元々好きではないマスコミの報道ですが、日を追うごとに少しずつですが落ち着いて来たでしょうか。
大きい災害の度に思うのですが、マスコミも瀕死でどん底な人にインタビューするよりも、もっと他に出来る事がないのか!とか思ってしまいます。
テレビなんてのは1人1チャンネルしか見れないので、情報は各社が集めた物を1本化するとか出来ないんですかね。
激甚災害は法律で報道、取材規制して、現地に入れるのは日にちを決めてローテーションして、取材は1本化して映像を各社に配信。
今回みたいにエリアが広い場合は県ごとに担当を決めても良いでしょう。
それで担当外のマスコミは救助隊の移動や物資の配給等で被災者の救出、支援を行なう。何処もヘリコプターとか持ってるんでしょ!
その過程で入手した映像を代表取材した映像と掛け合わせて配信する。
支援の数(量)だけ後からマスコミ各社の価値が付いて来るシステムってのは出来ないんですかね。
良く写真の何とか賞で、この写真撮る暇があったら助けろ!みたいなのがありますが、真実の報道と支援て両立しないのでしょうが、今回みたいな場合はもう少し何とかなりませんかね。
ネット上でも色々ありますね。
そもそも文章で本心を伝える、現地の真実を伝えるってのは大変です。
良かれと思った事が本意から外れて上手く行かない事は多いですね。
コミュニケーションは難しいです。まあネット上と対面では難しさも違いますがね。
子どものネット依存率が上がっているのも理解出来ます。
某マスコミ関係者のブログにこんな記載がありました。
「しかし想像してみてください。その場に医師もおらず、死因を確定出来る環境になかった彼らが、食べることのできない子供の死を「餓死」と表現した状況を。」
というのがありました。
確かに「子どもが餓死」ってショッキングですよね。
でも最初に聞いた瞬間に全ての状況を推察するのは難しいです。
既に1万人近くが亡くなっている災害、多くの方は溺死だそうですね。
ただ津波に呑まれながらギリギリで助かった人、1度は救出されながらも結果的に救命出来なかった人(子ども)も居るのかもしれません。
物資の無い避難所で瀕死の子どもが衰弱していく、亡くなってしまう様を見た親御さんが死因を「餓死」と言ったとして誰が責められましょう。
それを聞いた隣人がもし適正な食事、医療が提供できたら助かったのに!と「子どもが餓死してるから早く物資を!」と引用してそれを聞いた人が伝えていく中でどうしても誤解が生じてしまうのは致し方ないのでしょう。
私の友人がやはり情報を発信する中でやはり同様に私も「ほんとか?もうちょっと配慮した書き方の方がいいんじゃねえか?」とか思った件があります。
これはあちこちで騒ぎになっているようですが、この件も同様の事だと思います。
殺人なんてとんでもないですね。でも諸々の事情で瀕死の方が最後の力を振り絞って限られた食事、物資の取り合い(これは路上での車両や燃料もあるでしょうか)の中で、ちょっと突き飛ばされた事がきっかけで亡くなってしまった。実は別の要因で無くなった方が直前に言い争っていたとか、口喧嘩で血圧が上がって脳障害なんて事もあるかもしれません。
こう言う事が前述の表現になったりしないのでしょうか?
子どもから大人が取り上げる。これは極論何処の社会でもカツ上げみたいな事ってありますよね。これが自分の子どもの分を取り上げたガキ大将に親が取り返しに行ったなんて事もあるかもしれません。
そういう状況になったら何処の親でも怒鳴り込むでしょ?
強○(すいません。私も不愉快なんで伏字にしました)なんてのもびっくりですね。でも残念ながら何処の世界でもある事です。例えば今まで普通に付き合っていたカップル(夫婦)が居たとします。
2人で被災して極限の状態に置かれた時、女性というのは(特に出産経験がある女性は)統計的にも痛みに強いものです。対して男の方が貧弱というか痛みに弱い傾向がありますね。
しかし反してとある欲求(判るでしょ!笑)は男の方が強い、また疲労困憊の時に女性には理解出来ない「疲れ00!」なんて現象がありますね。これで無理矢理現象が起きて喧嘩別れした女性が誇大表現を使っても責められませんよね。
それを聞いた友人が「こういう状態だから早く助けて!」と言ったとしてそれを聞いた人が更に伝えて行く事で誤解を生むのは致し方ないと思います。
これを取り上げる報道は本来適正なレベルに寸借して正確な報道をすべきです。
仮にレベルが上下するなら控えめに言わないと風評被害の元をマスコミが作るのは歴史が証明しています。
ただ拡大解釈してオーバーに言ってくれれば助かったのに!って言う事も有りえるので難しいですがね。原発問題も拡大解釈したら国内退避とか農作物の摂取禁止とかになっちゃいますから。
これを個人が広げるのは更に難しいのは明白です。プロの大勢で行なう報道でもいい加減だったりするのですから。
風評被害ってのは程度にもよりますが火の無い所には煙はたたないものだと思っています。
でも文章って難しいですよね。
こうやって書いても気分を害される方は居られると思うのでお詫びいたしますが、救われる方も居るのだと信じて自分なりにやって行きます。
とにかく現地の人達は皆が良かれと思ってギリギリの中で精一杯やっています。
友人にも今はそれどころではありませんが時期を見て色々話して行きます。
我々被災地以外の国民はそういう報道や情報を風評被害の様に拡大解釈するのではなくて、適度に寸借しながら冷静に対応して行く事が肝要だと思います。