人間に育ててくれたよね。こっちまでいい迷惑だよ」。このセリフは、観客をはっととさせる。自分たちは、本当に、犯罪者を育てた人間や身内には一切責任が無いと思って、ちゃんとそう言えるのか。マスコミを動かしているのは、「事実を解明する、責任の所在を明らかにする」という目に見えない無数の善意ではないのか、そしてそれを自分たちは非難することが果たして出来るのか。



他にも、興味深いシークエンスがいくつもある。松尾スズキ扮する詐欺師が老人を騙して高額商品を売りつけるセミナーを開催しているのだが、樹木希林はセミナーに嬉々として通う老人の一人で、松尾が詐欺師とは気づいておらず馴染みの先生に会いに行くぐらいの感覚で自ら松尾の事務所に訪れると、それまでのセミナーとは桁の違う額の商品を脅迫され購入してしまう。ここでは当然、松尾が悪人として描かれているのだが、一方で樹木希林はわざわざ自らの意思で足を運んだ結果として、被害を受けるので、これは「自己責任/自己決定」論で言えば、樹木希林が悪いということになる。「自己責任/自己決定」論では、正しい判断ができない人間は救われなくて当然、という前提が実は存在しているのだが、果たしてそれでいいのか。


さらに、その後に、樹木希林は勇気を振り絞って松尾の事務所に金を返してもらうべくに単身乗り込むというシーンがあるのだが、ここでは「クーリングオフ使えよ!」という心のツッコミが入るのを禁じえない。しかし、樹木希林は長崎の田舎の老婆でクーリングオフという制度があることすら知らない可能性も充分に考えられる。つまり、「『クーリングオフも知らない奴が悪い』って、本当に言い切っちゃって良いのか」という問いが突きつけられるのだ。


「自己責任/自己決定」ってみんな言ってきたけど、馬鹿で弱い人はじゃあどうなっても仕方ないってことで良いんですか、と製作者から投げかけられているように思えるのだ。



それ以外で特に興味深かったのは、妻夫木に殺される満島ひかりや、当初満島殺しの犯人と疑われる岡田将生が、極めて複雑な心情が丹念に描かれる妻夫木や深津絵里に比べて、極端に類型的な、浅はかで享楽的な若者として扱われることである。


特に満島は「こんな女、殺されて仕方ないだろう」と誰もが思うような嫌な女である。しかし、その父である柄本明の悲痛な悲しみにくれる姿を見せられると、観客は先のセリフが喉まで出掛かっていたことを恥じるだろう(少なくとも僕はそうだった)。そして、ここでも「こんな嫌な女に育ったのは、やはり親が悪いのか」という問題も併せて浮上してくる。もちろん、そもそも「嫌な奴だったら殺されてもいいのか」という件も言わずもがなである。


また、岡田も満島も、あまりに類型的に浅はか過ぎて、だんだん可哀相になってくる、という現象も起きる。彼も彼女も、自分の知っているやり方で、自分の知っている最大限の幸せや快適さを、寧ろ必死につかもうとしているだけなのだ。それを愚かだと笑うことが出来るのか。



という具合に、ここまで主役の二人にはほとんど触れないままここまで来てしまったが、二人とも、とても複雑な心境の変遷を経ながら、傍目には合理的でないような行動ばかりをするので、これはちょっと僕の手に負えないと感じるので、ここまでにしたいと思います。



最後に付け加えるなら、いくつもの抉る様な問いかけの先に、最後の最後に微かな希望を確かに残してくれるので、商業作品として、ぎりぎりバランスの取れた作品になっていると思う。これは少しでも気になっている方は間違いなく観たほうが良いです。そして、僕と語り合ってください。笑 それではまたクローバー