マニアック旅行記、もう少し続きます。
箱館奉行所
内部を見学していると、スタッフの方が説明してくれるのですが、説明は奉行所のお仕事の内容のみ
(当たり前だけどww)
ぶっちゃけ、そんなんどうも良くて。
こっちが知りたいのはイバハチと春日くんがどこで寝てたのかとか、大鳥ちゃんと今井くんがどこで将棋を指していたかとか、釜ちゃんたちはどこで軍議をしていたのかとか、太鼓櫓が砲撃されたとき、古屋さんはどこでごはん食べてたんだろうとか・・・
そこなんですけどね。
開陽丸みたいにお人形置いといてくれれば、萌えられるのに・・・(←オイッ)
五稜郭を設計した武田斐三郎先生のレリーフは顔をなでると頭がよくなるそうです。
なので、顔のとこだけ、ピカピカです。
五稜郭っぽい写真を全く撮っていなかったのですが、大砲とか、兵糧庫とか見るものはたくさんあります
夜じゃないので月も見えないけど、堤の上を歩く。
吾れ夜堤上を歩きて見るに、月は欠けて天に在り、荒野渺漫たり。
砲台は湾を隔てて雲煙の中に髣髴たり。
独り兄事する所の奉行の死を嘆き、同胞の如く交わりたる者は皆彼に在りて、吾れのみ敵陣の遮る所と為りて至を得ず。
涙を垂れて、楚の項羽の『時利あらず、騅行かず』の句を吟ず。
-函館戦記・大野右仲-より
五稜郭を堪能した後は、これに乗ってきました
遊覧船 ブルームーンです これに乗って、ナイトクルーズです。雨なのに
船内はこんな感じ。
雨の中、ナイトクルーズする物好きはいないのか それともひとり2,500円っていう、高い乗船料のせいなのか
なぜ、高い乗船料を払ってまで、乗ったかというと。
このナイトクルーズ、函館山の裏まで行ってくれるのです
寒川まで行くので、豊安に乗った新政府軍の黒田了介率いる箱館攻撃部隊が、箱館山裏手に着いた所とほぼ同じシチュエーション。
室内から撮ったから写りは良くないけど、崖の感じは分かりますか。
この辺が寒川あたりかな。
新政府軍もこんな崖を上ってくるなんて・・・。
この時の大鳥ちゃんの日記(南柯紀行より)
この日の夜明け(5月11日)、敵の陸軍一大隊が船にて箱館山の寒川というところに、上陸せる由、兼て此患あることを察し兵を備え置きたけれども、蕃兵怠慢深霧中より敵の登るを知らず、急きょ之を防げども、すでに皆上陸し・・・
今井信郎くんの日記(蝦夷之夢より)
海陸戦正に、たけなわなるに、たちまち箱館山より敵の一軍鯨波(とき)を揚げ、市街を眼下に放砲す。
我兵おおいに驚き、このあたりを守りし新選組一挙に追い崩さる。
新選組の寒川メンバーって誰だったんだろう。気になる。
夕食は、海鮮に飽きたので(わたしが)
お肉料理だー
創業134年の五島軒本店 建物は国登録有形文化財になってます。
カレー(上)とロシア料理(下)
五島軒の初代料理長・五島英吉さんはもともと武士。
戊辰戦争に巻き込まれ箱館で戦い、残党狩りを恐れてハリストス正教会に匿われたのがきっかけで、
10年間ロシア料理を勉強し、明治12年五島軒初代料理長になりました。
ここで五島さん伝承のロシア料理を食べることが出来ます。
わたしがロシア料理を食べたんだけど、右からビーフストロガノフ・ボルシチ・サラダ
他に、パンとケーキとドリンクが付いてくるので、かなりボリュームがありますw
味は今のロシア料理と変わらず、美味しかったです
3日目に続く。